やわらかなノクターンに触れる

 おれたち赤髪海賊団が、数ヶ月前から停泊している、小さな港町。ここはなんとも居心地の良い町だ。
 この町の人間たちはどうも人が良いようで、海賊だからといっておれたちに軽蔑した目を向けることもなく、怯えたり、逃げ出すこともない。ただ“同じ人間”として、どのような境遇の者であっても、快く受け入れてくれている。できるだけ差別を生まない統治が行き届いているとはいえ、海の荒くれ者たちにまで優しい町というのは貴重なものだ。
 おれも、他のクルーたちも、そんなこの町の温かな情調をとても気に入っていた。

「やあ、シャンクスさん。今日も来てくれたのか」
「ああ。ここは飯も酒も本当に美味いからな」

 薄暗い店内へと足を踏み入れると、おれの姿に気付いた店の主人が声をかけてきた。
 ここは、おれがこの町に滞在するようになってからというもの、度々訪れているショットバーだ。街角にひっそりと佇むこのバーは、おれと同い年くらいのマスターが一人で回せてしまうくらいの、こぢんまりとした規模の店である。席数にも限りがあるし、客入りもまばら。大通りに面した大衆向けの酒場とは違い、人で溢れかえって注文が飛び交うような賑わいとは縁遠いことだろう。
 ただ、規模が小さいからと言って侮ってはいけない。ところどころにマスターの拘りを感じる落ち着いた内装と、彼の出す美味い料理が、流れ着いてくる客人たちの心を掴む……と評判の店なのだ。無論、おれも心を掴まれた人間の一人ということになる。
 今宵も近海での航海から戻ってきたおれは、仲間たちとの騒がしい宴を終えた後に、この店へとやってきた。
 仲間たちと騒ぎながら飲む酒ももちろん美味いに決まっているのだが、こうして一人でのんびり飲む酒だって悪くない。そんなことを考えながらカウンター席に腰を下ろし、酒を頼んだところで、おれはちらりと周辺に目を向けた。
 目線の先には、ちらほらと席を埋めている数人の客の他に、この店で度々見かける顔が。

「よう、あんたか。やっぱりよく会うよなァ」
「…………」
「あんたもここの食いもんが好きなのか?」
「…………」

 この店に来た時は、おれは決まってカウンターの中央付近の席に座るようにしている。何故なら、ふらりと現れては隅っこの席に座り、一人酒を嗜むこの女がいるからだ。
 見たところ女はそこそこ若めの風貌だが、実際いくつなのかはわからない。否、この場合“わからない”と言うより、“教えてもらえない”と言ったほうが正しいか。
 どういうことかと言うと、興味本位で初めて話しかけた時から今の今まで、彼女がおれの言葉に応えることは一切なく、どこまでも無視を決め込んでくるのだ。あろうことか「イエス」か「ノー」で答えられるような単純な質問を投げ掛けても無視される為、おれは女の正確な年齢は疎か、名前もわからない。そもそもこの町の人間なのか、それすらも知らない。
 今日もまた、女はこちらに目を向ける素振りもなく、ちびちびと酒を口に運んでいる。そんな彼女を横目に、おれも出された酒に口をつけて、ぐいっと飲み下した。持て余したように眉を下げるおれと、隅の席に座る女を交互に眺めていたマスターは、にこにこと愛嬌のある笑顔を浮かべている。

「……相変わらず冷てェ女だ」
「はっはっはっ」
「笑うところじゃねーぞ、マスター」

 おれが指摘すると、マスターは笑顔を崩さぬまま、「悪い悪い」と言葉だけの謝罪を述べた。
 時折、この気のいいマスターが相手ならば、彼女は普通に喋ったりするのだろうか……なんて考えたりもする。しかし、少なくともおれがこの店で飲んでいる間は、その光景を目にすることは叶わなそうだ。
 彼女がどんな時に言葉を発するのかなんて、「結局おれには関係のないことだ」と、いつものように自己完結させる。しかし、頭の中では完結させたつもりでいても、彼女自身が何者であるのか、いつも何を考えて酒を飲んでいるのか……と、何となしに浮かんでくる疑問は尽きない。
 この店の常連客の中では一番遭遇する確率が高いということもあり、彼女がおれの中で色々と気になる存在になっていることは確かだった。まぁ、気になると言っても文字通りの意味であって、他意は無いのだが。

「ところでシャンクスさん、今回の航海はどうだったんだい?」

 航海を終えた後の、毎度お馴染みの話題をマスターから投げかけられて、おれは彼のほうへと目を向ける。「ああ、」と相槌を打ちつつ横目で女の姿を確認すると、その様子はやはり“いつもと同じ”だった。
 おれは、気がついていた。今この時のように、海や船、航海や財宝――おれたち“海賊”を連想させるような話題が出たとき。そのときだけ、一瞬、彼女が反応を示すことを。

「これと言った収穫は無かったな。だがまぁ、怪我人も出なかったし、良い航海になったよ」
「そうかい。それは良かった」
「この辺りの海は穏やかでいいな」
「そうだね、そのお陰でいろんな人間がこの町に寄っていってくれる。ありがたいことだ」

 こうして海の話をしているとき、決まって彼女はちらりと目線のみをこちらに向ける。その目線はすぐに元の方向へと戻ってしまうのだが、彼女はその後も、おれとマスターの会話に耳を澄ませるような、そんな気配を醸し出す。
 さらに、こちら側を意識するあまり、自然と酒を飲むペースが少しずつ遅くなっていくことにも、おれは気付いていた。普通の人間であれば気にも留めないであろう、彼女の癖である。
 おれは、そんな彼女の癖に気付かないふりをして、いろんな人間がやってくると言うマスターに「例えば、どんな奴がやってくるんだ?」と尋ねる。

「昔は旅行客も多かったが、時代が時代なもんで。最近は海賊の人たちが多いかな」
「へぇ。そりゃ大変だな」
「そんなことはない。確かに荒っぽい奴らもいたりするが、ほとんどの海賊は、見かけとは裏腹に気立てのいい人たちばかりだよ。シャンクスさんたちのようにね」
「ふ、それはどうも」

 「この町特有の空気が、普段は荒っぽい海賊たちをそうさせているのかもな」と呟く。その言葉に、マスターは嬉しそうに顔をほころばせた。類は友を呼ぶと言うが、この店の店主がマスターだからこそ、彼の言う『気立てのいい人間』が集まってくるのではないだろうか。
 おれとマスターが取りとめもない会話を続けていると、ふと、あの女が席を立つ音がした。
 マスターはおれとの会話を中断し、「いつもありがとう」と屈託のない笑顔を浮かべて、カウンター越しに彼女のもとへ歩み寄る。
 女は財布から紙幣を取り出し、黙ってカウンターの上に置くと、にこりと小さな笑みを浮かべて会釈をした。いつも無愛想な彼女の表情が、おれの前で崩れる唯一の時である。
 その様子を見送ってすぐに、おれは席を立った。驚いた顔をこちらを向けるマスターには目もくれず、律儀に自分が座っていた椅子をカウンターに並べ直そうとしている女のもとへと静かに歩み寄っていく。そして、彼女が店を後にしようと入口を振り返った瞬間、すらりと伸びた腕を後ろから掴み取った。
 女が驚いた面持ちでこちらを振り向く。初めて真正面から見たその瞳は、おれが想像していたよりも、ずっと綺麗なものだった。


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