もう、いくつの別れを見送ってきたのだろう。
 別れの間際にはいつだって、紡いだ糸がぷっつりと切れるような、はたまた自分が雪原に取り残されてゆくような、そんな感覚に囚われる。
 私は、いつまで経ってもその妙な感覚に慣れることはない。決して慣れることはないけれど、それでも私たちは耐性を持たねばならないのだ。私たちの生きる道の最中には、別れの数が多すぎるから。
 そうして私はまたひとつ、別れを見送る。

「もう行っちゃうんだ」

 今にも消え入りそうな声でそう言った私の頭に、ぽん、と大きな手が乗せられる。

 東の海のずうっと外れに位置する、小さな孤島で生きている私たち一族は、長寿の一族である。長命の者で千年ほど生きると言われている私たちは、長い歴史の中でいつからか“異邦人”と呼ばれるようになっていった。
 その呼び名は我々を苛むと同時に、哀れみさえも込めた呼び方だということを、私たちは知っている。さらにはその哀れみが、私たち一族がこの島でしか生きることのできない、捕らわれた血筋に対するものだということも、私たちは知っている。

「世話になったな」
「………………」
「なまえ、そういうときはこちらこそ、とか何とか言うモンだぜ」

 頭に置かれた大きくてごつごつとした手に、自分の手をそっと重ねる。手のひらから伝わる優しい体温を感じながら目線を少し上げると、これまた優しい笑顔で私のことを見下ろす赤い髪の男と目が合った。

 私たち一族が異邦人と呼ばれるようになった理由は、普通の人間にはない、一族特有の体質にあった。
 その特異体質とは、ただ単に長寿であるというだけではない。長寿というのも、所謂“条件付き”なのである。私たちは、この島中に行き渡る水を摂取しなければ生き続けることができない。
 代々受け継がれている言い伝えによれば、一族は、空から降り注ぐ雨がこの島の土によってろ過され飲み水となったものを、定期的に口にし続けなければならないと言う。なんでも定期的にその水を摂取せずにいると、我々の細胞は早々に老化し、見てくれも急激に老いて、その後わずか数日で死に至るとのことだ。
 つまり、この島の地を経由した水分は、私たちの生命そのものだと言っても過言ではない。長寿の私たちが、もし自然の流れで早死にすることがあるとしたら、それはこの島を離れたときか、島中の水が干上がったときだけである。
 これらの理由は、未だ解明することができていないという。この島の土が特殊なのか木々が特殊なのか、はたまた空気が特殊なのか、それすらもわかっていない。

 一族の他の者たちが、この体質について何を思って生きているのか? そんな疑問を抱いたこともあったけれど、私はそれをわざわざ口に出したりはしなかった。だから、いつまで経ってもその疑問の答えは見つからない。
 私自身は、この体質を持って生まれたことを、ずっと恨めしく思っていた。どうして私がこの島に縛られて生きなければならないのかと、いつも疑問に思っていた。
 長生きなんてしなくていいから、もっと色んな世界を見てみたい。たくさんの人たちと関わってみたい。そう主張したところで、この島の人間たちは皆口を揃えて諦めなさい、と私を諭すだけである。
 自分の夢に聞く耳を持とうともしない、周囲の人間とこの環境全てに、私は心底うんざりしていた。
 この島と一族の関係性は、まるで呪いのようだ。つまらない毎日を繰り返しながら何百年と生かされ続けるくらいなら、もういっそのこと自ら命を絶ってしまおうかと考えたことすらあった。

 そんなとき、突然この島にシャンクスはやって来た。

「おれたちがいなくなったら、寂しいか?」
「…………。……どうだろう」

 シャンクスたちがこの島へとやって来て数ヶ月。最初こそ、私以外の島の人間たちは、露骨にシャンクスたちを追い返そうとする動きばかり見せていた。ところが、そんな一族の態度に彼らは一切逆上することなく、温和な心で気長に歩み寄る姿勢を見せてくれていた。
 そんな彼らに、島の住民たちは今ではもうすっかり心を許している。それはこの島の歴史上、とても珍しいことだった。
 島の人間たちの心をここまで変化させたシャンクスたち海賊団に、私はあっという間に夢中になった。
 私が一日の間に何度話しかけても、彼らは誰ひとり嫌な顔を見せることなく、島の外の世界のことをいっぱい話してくれた。朝起きたらすぐさま家を出て、海沿いに停泊しているシャンクスの船へと駆け出し、夜が更けるまでずうっとシャンクスたちの側を離れなかった。
 私が見たことも触れたこともない世界を生きるシャンクスたちの脚色のない冒険談を聞いていると、まるで終わりのない寓話を読み聞かせてもらっているみたいで、私は楽しくて楽しくてしょうがなかった。

「なんだ。素直じゃねェなァ」
「……うん」
「ははっ。まぁ、その顔を見りゃ聞かなくたってわかってやれるがな。おれだけは」

 それは、とても意味深な言葉のように思えた。
 私たちは、長寿ゆえに人よりも多くのことを知り、多くを見る。だから、その長い人生の途中でへこたれたしまわないように、多くを語らず、感情もあまり表に出すことがない。それには、人が言う『体力の温存』という言葉と非常によく似た意味合いがある。
 人とよく似た形をしていながら、何かが、どことなく人と違う。その異質な違和感は、元来私たち一族と共存し助け合って生きてきたはずの“普通の人間たち”に、いつしか不気味な印象を与えてしまうようになっていた。そうしていくうちに、先駆けが何者だったのかはわからないが、人間たちはある日を境に一族の存在を受け入れることを拒絶するようになったという。
 自分たちは、伝説の海の悪魔の化身と呼ばれる果実と似たような存在なのだと、私がまだ幼かった頃、おとぎ話を交えながらよく両親に言われたものだ。
 一族が平和に生きるためにも、自分たちは余所者とは極力触れ合わず、人の世の中で伝説としてひっそり語り継がれてゆくだけでいい。
 そうやって私たちは生きている。

「…………で」
「ん、なんだ?」
「……行かないで」
「…………」
「ずっと一緒にいて。ずっと面白い話を聞かせて」

 ここまでずっと伝えることを我慢していたシャンクスへの思いが、既にいっぱいいっぱいのグラスに注がれた水のように溢れ出す。さっきまで鮮明に捉えていたはずのシャンクスの赤髪が滲んで、ぼろぼろと零れ落ちる温かい水滴が自分の頬を濡らしていく。
 私は人里離れたこの場所でひっそりと暮らしていくべきだ。だから、シャンクスのことも、いつものように手を振って見送ろう。そう自分に強く言い聞かせてきたはずなのに、引き留めてはならないと思えば思うほど、溢れ出る涙が止まらない。
 シャンクスと一緒に過ごす時間が、いつの間にかそれだけ私にとって大きな支えとなっていたことを思い知らされる。

「少しばかり我儘なところがあるな。なまえは」
「…………ごめんなさい」
「いいんだ。それだけ心を開いてくれたってことだろう?」
「……うん」

 こくこくと何度も首を縦に振る。
 この地を離れることですぐに死んだって後悔はないから、私も一緒に連れて行ってほしい。間接的に世界を知るのではなく、シャンクスたちと一緒にもっといろんな景色をこの目で見たい。そんな台詞が次々と浮かんできても、言葉にすることはできなかった。
 だって、言葉にしてしまえば、大好きなシャンクスたちを困らせてしまうとわかっているから。
 声を出さずにぱくぱくと小さく口を動かす私を見て、シャンクスは悲しそうに目を細める。

「なまえ」
「……ん」
「残念だが、おれたちはここに残ることはできねェよ」

 成し遂げなきゃならないことがある。シャンクスはそう続けて言った。
 その決意の眼に、私は釘付けになる。強い意志を含んだような、そんな眼の色を私はこれまで一度も見たことがない。
 絶え間なく零れ落ちていた涙が、ぴたりと止まった。同時に、シャンクスが去って行ってしまうことを言い訳にして、無意識にうずくまってしまいそうになっている自分自身にはっとする。
 これでは結局シャンクスに甘えているだけではないか。自分の浅はかな思考に打ちひしがれ、私は思わずぎゅっと目を瞑る。両腕の拳に力が入り、自身の爪が手のひらに食い込む感触がした。
 しかし、その握り締めたはずの両腕の拳は、すぐに力が入らなくなってしまった。シャンクスが優しく包み込むように、私の体を抱きしめるから。

「……っ、え、?」 
「だけどもし、お前がおれのことを忘れずにいてくれるのなら」
「え、……ぇ、シ、シャンク……」
「おれはまたここに戻って来ると約束する。お前がこの島を離れるための術を連れて」
「……!」
「だからもう泣くな」

 その言葉に、再びじんわりと目に涙が滲んだ。
 私が一番喜ぶ言葉を吐いておきながら、泣くなと言われても無理がある。
 私がこの島を離れるための術。――そんなもの、本当に実在するのかもわからない。わからないけれど、シャンクスがそう言うのなら信じたいと思った。
 根拠の無い口約束なんて私の一番苦手なもののはずなのに、明確な根拠が無くとも、不思議とシャンクスの言葉だけは私の希望へと変化する。
 この人のことを、待っていたいと思った。けれどシャンクスの心に、その存在に、寄り掛かりきりになってしまってはいけない。自分の足で立って、シャンクスが与えようとしてくれているものに見合った何かを、私もシャンクスに与えられるようになりたい。
 彼らの為に、私ができることは何だろう。長い時を生きる私にしかできないことって、どんなことだろう。

「待っててくれるか」
「……うん」
「そうか。ありがとうな」
「世界のことを、たくさん勉強して……学んで、たくさん役に立つことを知りながら、待ってる」
「ああ。おれたちが知らねェこと、なまえが学んだことを、教えてくれるのを楽しみにしてる」
「……うん」
「次に会ったとき、待ちくたびれたって怒らないでくれよ」
「大丈夫。長生きだから」
「ぶはっ」
「なんで笑うの」
「だってお前……。散々長生きするの嫌だって言い張ってたのに」

 けらけらと笑うシャンクスを睨みつける。それでも私に向けて返ってくるものは、温もりを感じさせてくれるような、優しい眼差しだけだった。
 そんなシャンクスの目をじっと見つめ返して、私はゆっくりと彼の胸に顔を埋めた。シャンクスの背中に回した両腕に力を込めて、私よりも随分と大きなその体を抱きしめ返す。
 まるで返事をくれるかのように、シャンクスの片腕にも力が込められて、私の耳と彼の心臓の距離が近くなる。どくん、どくん、と伝わってくる心音は、私の心臓から響いてくるそれと全く同じものだった。
 じゃあ、またな。優しくてあたたかい声色とともに、私の体から彼の体温が離れていく。涙が溢れ出るのは、もうしょうがない事象だと思って諦めよう。
 そうして私はまたひとつ、別れを見送る。


さ よ う な ら を 数 え る 癖
そんなもの、もうやめてしまおう。


Thanks カカリア , 或子
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