「すみませんでした」
「あァ?」
「申し訳ございません軽率でした」
「お前とりあえず謝っとけばいいと思ってるだろ! ええ?」

 正座する私の目の前で、怒りに額の血管を浮き立たせるエース。そんなエースの顔を見上げながら、これはまたしてやられたのだと、私は冷静に現状を把握していた。
 普段から温厚で物腰柔らかな彼だからこそ、こうして怒っているときの迫力は倍増する。
 ……怖いんだけど。


けれど幸せなインペイシェンス


 これは自分の自己防衛と警戒心が不足していることによって招かれる事態だということを、私自身、痛いほど理解している。理解しているはずなのに、懲りずに私はまたやらかしてしまったようだ。
 ……いいや、確かに気を抜いていたことは事実かもしれない。けれど、そもそもこれは仕組まれたことなのだ。決して私ばかりが悪いというわけではないはずだ。
 それに、ひとことだけ言わせてもらいたい。エースがこういった話題に関してだけ、やたらと神経質すぎるのもいけないのだ。いつもは細かいことなんて気にも留めない単細胞な男のくせに。
 もちろん、そんなエースに要らぬことを吹き込む“馬鹿野郎”が一番悪いとは思うのだが。

「なまえ。お前はアレか。俗に言う気の多い女ってやつなのか」
「……と、とんでもないです」
「本当だよな?」
「ももももちろん」
「じゃあなんであいつ! あいつのことも好きって言うんだよ!」
「そ、それはまた別の意味の好きでして……」
「だぁーッ! 何がどうちげェんだよ!!」

 あいつ腹立つ! 叫ぶようにエースはそう言った。
 エースが私から目を逸らさぬままびしっと勢いよく指差した先を、目で追っていく。そこには、腕組みをしたマルコが、にんまりと性格の悪そうな笑みを浮かべてこちらを眺めている姿があった。
 なるほど、確かにあの態度には腹が立つ。そう納得したところで、慣れない体制をとっていた私は足が痺れて立ち上がることもできず、あのむかつく顔を即座にぶん殴りには行けそうもない。憤慨の念を込めてマルコのことを睨みつけてはみるものの、彼はよりいっそう愉快そうに笑みを深めるだけである。――ちくしょうあの男、また面白がってやがるな。
 他のクルーたちも、「あいつらまたやってるよ」と言わんばかりにほくそ笑みながら、私たちの様子をうかがっている。
 マルコはまぁ論外だとしても、傍観に徹する他の仲間たちを目にする度に、私には思うことがある。
 お前らは見ているだけなのか? と。助けろよ。

「なんかもう全員覚えとけよあとではっ倒す」
「なまえ! おれの話聞いてんのか!」
「はっはいぃ! 何でしょう!」
「だから……。おれへの好きと、マルコへの好きの違い。教えてくれよ」

 先程までの態度とは打って変わって、しゅんとした様子で目を伏せるエース。
 そんな彼を見て、私はうっかり「やだかわいい……」と思ったことを素直に口に出してしまった。それを聞いたエースが、再び血管を浮き立たせて拳を握り締める。「かわいい」は撤回しよう、やっぱり怖い。
 そもそも事の発端は、あの腹立たしい表情を浮かべている男――マルコの余計な一言からだ。
 マルコは、私とエースの間で勃発する揉め事を心底面白がっている。その証拠に、事ある毎にちょっかいを出してきては、私たち二人が口論になるよう仕向けてくるのだ。
 火種を振りまいて、着火させ、あとはその後の成り行きをああやって遠くから見守るだけ。火遊びが好きな少年のようで、全くもって趣味の悪い男である。
 私は毎度毎度そうやってマルコに陥れられるので、日頃から警戒するようにはしていたのだが、忘れた頃にあの男はやってくれる。仕返しをしようにも、私よりマルコの方が頭の回転も戦闘の腕も何枚か上手なため、こちらから仕掛けたところでさらりとかわされて終わり。だから尚更腹が立つ。

「なまえはおれとエースが同時にぶっ倒れてたら、どっちを優先して助ける?」
「……あんたまた私をはめようとしてるでしょ」
「いやいや。素朴な疑問だよい。……じゃあ、親父とエースだったら?」
「そんなの選べないよ。私もぶっ倒れて一緒に死ぬ」
「愛だねい」
「そうだね」
「おれのときでもそうしてくれるのかい」
「そうね。私には誰か一人だけなんて選べないのかも」
「……なまえは、この船の仲間たちが、好きかい」
「もちろん。みんな変わらず大好きよ。とっても」
「ふーん。エースに言ってやろう」
「は?」


 数時間前の自分とマルコの会話を思い出す。
 あの時だってそうだ。最初こそ警戒していたものの、マルコがあまりにも神妙な面持ちで疑問を投げかけてくるものだから、彼にも何か思うことがあるのだろう……と、真面目に意見を述べてやったというのに。
 私の返答を聞くや否や、マルコはころりと表情を変えて、あの悪戯な笑みを浮かべながらどこかへと行ってしまった。その瞬間から、薄々嫌な予感はしていた。そしてその嫌な予感は、先ほどエースが怒りの形相で私のいる船に駆け込んできたとき、確信に変わったのだった。
 またあの男にしてやられた、と。

「マルコが言ってた。なまえはおれだけじゃなくて、みんなのことが同じくらい好きなんだって」
「…………それは、」
「マルコのためなら死ねるって、そう言われたって」
「んん? そんなこと言ったっけかな??」
「お前にとっておれは、特別なんじゃねェのかよ……」

 切なげに細められたエースの目を見て、きゅうっと胸が締め付けられる。
 私にとってエースが特別な存在かどうかなんて、そんなのとっくにわかってくれているものだと思っていた。
 私は普段から仲間たちに対する”思い”を、意識して言葉に出すようにしている。なぜなら、私たちは“海賊”という、いつ死んでもおかしくはない、危険と隣り合わせの世界で生きる者だからだ。
 大切な仲間たちへの思いを、伝えられるうちに伝えておきたい。伝えられぬまま永遠に会えなくなってしまう哀しみを、私は知っているから。だからこそ、思いを口にする習慣をつけているのだ。
 それらが恋愛感情からの言葉ではなく、敬愛によく似た言葉であるということを、みんなはちゃんとわかっている。ただ一人、エースだけを除いて。
 その違いがわからないというエースは、私の言動が非常に気に食わないらしく、こうして口論になる。なまえの恋人はおれだけなんだから、他のやつに好きとか軽々しく言うな! ――それが彼の主張らしい。
 私にだってその主張に対する反論はあるのだが、単細胞な男にいくら説明しても、納得がいかないといった反応が返ってくるばかりだった。なので最近は、せっかく習慣付けていた『思いを言葉にすること』自体を慎むようにしていた。
 確かに、恋人という立場からすれば、少しばかり嫌な印象を受けてしまうのかもしれない。でも、大事な仲間たちへの愛情を、日頃から口に出すことがどれだけ大切なことなのか……エースは理解してはくれないのだろうか。

「あ……あのね、エース。私何回も言ってると思うんだけど、みんなに対する好きっていうのは所謂、家族愛みたいなもので……」
「……わかってる」
「え?」
「だけどおれは、なまえにとって特別でありてぇんだ」
「……わかってないじゃん……」
「わかってるって……! 本当は、わかってるんだ。……でも不安なんだよ」
「……エース」
「だから、証拠をくれ」
「証拠?」
「ちゅーして」
「……………………は?」

 その場に屈んで目線の高さを合わせると、エースは真っ直ぐに私を見つめてそう言った。はて。ちゅーとな。
 私が素っ頓狂な声を上げるのと同時に、周囲で黙って見ていただけのクルーたちから歓声が沸き起こる。待て待て。うるさいぞ、外野。
 顔を引き攣らせながら正面にいるエースを見つめ返すと、私の視線は彼の真剣な眼差しに容易く捕らえられてしまう。

「ま、待って……。……え、ちゅー、って、何」
「キスして」
「え、え、……こ、ここで?」
「おう」
「無理!! むりむり! みんな見てる!!」
「だからいいんだろ」

 ほんのりと顔を赤らめて、拗ねたようにむっとした表情を浮かべるエース。そんなエースにつられて、私の顔にもじわじわと熱が集まっていくのがわかった。
 ただでさえ足が痺れて身動きがとれないというのに、加えて大きな手のひらで両の二の腕をがっしりと掴まれて、私は完全に逃げ道を失う。

「早くしねェとなまえの唇、おれが貰っちまうよいー」
「はあぁ?! 何言ってんの?! だいたい元はと言えばあんたのせいで……っ、!!」

 冷やかしを含んだ辺りの歓声の中、マルコの煽るような言葉だけがはっきりと耳に入る。その言葉に苛立ちを覚えた私が、奴に向けて言い返そうと、エースから顔を背けた瞬間のことだった。
 私よりもずっと大きくて引き締まった体が、それを遮るようにして私の体を抱き込んでくる。嗅ぎ慣れたエースの匂いが鼻腔を掠めて、何が起こったのかと動揺するのも束の間、そっと顎にあてがわれた指に誘導されるがまま、私の唇が彼の唇に触れた。
 ちゅう、と音をたてて唇を吸われ、途端に体の力が抜けてゆく。そんな私にはお構いなしといった様子で、仕上げと言わんばかりにぺろりと口元を舐め上げられれば、周囲で「おおー!!」と雄叫びのような声が沸き上がった。
 唇が開放されても相変わらず体は密着した状態のままで、鳴り響く心臓の音が伝わってしまいそうなその距離に、思わず息を呑む。すぐそこにあるエースの顔は何だかとても色っぽくて、その目で見つめられていると、とろけてしまいそうだった。
 篭る熱をごまかすように、周囲の仲間たちへと目を移すが、噛み付くような口付けで再びそれを遮られる。獣、みたいだ。頭の片隅でそう思った。

「おれへのすき、が、特別だってんなら、」
「……は……い?」
「こういうときはおれだけ見てて」

 無茶を言うな! 思わずそう叫んでしまいたくなったけれど、少し機嫌が良くなったようなエースの顔が目に入り、その叫びを喉の奥に押し戻す。そんな顔をされたら、何も言えなくなってしまうではないか。
 クルーたちの注目の的になっているこの状況の中、こんな赤面ものの発言ができるエースは、なんて強靭なメンタルの持ち主なのだろうと思った。
 ……ああ、これでしばらくは仲間たちから揶揄われる日々が続くことであろう。でも、こうなった原因は少なからず自分の言動にもあるのだろうから、私には不満を漏らす資格は無いのかもしれない。
 この光景をニヤニヤしながら眺めているであろうマルコの存在を思い出した私は、いつかあの男を本気で出し抜いてやると心に誓うのであった。


Title by 夜風にまたがるニルバーナ
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