「なまえはかわいいよなぁ」
「……なんだ、いきなりどうしたお頭」

 突発的に出たおれの言葉に、並んで床に座り込み銃の手入れに勤しんでいたベックマンが、怪訝な顔をしてこちらを向いた。そんなベックマンにちらりと目を向けて、すぐに視線を元の方向へと戻す。それを追うようにして、ベックマンも目線の先へと顔を向ける。
 おれたち二人の目線の先には、甲板の手すりに手をかけて、だだっ広い海をぼーっと見つめるなまえの姿があった。
 海を見つめる女だなんて、その文字の通りに想像をめぐらすと、儚げな様子であったり神妙な佇まいを浮かべてしまうかもしれない。しかし、実際のところ、おれたちが見ているあの女はさっきからずっと口は半開きだし、潮風に煽られてぼさぼさになった髪を直す素振りすらない。
 あの状態のなまえは、大抵何も考えていない。本当にただぼけっとしているだけということを、おれもベックマンも経験上、知っていた。おれからすればそんなところも可愛かったりするのだが、他のクルー達から理解を得られた試しはない。
 ベックマンはそんななまえをしばし眺めて、手元の銃の手入れを再開し始めると、「まぁ……、可愛いっちゃ可愛いのかもしれんが、あれはただのアホ面だな」とにやつきながら言い放った。

「なに! 確かにちょっとマヌケな顔だが、可愛いだろうが!」
「それあんまりフォローになってないぞ」
「あいつはどんな男が好きなんだろうなァ。お前、そういうの何か聞いたりしてねぇか?」
「そんなのはおれじゃなくて本人に聞いてやれよ……女々しいぞ、お頭」

 呆れたように眉を下げるベックマン。その言葉に、確かに人づてにだなんて男らしくないなと納得する。
 かと言って、いい歳した男が自分よりそこそこ年下の女に「どういう男が好みなんだ?」と面と向かって訊ねるには、乗組員一同からの横槍と冷やかしに耐えなければならず、己のメンタルを削る覚悟が必要になってくる。
 とは言え、おれはなまえに対して、好意的な行動を示したことがないわけではない。歳が離れていようがいまいが、愛おしいものは愛おしいのだから、何度だって“そういった”言動で接してきたつもりだ。
 しかし、なまえは好意を含んだおれの言動に対して、あまり興味を示そうとしなかった。
 その理由の一つとして、相手が他ならぬおれだから、という要因が考えられる。自身が身を置く海賊団の船長ともあろう男が、よりによって『ただの船員のひとりに過ぎない女』に本気で言い寄ってくるはずがないと、なまえはそう思っている節がある。要するに、おれの言動をいちいち真に受けていないのだ。

 そんなことを悶々と考えているうちに、いつの間に近寄って来たのか、数メートル先で海を見ていたはずのなまえが、おれたちのすぐ側で突っ立っていた。相変わらず特に何も考えていなさそうな様子で、海を見つめていたときと同じように、おれたちのことをぼーっと見つめている。
 なまえの視線に気付いたベックマンは、彼女に笑いかけると、潮風に煽られて乱れた髪の毛のことを指摘してやっていた。
 「ほんとだ」と呟き、乱れた髪を手ぐしで整え始めるなまえ。その様子をおれはぼんやりと眺める。

「…………」
「シャンクス、何そのバカっぽい顔」
「……! なっ……」
「シャンクスって戦ってるときとかは勇ましいのに、普段はマヌケなとこあるよね」
「マヌケなのは、」

 お前のほうだろう。そう続けようとしたところで、「確かに」とベックマンがなまえの言葉に同意するかのようにくつくつと喉を鳴らした。
 年甲斐もなくムッとしそうになるが、ここで拗ねたりでもすればまたからかわれそうだし、何より大人げないのでやめておいた。
 だが、言われっぱなしで黙っているおれではない。なまえが戦闘中のおれを、一応は頼もしく思っている……かのような言い方をしたことを、おれは聞き逃さなかった。
 胡坐を崩して立ち上がり、ベックマンと一緒に笑っているなまえのもとへ歩み寄ると、ぴたりと目の前で立ち止まる。立ち上がってしまえば、当然おれよりも目線が低くなるなまえ。今度はおれがなまえを見下ろす形となる。
 途端に顔を強張らせるなまえに対し、おれは心の中でにやりとほくそ笑んだ。

「え……、な、なに? 怒った?」
「まさか。おれがお前なんかの言葉で怒るか」
「むっ」
「それよりなまえ、普段外のおれはそんなに勇ましいのか?」
「えっ」
「頼もしく感じるか?」
「……え、えーっと、」
「お前の目に格好よく映っているのか。そのときのおれってのは」

 思いがけない矢継ぎ早の質問に、返答に詰まったのだろう。なまえはおれを見上げたまま、固まってしまった。その様子を見ていたベックマンが、小さく吹き出すように笑みをこぼした。
 少しばかり調子に乗って「格好よく映っているのか」なんて気取った発言をしてしまったが、いつもおれの言葉をさらりと受け流してしまうなまえが相手だ。少々強気に出るくらいが丁度いいだろうと、自分に言い聞かせる。
 昨日までのおれなら、こうして慌てふためいているなまえを、更に追撃するようなことはしなかっただろう。しかし、ここで毎度のように「そういうところも可愛い」だとか熱意を与えられない台詞を言い放ったところで、またかわされてしまうのが目に見えている。
 何より、この状況におれの中のサディズムがくすぐられているので、その勢いに下手に抗うことはせず、素直にこのまま攻めに入ることにする。

「どうなんだ? なまえ」
「な、何この人自分でかっこいいとか言っ」
「そこには触れなくていい。質問に答えてくれ」

 話を逸らそうとするなまえの言葉を、ぴしゃりと打ち切る。すると彼女はさらに戸惑いを隠せない様子で、目を泳がせた。見るからに焦っている。きっと、頭の中で必死に逃げ道を探しているのだろう。
 そんななまえを見下ろしながら、おれは“今こそ”そう簡単に逃がしてたまるものかと、ひとり意気込む。もう一押ししてやろうと次の台詞を考えていたところで、おれとなまえの攻防を傍観していたベックマンが口を開いた。

「お頭、もうそれくらいにしてやれよ」
「――何?!」

 これは予期せぬ展開だった。おれがまともになまえに言い寄るところを、この男は手助けはしなくとも、黙って見て見ぬふりくらいはしてくれるだろうと思っていたのだが。
 せっかく良いところだったのに……と落胆の目を向けるおれと、その隙を突いたように「今だ!」と大きく声を上げてベックマンの背後に滑り込んでゆくなまえ。なるほど、逃げ足だけは速かったか。

「ベックマン、あの人恐ろしいよ助けて」
「…………はぁ」

 なまえは背後からベックマンの両肩に手をかけて、自分よりも大きなその体をがくがくと揺さ振りながら助けを乞うている。
 しかし、ベックマンは特に動じるわけでもなく、それどころか溜め息を漏らして項垂れているおれの様子が面白かったのか、愉快そうに笑い出す始末である。そんなベックマンにすかさず「笑ってる場合じゃないから!」となまえが突っ込む。……おれもそう思う。

「まぁそう言うななまえ。お頭はな、お前のことが気になって気になってしょうがないんだとよ」

 ベックマンの宥めるようなその言葉に、なまえはぴたりと動きを止めた。そして意味がわからないとでも言いたげに眉間に皺を寄せ、「は。何それ」と首を傾げている。
 そこも全くの同意見である。突然何を言い出すのか、この男は。思わず眉を顰めてベックマンを見下ろすと、まるで何かを企んでいるかのような、曰くありげな表情がおれの目に映った。

「なのにお前がお頭からのアプローチを無下にしたりするから、こうなるんだよ」
「別に無下になんてしてないし」
「なんだ、気付いてはいたんじゃねェか」

 意表を突かれたのか、「うっ」となまえは言葉を詰まらせる。
 それは、思いも寄らないベックマンの反撃だった。反撃と言うより、これはもしや、おれへの掩護射撃と思ってもいいのだろうか。
 ……それはともかく『アプローチ』だなんて小っ恥ずかしい言い方をされると、おれの威厳だとか、そういった類のものが半減してしまいそうで嫌なのだが。しかしまぁ、決して間違ってはいないので、とりあえずは黙っておく。
 相変わらずにやりと口角を上げたままのベックマンが、薄っすら勘付いておきながら何故知らないふりをしていたのか? と問い詰めるが、なまえは何も言わなかった。ただ、口には出さなくとも、いかにも不服そうな面持ちでおれを睨みつけてくるものだから、その目つきに困惑したおれは「なんだ」と疑問を投げかける。

「……。だって」
「?」
「だってシャンクスの“かわいい”はそういうのとは違うんだろうと思ったから」
「……。いや。おれは本気なんだ」
「えー誰にでも言ってそう」
「はっはっは。……オイこらなまえ」
「はい」
「お前はおれのことをそんなふうに思ってたのか……」

 それがたとえ本心ではなかったとしても、なまえの何気ない一言には、度々ぐさりと心を突き刺される。普段はぼさっとしているくせに、余計なことだけはしっかり指摘してくるから厄介である。
 そもそも、おれがいつそんな軽薄な行動をとったと言うのだろう。若い頃のおれならばさておき、今のおれは誤解を招くような行動は慎んでいると断言できる。そう主張するものの、それでもまだごにょごにょと言葉を濁すなまえ。
 うーむ、これでは埒が明かない。

「よし、わかった。なまえ、こっちに来い。証明してやる」
「やだ怖いし」
「なら力づくでわからせるしかねェな。おれと一戦交えるか?」
「何を証明する気?!」
「安心しろ模擬戦だから」
「そういう問題じゃありません勘弁してください」
「いくぞ」

 なまえの制止を無視して、腰元の剣の柄に手をかける。
 おれが一歩脚を踏み込んだところで、なまえは一瞬ぎょっと目を丸くした後、反射的に瞼を閉じた。その隙を突いてベックマンの背後にいるなまえのもとへ駆け寄り、一気に間合いを詰める。

「……!!!!」

 なまえの目の前まで詰め寄ったおれは、剣の柄から放した手を彼女の後頭部に回し、その小さな頭を優しく引き寄せる。
 そして、何事かとなまえが目を開いた瞬間、未だ触れたことのない彼女の唇にそっと自分の唇を重ねた。
 目を見開いたまま硬直するなまえに構うことなく、数秒おいてからゆっくりと唇を離してやる。すると、息のかかる距離にあるおれの顔を目にするや否や、なまえは涙目になりながら声にならない声を上げた。

「おれの名誉を傷付けたのと、おれの思いをとぼけ続けていた罰だ」

 まさかこんなことをされるとは思ってもみなかったのか、悪戯な笑みを浮かべたおれがそう言い放つのとほぼ同時に、なまえは床に倒れ込んでしまった。それも、倒れ込んだと言うより、ぶっ倒れたという表現のほうが正しいであろう勢いで。
 ベックマンとともに慌ててなまえの顔を覗き込む。どうやらなまえはそのまま気を失ってしまったようだった。しかも薄っすらと白目を剥いて気絶しているものだから、その顔を目にした瞬間、おれもベックマンも盛大に噴き出した。

「な? やっぱりアホ面だろ」
「そ……そうだな……ククク」
「まさか気絶しちまうなんてな」
「ああ。……やれやれ、この調子じゃあもう少し時間がかかりそうだ」

 先ほどのベックマンの言葉に同意せざるを得ないくらいのアホ面を見下ろしながら、おれはそう言った。
 例えばこれから先、関係の進展にいくら時間を要することになったとしても、今この時からなまえは嫌でもおれのことを意識するしかなくなったわけなのだから、文句は言うまい。きっかけをくれた今日という良き日に、今はただ感謝をしようではないか。
 銃の手入れを終えたらしいベックマンが、「目覚めたなまえの反応が楽しみだな」とおれに笑いかける。その不敵な笑みを見て思ったのだが、このベン・ベックマンという策士な男……やはりこいつはどこまでもよく出来た副船長である。


明日を愛する今がきた

Title by 草臥れた愛で良ければ
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