昼過ぎからの遅れを何とか取り戻し、本日分の仕事を終わらせた時刻は、結局、定時を少し過ぎた頃だった。
 パソコンの電源を切り、散らかしっぱなしだったデスク周りの片付けを済ませて、きょろきょろとフロア全体を見渡す。しかし、フロア全体をぐるりと見まわしても、煉獄さんの姿が見当たらない。
 あれ? 「続きは仕事が終わった後だ」って言ってなかったっけ? そう疑問に思う反面、いないのであればしょうがないと、どこか安堵している自分がいる。
 まぁ無理して今日中に話をしようとしなくても、明日も平日だ。煉獄さんとは嫌でも会社で顔を合わせるのだから、明日にでもこちらから声を掛けてみればいい。そう自分を納得させて、帰路につく為にエレベーターへ乗り込む。

「待っていたぞ!」
「うわっちょっ、びっ……! びっくりするからやめてくださいよ!」

 エレベーターで1階まで降りて、周囲の人の流れに沿ってエントランスホールを通り抜けようとした時だった。
 そういえば煉獄さんの連絡先知らないな……なんてぼんやりと考えていたところに、急に横から勢いよく声を掛けられて、私の心臓は一瞬動くことを止めた気がする。  
 肩をすくませながら声の主のほうへ顔を向けると、満足げに口角を上げた煉獄さんと目が合う。どうやら、煉獄さんは定時ぴったりに仕事を終えて、ここで私のことを待っていてくれた様子だった。
 不意打ちを食らって驚きはしたものの、その満ち足りたような表情を向けられてしまえば、私は途端に言葉が出なくなる。仕事が終わるのを男性に待っていてもらうなんて、いつぶりのことだろう。

「また驚かせてしまったな。すまない」
「いや本当、なんでそんな簡単に気配を消せるんですか」
「うむ! そんなつもりは一切ないのだがな!」
「無意識なんだ……」

 思わず眉を顰めて、ぽつりと呟く。私がどちらとも付かない反応を示しても、煉獄さんは特にそれを気に留める様子もなく、ごく自然な動作で私の隣に並んで歩き出した。
 私と歩幅を合わせるようにペースを落としてくれているのか、本当に近い距離で煉獄さんと肩が並ぶ。そうしてすぐ横に立ってみて初めて、煉獄さんの背丈が結構高いということや、実はがっしりとした体形をしているということに気がつく。
 エントランスホールを抜けて外へ出ると、気温は昼間よりも肌寒く、ひんやりと冷たい空気が私たちの体を覆った。目に染みるような寒風にぱちぱちと瞬きを繰り返していると、その様子を見て、煉獄さんはまたもや満足げに口角を上げた。

「腹は減っているか? 良ければ食事でもどうだろう。和食でも洋食でも、みょうじの好きなものを食べに行こう!」
「あ、いえ」
「まだ腹は減っていないか?」
「お腹は空いているんですけど……食事の機会の前に、煉獄さんとは一旦落ち着いてお話をしたいです」

 真剣さを含んだ声色で伝えると、煉獄さんはその場でぴたりと足を止める。それと同時に私も歩みを止めて、煉獄さんの顔を見上げた。
 落ち着いて話したいという私の言葉の意味を理解したのか、煉獄さんはその大きな目で、私の顔を真っ直ぐに見つめていた。そのまま少し考えるような素振りを見せたかと思うと、「わかった」と小さく頷く。

「では、昼に行くことができなかった駅前の珈琲店へ行こう。あの店ならゆっくり話もできるだろう」
「! ありがとうございます」

 再び肩を並べて歩き出す。
 いつの間にか、夜の街にはイルミネーションが施され、あちこちが色とりどりに光り輝いていた。

◇ ◇ ◇

 駅前のコーヒーショップの中へ入ると、コーヒーの良い香りと共に、暖かな空気に体全体を包み込まれる。
 レジカウンターの手前でメニュー表を眺めつつ、何を頼もうかと悩んでいると、昼休憩の時と同じように、煉獄さんは私に向けて「好きなものを頼むといい」と笑った。

「煉獄さん、今度は私に奢らせてください」
「いや、いい。今日のところは俺に格好つけさせてくれ」
「……な、なんかすみません……。ありがとうございます」
「俺はブレンドのMサイズを」
「あ、じゃあ、私はカフェラテのホットをMサイズで」

 ホットカフェラテとブレンドコーヒーを注文し、煉獄さんは会計を済ませると、「先に座って待っていてくれ」とホールの隅にあるソファ席へ向けて目配せをした。
 私は言われるがままその席まで歩み寄り、羽織っていたコートを脱ぐと、バッグと共に備え付けのバスケットの中へ詰め込み、ソファへ腰を下ろす。
 湯気が立ち昇るマグカップ2つをトレーに乗せて、それらを煉獄さんがテーブルまで運んでくれる。コーヒー特有の香ばしい匂いがふわりと鼻孔をくすぐり、仕事で疲れた頭を癒してくれるようだった。
 向かいのソファに腰を下ろした煉獄さんに向けて手を合わせ、そのままぺこりと頭を下げる。

「煉獄さん、またもやご馳走になっちゃって申し訳ないです。いただきます」
「気にすることはない! 好きな相手のためだ!」

 熱めのカフェラテをそーっと口に含んだところで、私は派手にむせ込んだ。喉の奥でカフェラテが逆流しそうになり、慌てて片手で口元を抑える。しれっと何ということを言うのだ、この人は。驚きに言葉を失ったまま、私は煉獄さんの顔を凝視する。
 しかし、当の本人は微塵も表情を変えることなく、さも当然のことであるかのように言葉を続けた。

「何なら食事代を出すつもりでいたからな。コーヒー1杯では物足りないくらいだ」
「れれ煉獄さん、ちょっと、もう一回言って」
「む、何をだろうか」
「私が何の相手ですって?」
「俺の好きな相手だ」
「いや、あ、あの、昼も思ったんですけど、……その、本気? なんですか?」
「当たり前だろう!」
「そ……そうなんですね」
「それで、みょうじが話したいこととは何だ?」
「え、いやその、だから、……煉獄さんと私がつ、付き合うって……どういう意味なのか聞きたくて」
「意味?」

 私の言葉に、煉獄さんが首を傾げる。彼の毅然な態度ときっぱりとした返答に、まるで私のほうが間違ったことを口にしているような気分になる。
 途切れ途切れになりながらも疑問を投げかける私の指先は、少しだけ震えていた。何故震えているのか、どうしてこうもすんなり言葉が出てこないのか、回らない頭で懸命に考える。このたった数分間の会話のみで、私の心は激しく揺さぶられてしまっていた。
 すっかり動揺を隠せなくなった私から目を逸らすことなく、煉獄さんは静かに腕組みをした。そうして少し間を置いて、ゆっくりと唇を開く。
 燃え上がるような瞳が、じっと私の姿を捉えて、離さない。

「俺が君を好きである。好きな相手が恋人と別れたと聞き、居ても立っても居られなくなった。ただそれだけのことだ」

 それは、とても芯が通った言葉だった。これまでの私の人生において、ここまでストレートに、ぶれない言葉で思いを伝えられたことがあっただろうか。
 射抜かれるように見つめられ、熱を含んだその視線に、ぎゅううと心臓が締め付けられる。
 煉獄さんが、私のことを、好き。ここに来るまで半信半疑だった煉獄さんの言の葉が、一気に現実味を帯びて、鮮やかに色付いたようだった。


Title by 草臥れた愛で良ければ
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