「あ゛?」

 唸り声と聞き違えてしまいそうなくらいの低い声に、思わずびくりと身体が跳ねる。
 ナックルスタジアムの控え室の中、トレーナー達が利用する横長のベンチに腰を下ろし、本人曰く「自慢」だという長い脚を組みながら、男はぎろりと私を見上げた。せっかく宝石のように美しいマリンブルーの瞳も、こんなに厳つい表情をされてしまっては、ただの獰猛な獣の眼光にしかなり得ないのではないだろうか。
 反応に困り、黙ったままベンチの前で立ち尽くす私を見て、このスタジアムの主――キバナはいっそう鋭い眼光を放つ。いや、そんなに凄まれましても……。

「オマエ今なんて言った?」
「え、だから、無理だって」
「いやいやいや。何言ってんの?」
「え……だから、」
「まず断るとかナシだから」

 脚を組むだけでは飽き足らず、ベンチに手をついて偉そうにふんぞり返っているキバナの姿を見て、いやいやあなたこそ何言ってるの? と問いただしたい衝動に駆られる。
 この男の幼馴染であり、リーグスタッフでもある私だからこそ、キバナのこんな傲慢極まりない態度を見たところで何とも思わないけれど、数多くいるこの男のファンが見たら、皆は一体どう思うのだろうか。SNSで全世界に発信している甘いスマイルとは180度異なる目の前の男の表情を見下ろしながら、私は大きく溜め息をついた。

「あのさ、まず、さっきの台詞をもう一回言ってもらえる?」
「はあ?」
「いいから言ってってば」
「だから、オレさまと付き合えって」

 はあ? とは、まさにこちらの台詞である。
 上司から言い渡された出張命令で、勤務地であるシュートシティを離れて数日。仕事の合間にナックルシティに立ち寄り、久々に顔を見に来てやったというのに、早くも脈絡の無いキバナの言動に振り回されている。
 バトルを終え、控え室に戻って来るキバナを待ち伏せしていたところまでは良かったのだが、キバナが私の姿を目にするなり開口一番に「オレと付き合え」などとぬかすものだから、バトル中に頭でも打ったのか? と私は困惑を隠せなかった。
 それを“タチの悪い冗談”だと受け取った私が適当に話を受け流していると、キバナはバトルで流した汗をタオルで拭いながら、不服そうな面持ちで私のことを睨み付ける。そして如何にも『機嫌を損ねました』とでも言いたげな様子で、どかりとベンチに腰を下ろすと、私に向かって「本気だからな」と念を押すように言った。

「え……。ごめんなさい」

 本気だと言うキバナの発言に対して、半ば反射的に私の口から出た言葉は、謝罪の言葉だった。
 そして、冒頭のやり取りに戻るのである。

 キバナの言葉を仮に本気と捉えるなら、要するに、私は告白をされたということになる。でも、残念なことに、私はいまいちピンときていなかった。
 その理由として、まず第一に、話が唐突すぎる。キバナがジムリーダーとなり、お互い忙しくなって、昔よりも顔を合わせる時間が減ったとはいえ、それでもたまには一緒に食事に行ったり、こうしてバトルの応援に駆けつけたり、対面する機会は幾度となくあった。
 つい1ヶ月ほど前だって、長らく悪天候が続いていたげきりんの湖の調査の為に、二人で数日間ワイルドエリアに潜りっぱなしだったはずだ。二人きりで過ごす時間は十分あったはずなのに、その間、一度もキバナはそんな素振りを見せなかった。
 そして次に疑問なのは、目の前のキバナの態度である。さっきから話は一方的だし、一体何に対して怒っているのか知らないけれど、見るからに虫の居所が悪そうだ。普通にしていれば愛らしい垂れ目も、今は射るような眼差しになっている。――これが、仮にも異性に告白をする時の態度だろうか。
 経緯もキバナの本心も全く見て取れないままの状態で、告白なんてされたところで、答えはノーに決まっている。私は再び呆れ気味に溜め息をついて、「特段好きでもないくせに、軽々しく付き合えとか言わないで」と、出来るだけ冷たい声色で言った。

「好きだから言ってんだけど」
「……はあーー?? 初耳なんですが?」
「そりゃそうだろ。言ってねーもん」
「何その屁理屈。かっこわる」
「おま、オレさまがカッコ悪いわけねぇだろ。ガラルのトップジムリーダー、キバナさまだぞ?」

 ちろりと赤い舌を覗かせて、あからさまに煽るようなことを言うキバナ。
 そんなやっすい挑発に乗るつもりなんて、毛頭なかった。けれど、不得要領な話ばかりで憤りを募らせた私は、わかりやすく引き攣っていく自身の表情筋を止められそうにない。
 結局、この男は何が言いたいのだろう。イライラする感情を抑えながら、率直に浮かんだ疑問を投げかける。

「じゃあなんで、今このタイミングで言おうと思ったのよ」
「オマエがオレを焦らせるようなことを言うからだろ」

 今の今まで意地の悪そうな表情をしていたキバナが、急に不貞腐れたような表情へと変わる。むすっと口をへの字に曲げて、怪訝そうに目を細めながら、キバナはそう言った。
 その台詞に、私の頭の中にクエスチョンマークが浮かび上がる。何故なら、『キバナを焦らせるような発言』なんてした覚えがないからである。全く心当たりが無い上に、そもそも私とキバナは1ヶ月ぶりに会ったのだ。会ってもいないのにいつそんな会話をしたのよ……と事実無根を訴えると、キバナはぶんぶんと首を左右に振る。

「いーや。オレさまは聞いたぜ」
「さっきからさっぱり意味がわからないんだけど、あなたは一体何の話をしているの?」

 いよいよ本気でキバナの考えていることが汲み取れなくなり、私は素直に尋ねることにした。
 何の話? と改めて聞いてみると、キバナは少し気まずそうな顔をして、私から視線を逸らした。ここまできて肝心なことを言い淀んでいる彼の様子に、私の疑問はますます深まるばかりだ。
 先ほどまでの饒舌な男はどこに行った? と思うほどに、静かになったキバナ。相変わらず視線は斜め下へと逸らされ、控え室の床を意味もなく見つめている。
 発言を促すようにぺしん、とキバナの脚を軽く叩くと、彼は「何すんだよ」と小さな声で呟いた。

「そうやって黙ってるなら、私、もう帰るからね」
「帰るなよ」
「じゃあ黙ってないで何か言ってよ」
「……バトルタワーで、」

 ぼそっと、まるで独り言のようにキバナは言う。
 心なしかしゅんとした様子にも見えるキバナに、少年の頃の彼の姿が重なる。ふと昔の記憶が思い起こされ、今のキバナのこの態度に既視感を覚えた。そう言えば、昔から彼がこのような態度をとる時というのは、決まって『素直になれない時』だったように思える。
 先ほどまでの威勢の良さとは打って変わって、すっかり覇気の感じられなくなったキバナの声に、私はじっと耳を傾ける。しかし、黙って次の言葉を待ってみても、キバナはなかなか言葉を続けようとしない。
 耐えかねて「バトルタワーが、何?」と詰め寄るように尋ねると、キバナは薄っすらと遠慮がちに唇を開いた。

「……オマエの勤め先」
「ええ、知っての通りですけど。それが?」
「オマエの勤め先で、えらく目立ってる男がいるらしいじゃねーか」
「…………。目立ってる?」

 はて、と首を傾げる。私がリーグスタッフとして勤務しているバトルタワーで、目立っている男。それは一体、どの人物のことを指しているのだろうか。
 毎日絶え間なく訪れる挑戦者たちと、幾度となく繰り広げられるバトルの光景を思い出しながら、私は考えた。ぱっと浮かんだ人物と言えば、シングルバトル部門、ダブルバトル部門の双方において、ここ最近で急激に功績を上げているホップくんだ。彼はバトルタワーのオーナー・ダンデの弟ということもあり、瞬く間にその名を知らしめている。私たちリーグスタッフも驚くほどの勢いで成長し続ける彼の姿は、まさに『バトルタワー中で目立っている』と言えるだろう。
 ――しかし、ダンデのことをライバルと称するキバナは、当然昔からホップくんの存在を知っている。よく見知ったダンデの弟のことを、キバナがわざわざ『目立ってる男』なんて回りくどい言い方で例えるわけがない。となれば、ホップくんの他に、ここナックルシティまで知れ渡るほど目立っている人物がいるということになる。
 そこまで考えても、頭の中に思い当たる人物が浮かぶ気配はなく、私は眉根を寄せる。

「テレビで見たんだよ」

 悶々と思考を巡らせる私を見かねてか、キバナがしぶしぶ口を開いた。床を捉えていたはずのその視線は、いつの間にか私の顔へと向けられている。

「オマエ、この間インタビュー受けてただろ。スタッフ枠で」
「……あぁ!」

 キバナの言葉にようやく合点がいった私は、ぱん! と胸の前で手のひらを重ね合わせる。
 そう、つい3週間ほど前だろうか。『トレーナーを求めて』という番組の生放送で、バトルタワーにはカメラを担いだ記者たちが多数訪れていた。その時、今最も注目されている若手トレーナーとしてレッドという青年が取り上げられ、バトルタワーでも圧倒的な存在感を見せるその強さについて、「リーグスタッフから見た印象を語る」ということで、インタビューを受けたのだ。すっかり忘れていた。
 生放送当日は現場でこなすべき業務の量が多すぎて、慌ただしい中カメラに向かって発した言葉なんて、正直あまり覚えていない。確か「レッド青年の実力は抜きん出ていると思う。これからの活躍も楽しみ」みたいなことを言ったような気がするが、定かではない。

「あの番組、観ててくれたの?」
「……観た」
「嬉しい。ありがとう」
「…………」
「それで? あなたが怒っていることと、あの番組は何の関係があるの?」
「別に怒ってねぇよ」
「あ、そう。じゃあその顔は何なの」
「その顔って、どんな顔だよ」
「不貞腐れてる」
「…………」
「もー。そうやって黙ってばっかりなら、私、本当に帰るからね」

 またもや口を閉ざすキバナを前に、私は再び溜め息をついた。
 不貞腐れている理由を教えてくれることもなく、まるで子供のようにむっと唇を引き結ぶキバナを見て、この人はこんなに幼稚な態度をとる男だっただろうか……と肩を竦める。ドラゴンストームの名が、聞いて呆れそうである。
 このままでは埒が明かないと判断した私は、その場で踵を返し、せっかく会いに来た幼馴染に自ら背を向けた。「じゃあね」と自分でも驚くほどに素っ気ない声で言い放ち、ひらひらと右手だけを振る。

「帰るなって」

 控え室の入り口に向かおうと、一歩足を踏み出した時。左手首に熱い温度が伝わってくるのと同時に、ぐんっ! と強い力で腕を引かれて、私の身体は大きく後ろに傾いた。

「わ、!」

 抵抗することもままならず、重力に従って後方へ倒れ込みそうになった身体を、キバナの大きな胸板によって受け止められる。ばふ、と鈍い音を立てて触れた衣服の先に、雄々しい心臓の鼓動を感じた気がした。
 唐突な出来事に受け身を取ることができず、不本意ながら、自分の全体重をキバナに預ける体制となってしまった。しかし、全体重をかけても少しも揺らぐことのないその体幹に、まざまざと“雄”を感じてしまう。昔は背丈も体重も私とそこまで変わらなかったはずなのに、いつの間にこんなに男らしくなっていたのだろう。
 服が擦れる音とともに視界に入り込んできた褐色肌の腕が、躊躇うことなく私の首元を包み込む。

「き、キバナ」
「んー」
「何してるの」
「捕まえてんの」

 まるで言い聞かせるかのように耳元で囁かれ、ぞわりと肌が粟立った。
 「捕まえてる」などと言いながら、私の身体を包み込むキバナの腕に込められた力は、そこまで強くない。振り解こうと思えば簡単に解けるはずなのに、そうしようとしない私は、一体キバナに何を期待していると言うのだろう。
 ここはリーグチャンピオンを目指すトレーナーたちが集う関門、ナックルスタジアムの控え室。そんな由緒正しき場所で、ジムリーダーであるキバナがこんなことをして。誰か来たらどうするの、と私が呟くと、キバナは「なまえのせいにする」とこれまた子供みたいなことを言い出した。

「何で私のせいになるわけ」
「言わせたいのか?」

 挑発するかのようなその言葉に、私はむっと顔を顰めた。
 背後にいるキバナが今どのような表情を浮かべているのか、視界に捉えることはできなくても、なんとなく想像することができる。きっと、バトルが始まる直前に見せる、相手を煽り立てるような表情をしているに違いない。

「じゃあ、まずはオレさまが拗ねてる理由を教えてやるよ」
「……なに?」
「インタビューで、オマエ、あのレッドとかいうトレーナーのことをカッコいいって言ってた」
「い、言ったっけ、そんなこと」
「言った」
「……え、まさかそんなことで拗ねてるの?」
「んー」

 肯定しているのか否定しているのか、よくわからない反応が返ってくる。どっち……? と疑問に思っていると、不意に肩口にキバナの顔が埋められて、びくりと身体が強張った。

「それなのに、さっきはオレさまのことカッコ悪いとか言いやがって」

 くぐもって響いてくるその声は、わかりやすく不満を表していると言うか、どう聞いたって嫉妬を孕んでいるようにしか聞こえない。
 あの番組を観てくれていたことも驚きだが、インタビューに応じた私の一言、それも大半の人間は社交辞令として捉えるであろうコメントに、キバナがここまで心をぐらつかせているなんて思いもしなかった。
 私の肩口に顔を押し付けるキバナは、なんだか甘えているようにすら思える。こんなに近い距離でキバナの存在を感じているだけでも心臓に悪いと言うのに、すりすりと肩口に額を擦り付けられて、高鳴る鼓動を抑えることができない。

「オレさまが一番カッコいいって、すぐに言わせてやるからな。そしたらオレと付き合えよ」

 挑戦的な台詞には似つかわしくない、やけに熱を感じるその声に、私は思わず目を見開く。
 どんな言葉を返せばいいのかわからないまま硬直していると、ゆったりとした動作で、大きな腕に包み込まれていた身体が解放される。後ろを振り返ってキバナのことを見上げると、いつもだったら自信に満ち溢れているはずのその顔は、これまで見たことがないほど、真っ赤に染まり切っていた。


Title by ワクチン
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