なまえに出会ったのは、月明かりの下に夜霧が立ち込めた日のことだった。白んだ空気が辺り一面を覆い隠し、視界の悪さに苛立ったのを覚えている。
討伐対象の鬼については、大まかな調査結果が出た段階で、陰湿であることはわかり切っていた。
“深い霧を連れ、夜な夜な人里へと繰り出しては、決して目立つことなく、 一人ずつ確実に人間を攫っていく。”
先発隊からの引き継ぎの文書には、そのように記されていた。最終確認も兼ねて、俺は再度その文書に目を通す。
これから向かう現場がこの報告の通りの状態であるとすると、きっと、鬼を追うのに視力は当てにならないことだろう。となれば、頼れるものは耳と鼻になる。目からの情報に頼らず鬼の気配を探ること自体に不安は無いが、万が一、人質がいるとなれば勝手が違ってくるだろう。
できれば、鬼が町の人間を攫う前――町へ降りてきたところを仕留めたい。そうすれば、被害も最小限に抑えることができる。
気がつけば、日没の時刻が迫ってきていた。室内の壁に立て掛けていた日輪刀を掴み取ると、急ぎ屋敷の外へと出る。
近頃、昼夜の気温の変化が大きい日が続いていたにもかかわらず、今日に限って外の気温が下がっていない。生ぬるい空気が皮膚に触れ、なんだか胸騒ぎのようなものを感じた。俺はそれを振り払うように地面を蹴り上げると、鬼の出る町へと向けて駆け出した。
◇ ◇ ◇
「いやーーっ! 誰かーーっ!」
嫌な予感とはよく的中するものだ。俺はやれやれと左右に首を振る。
若い娘の叫び声を聞きながら、俺は深い霧の中を駆け抜けていた。
随分と急いでいるのか、何とも勢いのある速さで鬼は町から離れていく。しかし、幸か不幸か、鬼に連れ去られたという娘がよく通る声をしている為、思ったより後を追いやすい。
とは言え、あのように騒ぎ続けてしまっていては、煩わしさを感じた鬼にいつ娘の息の根を止められるかわからない。まさに時間との勝負だ。
早々に鬼の頸を切り落とす必要があると判断した俺は、よく耳を澄ませて、娘の声がする方向を感知する。その上で、先の報告書に記されていた鬼の行く先……つまり“奴がゆっくりと食事を摂れそうな場所”の候補を頭の中で割り当てて、一点の場所まで絞り込む。隊士たちの入念な調査の甲斐あって、すぐに行く先を特定することができた。
該当の場所へ先回りできそうな獣道へと進路を変える。鬱蒼と生い茂った木々の合間を抜けながら、泥濘んだ地面に足を取られないように樹木の上へと飛び移った。
「……そこだな」
ぽつりと呟き、急ぎ足で根城へ向かう鬼の真上と思われる位置まで飛び上がる。
重力に乗って降下してゆくついでに深く息を吸い、静かに吐き出す。霧によって視界を遮られた状態を考慮し、普段よりもより精度を上げた呼吸で、正確に鬼の頸の位置を感じ取る。少しでもずれてしまえば、攫われた娘もろとも切り付けることになる。
刃先を当てるべき箇所のみに集中し、上空から日輪刀を振りかざす。刀身が周囲の空気を僅かに震わせ、それによって自身に迫る危機を察した鬼が「あ、」と口を開いた時には、既に鬼の頭は地べたに転がっていた。
「きゃっ」
小さな悲鳴を上げ、鬼の肩に担がれていたであろう娘が地面に倒れ込む。
さらさらと鬼の身体が崩れ落ちてゆくにつれて、辺り一面に広がっていた深い霧も、次第に晴れてゆく。
「……!」
白んだ空気が消え去り、静かな夜の景色が戻ってくる。
相変わらず地面は泥濘んでいるものの、鬼を追って辿り着いたこの場所は、想像よりも美しい森の中だった。やわらかな月明かりが木々の隙間を通り抜け、俺と娘の体を照らしてくれる。
ようやくはっきりと姿を見せた娘と、目が合った。ビー玉のように透き通った丸い瞳が、月明かりを反射して光っている。
とても、幻想的だ。
「いたた」
「! 動くな。骨が折れているかもしれん」
鬼に取り押さえられながらも、必死に抵抗したのだろうか。娘は身体中に怪我を負い、所々血で濡れていた。さらに、無理な体制を取ったのか、足首が大きく腫れ上がってしまっている。
自分の性格上、見ず知らずの女の体に触れることはとんでもなく躊躇われるが、さすがに負傷した民間人を置き去りにするわけにはいかない。
日輪刀を鞘へ収めて、帯革と体の間に固定する。俺は一呼吸置いて覚悟を決めると、血と泥で塗れた娘を抱き上げ、ゆっくりと歩き出した。
◇ ◇ ◇
「小芭内っ」
少し高めの軽やかな声が屋敷の庭先に響き、俺は鍛錬の手を止める。
名を呼ばれて後ろを振り返ると、庭の隅に植えられた木々の中、一際大きな一本の木の幹に身を隠し、上半身のみをこっそりと覗かせている娘と目が合う。丸々とした瞳を輝かせながらこちらを見つめる娘の姿を視界に捉え、その瞬間、俺は深く溜め息をついた。
「……また来たのか」
「だめなの?」
「ここへ来てはいけないと言っただろう」
「だって、小芭内ったら全然顔を見せに来てくれないんだもの」
「俺は忙しいんだ」
娘と距離を保ったまま、できるだけ冷たい声色で言い放つ。そこらの隊士なら、こうするだけで顔を青ざめさせて俺の前から逃げ去ってゆくことだろう。
ところが、娘は相変わらずきょとんとした表情のまま動かない。俺の顔をまじまじと見つめて固まっている。
なぜ無反応なのか……と怪訝に思っていると、少し間を置いてから、彼女は薄っすらと唇を開いた。
「小芭内はいつもそればっかりね」
「事実を述べているだけだ」
「じゃあ、いつになったら忙しくなくなるの?」
「……お前を襲った化け物の同類が、一匹残らず消えてくれれば忙しくなくなるだろう」
「“お前”って呼ばないで。名前で呼んでっていつも言ってるでしょ」
娘はむう、と頬を膨らませ、不満げに眉を寄せる。
この娘のような人種を鈍感と呼ぶのか、あるいは天然と呼ぶのだろうか。彼女の言葉に、俺も負けじと眉を寄せた。
恐ろしい化け物――つまり鬼に自身が殺されかけた場面を思い起こさせるような、そんな話を振られているにもかかわらず、返す言葉は「名前で呼べ」なのだから、この娘は神経が図太いにもほどがある。彼女と話していると、時々「本当に町の良家の子女なのか?」と疑ってしまう。
「小芭内、ねえ。名前で呼んでってば」
「……。はぁ……」
名を呼ぶことを促してくる娘から斜め下へと視線を逸らし、俺は再び大きな溜め息をついた。
ひとまず諭すことを中断して、娘の名前を呼ぶ。
「……なまえ」
「なあに?」
すると、なまえはぱっと表情を明るくして、木の影からその頭身を現した。そのまま嬉しそうに髪を揺らし、小走りで俺のもとへと駆け寄ってくる。
すぐ側に近寄ってきたなまえに向けて、今度は極力冷静に、ゆったりとした口調で語り掛ける。相棒の鏑丸が、肩の上から心配そうにこちらを見ているような気がした。
「あっ。鏑丸も、こんにちは」
「……なまえ。もう、俺の屋敷には来るな」
「どうして?」
「何度言えばわかる。いつ鬼どもにこの場所を突き止められ、危険が及ぶかわからないんだぞ」
「それなら危ないのは小芭内だって同じじゃない」
「俺は自分で戦える。しかし君は戦えないだろう。そこにいるだけで足手纏いになる」
「それでも、小芭内が守ってくれるもの」
邪念の感じられない真っ直ぐな眼差しに、俺はぐぅ、と息が詰まった。
なまえの場合、自分が足手纏いになるということをしっかり自覚しておきながら、“守ってほしい”と渇望するのではなく、“俺ならば守ってくれる”と最初から信じ切っているから始末に負えない。
そんな思い込みが激しい彼女でも、時折、俺の心の内を見透かしているのか? と感じるほど、精妙に図星を突いてくることがあるから侮れなかった。
今この瞬間なんて、まさにそうだ。事実、なまえの言う通り、二人揃って鬼と対峙するような局面に立たされたら、俺はきっと彼女を守り抜くために必死になってしまうことだろう。
それは鬼殺隊士としての使命感とともに、なまえという人間の存在が俺の中でじわじわと大きくなってきているからに他ならない。
俺は、早いところその侵食を食い止めてしまいたかった。
――無論、そう思っているにもかかわらず、なまえのことを心から突き放すことができない自分自身が、一番どうしようもないのだが。
「……今度町まで会いに行く。だから今日は帰れ」
「嘘よ。そう言って一度も来てくれたことなんてないじゃない」
「俺が町へ出るより先に君がここへ来てしまうから、そのように感じるだけだろう」
「そんなの結果論に過ぎないわ」
なまえとこのような押し問答をするのは、もう何度目のことかわからない。それはつまり、それだけ頻繁に彼女がここへ訪れているということを意味している。
俺がいくら止めても、なまえは俺の屋敷を訪れることをやめようとしない。それどころか、最近は訪れる頻度が増してきているような気さえする。
俺には理解ができなかった。せっかく運良く救われた命なのだから、今後は夜に出歩くことだけを控え、あとはこれまで通りの生活に戻れば良いものを。なぜ彼女は自ら平和な世界を飛び出し、慣れない山道を延々と歩いてまで俺のもとへやって来るのか。
到底理解ができない。
(思えば、なまえの言動は最初から理解し難いことばかりだ)
鬼に攫われたなまえを間一髪で助け出した、あの日。あの日からずっとそうだった。
怪我を負って動けなくなったなまえを屋敷に連れ戻ってからというもの、妙に懐かれてしまって、女が苦手な俺は対応に苦慮したことを思い出す。
俺が在宅している時は、俺のすぐ近くを意味もなくうろちょろとしてみたり、俺が非番の時は、一緒に鍛錬をすると言って勝手にどこからか木刀を持ち出してきたりと、予測できないことばかりするものだから、いちいち構うのが大変だった。
さらに、なかなか傷口がふさがらずまともに動けやしない体たらくでも、俺の屋敷にいるうちは掃除やら料理やらをすると言って聞かず、強制的に台所を追い出されたこともあった。その時はさすがに「とんでもない頑固者を連れ帰ってしまった」と後悔に項垂れた。
療養中、診察の為に胡蝶の屋敷へ通う時ですら、なまえは「小芭内がついてきてくれないなら行かない」と言い張って譲らず、客間から引っ張り出すのに非常に苦労した記憶が、今も鮮明に残っている。
「――ふっ」
「むっ」
「何だ」
「こっちの台詞よ。なんでそこで笑うの」
「いや……つくづく君は変な娘だと思ってな」
「? 急に笑い出す小芭内のほうが、変に決まっているわ」
思い出し笑いをする俺を見て、なまえが顔を顰めている。
苦労したと言えば、なまえの怪我の具合がある程度まで良くなり、故郷の町へ帰ることが決まった時だってそうだ。
護衛も兼ねて俺がわざわざ彼女の生家まで送り届けたというのに、道中では一度も言葉を発しなかった彼女が、立派な門構えの家屋の前に辿り着いてようやく放った言葉は、語気を強めた「帰りたくない」の一言だった。
普通の娘であれば、住み慣れた家を前にして喜び舞う状況だったはずだ。それなのに、なまえはというと、今にも泣き出しそうな顔をして、絶対にこのまま帰りたくないと言い立てる。騒ぎを聞きつけた彼女の両親が母家を飛び出してくるまで、なまえは頑なに俺に背を向けようとしなかった。
半ば強制的に両親に手を引かれてゆく時まで、まるで小さな子供のように目に涙をためていたなまえの姿は、今でも頭に焼き付いて離れない。
俺が思い描いていた“なまえとの別れ”は実現することなく、涙を浮かべていた理由を聞く暇もないままお別れなのかと、彼女の背中を見送りながらそう思った。それと同時に、自分でもよくわからない感情が心の中で渦を巻いていた。
悲しいような、嬉しいような、どことなく寂しいような、そんな感情だったように思う。
「ねえ、小芭内は私に会いたくないの?」
鮮烈ななまえの問い掛けに、はっと意識を戻される。つい、過去の出来事に思い耽ってしまっていたようだ。
慌てて顔を上げると、目の前にいるなまえの表情が、はっきりとした声色とは裏腹に曇りがかっていることに気がつく。
よくよく見ると、力なく眉尻が下がり、今にも泣き出しそうな顔をしていた。その表情が回想の中で見た過去の彼女の表情と重なり、ぎゅっと心臓が鷲掴みされたかのような感覚に陥る。
「それとも小芭内は、私のこと……嫌い、なの?」
――そんなわけがあるか。そう口をついて出そうになった。
仮に嫌いになれていたのなら、もっと強く、淡々となまえのことを突き放すことができたのかもしれない。そんな考えが頭の隅に浮かぶことは、これまでに何度もあった。
それでも口に出して言えなかった理由は、きっと、俺自身が彼女の傷ついた顔を見たくなかったからなのだろう。
「嫌いになれたのであれば、話は早かったのだがな」
「じゃあ、私のことをどう思っているの」
その質問には、安易に答えることができない。俺は口をつぐむ。
なまえの声は震えていた。焦がれたようなその声色に、返答を間違ってはいけないという警鐘が頭の中で鳴り響く。俺が彼女にとっての正解へ上手く導いてやれば良いのだと、自分自身に言い聞かせる。
俺に対してなまえが好意を抱いているということは、もう随分と前からわかっていた。しかし、俺という人間と、彼女を取り巻く環境とでは、誰がどう見たって釣り合いがとれていない。
一人娘ということもあり、両親に大切に育てられた良家の女性という身上は、それだけで俺にとっては眩しさを感じるものがあった。その輝きを見ていると、全くもって違う世界の人種であると思わずにはいられない。
なまえが大切にすべきなのは、天秤に掛けるまでもなく、普通の日常だろう。そのほうが彼女にとって幸せであることは明らかなのだから、一時の感情でそれを投げ捨てるべきではない。
「できれば君に、これ以上会いたくないと思っている」
はっきりとした口調で、そう告げた。
すぐになまえの表情が悲しみに歪む。その顔を直視することができず、俺はなまえから目を逸らした。
「なんで……? やっぱり私のこと、嫌いに」
「違う。そうじゃない」
声のトーンは段々と下がっていき、なまえの両肩が不安げに揺れている。
俺は、彼女が言いかけた言葉を、それは違うと遮った。そして、隠していた事実をぽつりぽつりと話し出す。
「危険だから俺の屋敷へ来るなと言ったのは、嘘だ」
“嘘”という言葉に、なまえはよりいっそう表情を歪める。
「嘘……?」
「いや、正しくは半分嘘で、半分本当だ」
「……? どういうこと……?」
「これ以上、君と触れ合うことで、俺は君への感情を抑えられなくなることを恐れていた」
「……え?」
「会う頻度が増えるほど、俺はきっとなまえに惹かれてしまう」
「へ……それって、」
「君の生まれた家ならば、黙っていても君を幸せに導いてくれる。それに、いずれは所帯を持つ為に、自然と家柄に恥じない男と結ばれることだろう。俺はなまえの幸福を邪魔したくない。ただそれだけだ」
心の内に押し込めていたものを、ひと思いに曝け出した。その言葉の意味を飲み込めていないのか、なまえはぽかんと口を開けている。
――時々、考えることがある。もしも俺が鬼殺隊の柱ではなかったら? そもそも鬼殺隊の一員ではなかったとしたら? 醜い一族の血が流れる俺でも、もう少しだけ、今よりは君に近しい存在であれたのかもしれない。
だが、俺が鬼殺隊でなければ、あの時、鬼に連れ去られたなまえを救ってやることはできなかった。そもそも出会えてすらいなかっただろう。
最初こそ、なまえと共に過ごす時間はしち面倒臭いものだとばかり思っていたが、結局のところ、彼女との出会いは俺に束の間の幸せを与えてくれた。少しの間寝食を共にしていただけだけで、これまで生きてきた淀んだ空気の中から救い出されたような気分にさえなった。だから、俺はそれだけで十分だと思っていた。
なまえに対する正直な気持ちを打ち明けて、もう、二度とここへ来ないよう念押ししよう。そうするつもりで、意を決して全てを打ち明けた。偽りの言葉で誤魔化すことをやめれば、流石になまえもわかってくれるだろうと思っていた。
ところが、なまえから返ってきた言葉を耳にして、自分の考えがいかに甘かったかを思い知らされる。
「そんな話を聞いたら、ますます帰りたくなくなった」
「!」
「絶対帰らない。……いえ、帰ってもいいけれど、明日もまた来るから」
「……いい加減にしてくれ……。本当に君は頑固者だな……」
「小芭内のほうが頑固者よ、馬鹿!」
「なっ! 馬鹿だと? 眼前の平穏や幸せを差し置いて、こんな危険な世界に踏み入ってくる君のほうが間違いなく大馬鹿者だ」
「私の幸せは、私が決めるの!! 小芭内が勝手に決めないでよっ」
腰の横で両手を握り締め、キッと俺の顔を睨み付けるなまえ。強い意思を孕んだその瞳に、俺は不覚にも身じろぎしてしまう。
半ば叫ぶように言い放ったなまえの言葉は、妙に説得力があった。自分の幸せは、自分で決める。何とも彼女らしい言葉だと思う。
鬱積したものをぶちまけた後のように、なまえはふーっ、ふーっ、と呼吸を荒げて肩を上下させている。その様子を黙って見つめていると、少しの沈黙の後に、再びなまえが口を開いた。
「家柄とかどうでもいい。私の相手は小芭内だけなの。小芭内じゃなきゃ嫌だし、小芭内がいないと幸せになんてなれないわ」
「……それこそ、勝手に決められては困る」
「小芭内に助けられてから、私……小芭内のことしか考えられなくなって、それで……」
「…………」
「他の殿方からのお誘いも、お見合いも、全部断ってるんだからね!! 責任とってよ!」
「いや、それは俺のせいではないだろう……」
責任転嫁するにもほどがある。なまえの言葉に、俺はがくりと肩を落とした。
なまえの主張は相変わらず「小芭内のせい」の一点張りで、自分の貰い手がいなくなったらどうするのだと声高に訴えてくる。
「私の幸せを壊したくないんでしょ? それならこれからもずっと側にいて。私を助けてくれたあの日みたいに、私を守るって約束して」
「そんな約束、」
「断るなら、小芭内がうんと言うまで、私、毎日ここに通い詰めるから」
「勘弁してくれ……さっきも言ったはずだが、俺は忙しいんだ。毎日構ってやることなんてできん」
「じゃあやっぱり私と結婚するしかないわね」
「何故そうなる……! 話が飛躍しすぎだ!」
「だって私、小芭内の奥さんになれば、毎日構ってもらえなくたってお家で待っていられるもの。よし、決まりね」
「決めるな!」
「そうと決まれば善は急げよ。お父様とお母様に報告してくるわ!」
俺の返事を一切聞くことなく、なまえは踵を返して屋敷の門がある方向へと歩き出す。俺は呆気にとられながら、その後ろ姿を見送っていた。
彼女の姿が見えなくなった後も、俺は暫し呆然と立ち尽くしていた。鏑丸が困惑したかのように、俺の顔に身を擦り付けてくる。そうしてようやく我に帰ると、途端に腹から込み上げてくる笑いを抑えきれなくなり、俺はくつくつと喉を揺らした。新手の押し売りかと思えるようななまえの口説き文句が、今になって可笑しくてしょうがなくなった。
ひとしきり笑い終えてから、ふう……と深く息を吐き出す。全てを曝け出したからなのか、暗がりに沈みかかっていた感情は、いつの間にか晴れ晴れとしたものへと変化していた。心の中でずっと渦を巻いていた重苦しい何かが、薄まったような気さえする。もしかすると、知らず知らずのうちに、俺はまたなまえに救われたのだろうか。
心の内を曝け出し、その上で陰ながら君の幸福を願うと伝えても尚、なまえは俺じゃないと嫌だと首を振った。そんなことを言われてしまったら、もう俺も自分の気持ちを誤魔化すことはできない。
頑固者のなまえのことだ。きっと、懲りずに明日もまたここへやってくるのだろう。「小芭内がいないと幸せになれない」と言ってくれた彼女の為に、明日会う頃までには、俺も腹を括らなければと思う。
眩い光が咲くところ
よる様へ
まちがいさがし、とっても良い曲ですよね……!
私自身もよく聴いていた曲だったので、リクエストをいただいた時は「まちがいさがしでお話を書ける!」とわくわくが止まりませんでした。
よく聴いてはいたものの、その歌詞の意味をこんなにも深く考えたことはなくて、今回は“自分なりに解釈を考えること”自体をすごく楽しませていただきました。
歌詞とメロディーから得られる感情がいっぱいあって、いろいろこねくり回していたら長文となってしまいましたが、楽しんでいただけましたら嬉しいです。
リクエストありがとうございました!
Title by 天文学