※現パロ


 くるくるくる。指先で踊らせるかのようにペンを回しては、机の上に落とす。ペンを落下させる度にカタン! と軽快な音が教室に鳴り響き、この空間の静けさを知らしめているようだった。
 回しては、落とす。その動作を数回繰り返した後、みょうじは「もう飽きた」と言わんばかりに眉を寄せると、大きく欠伸をした。
 まったく、今は補習中であるというのに、良い度胸である。

「こら、みょうじ。集中しろ」

 普段よりも少し声のトーンを落として、教壇の上から彼女の態度について指摘をする。
 遅刻魔の生徒として、このキメツ学園で名を馳せている彼女――みょうじなまえ。3年生にもなって「早起きができない」と嘆く彼女は典型的な“勉強嫌い”で、俺が受け持つ歴史は、特に苦手な教科であるようだった。
 と言うのも、俺は彼女の学年が1年生頃から歴史の授業を受け持っているのだが、みょうじは入学当時から今の今まで、歴史のテストはほとんど赤点だったと記憶している。ここまで赤点を連発されてしまうと、逆に赤点じゃない時のほうが心配になるくらいである。
 故に、彼女と共に行う補習は、累計で何回目になるのかわからなくなるほどに回を重ねていた。
 しかし、ここまで地道に回を重ね続けた歴史の補習も、今日で最後となる。この補習期間が終われば、みょうじたち3年生は卒業を間近に控えている。

「集中してまぁす」
「しているように見えないぞ」
「先生が勝手にそんなふうに解釈しているだけでしょ。ノートもとってるし。ほら」
「……ふむ、確かに」

 むっと眉間に皺を寄せながら、みょうじは俺に向けて机の上のノートを突き出して見せた。
 教壇から降りて、みょうじが座る席へと近付き、突き出されたノートを手に取って見てみる。
 開かれたページには、少し丸みを帯びた女性らしい文字が連なっている。それらを端から端まで目で追っていくと、確かに、今日の課題の要点として上げた項目はしっかりとまとめられていることが見て取れた。
 俺が「確かに」と納得の声を漏らすと、みょうじは得意げに笑みを浮かべて見せる。かと思えばすぐにその笑みは消え去り、みょうじはくあぁ……と動物のそれのような声を上げながら、再び大きな欠伸をした。

「ねー、もう今日の分は終わったんだからさ、一緒に購買でも行こうよ」
「行かない」
「先生つめた」
「みょうじ。今日の補習は君一人だけとはいえ、腑抜けすぎだ」

 効率を考えて、いつもは複数名の生徒を対象にまとめて補習を行うことのほうが多いのだが、今日の補習の対象者はみょうじひとり。
 つまり、今回は俺とみょうじのマンツーマンでの補習である。

「腑抜けてませーん」
「そうか」
「噛み締めてるんですー」
「? 何をだ?」

 みょうじは意味深な言葉を口にするや否や、にやりと口角を上げて、俺の顔を見上げた。俺はその言動の意図が汲み取れず、首を傾げる。
 そうして視線が絡み合うのとほぼ同時に、みょうじは俺の手元から自分のノートを奪い取ると、パタリと音を立てて開いていたページを閉じた。
 みょうじの行動の真意が、ますますわからなくなる。俺は黙り込んだまま、彼女を見下ろすことしかできなかった。

「鈍いなぁ」
「……。どういうことだろうか」
「私、補習が“一人だから”こんな態度をとっているんじゃないよ」
「?」
「煉獄先生と、二人だからだよ」

 そう言って、みょうじは真っ直ぐに俺のことを見つめていた。相変わらずその口元は楽しげに弧を描いている。何か化粧品を塗っているのだろうか――その唇は艶々と輝いていて、不覚にも、釘付けになってしまう。
 はっと我に返った時には、もう遅かった。彼女を見下ろしたまま硬直しっぱなしの俺の様子がよっぽど可笑しかったのか、みょうじはけらけらと肩を揺らし、楽しそうに笑い声を上げていた。

「あはは。先生、今の顔、素敵」
「こら」
「はい? 何でしょう」
「教師を揶揄うのはやめるんだ」
「揶揄ってなんかないよ。本気だよ」

 むう、と口元を一文字に結ぶ俺を見て、みょうじは再び笑みを浮かべる。
 俺は小さく溜め息をついた。彼女の言葉を、いちいち間に受けていてはきりがない――そんな俺の思考を見透かすかのように、彼女の顔から笑みが薄れ、次第に真剣な表情へと変わってゆく。
 そして、みょうじはゆっくりと手を伸ばすと、机のすぐ側に立つ俺の指先を手に取った。
 みょうじの左手と俺の右手の指先が触れ合い、そこから体温が伝わってくる。クーラーが効いた教室内はたいして暑くもないはずなのに、彼女の柔らかな肌はしっとりと艶めかしい感触をしていて、どくりと心臓が嫌な音を立てた。指先から伝わる彼女の熱は、俺が想像していたよりもずっと高温で、生々しいものだった。
 教師として、すぐにこの手を振り払うべきだと、本能で思った。でも、彼女の次の言葉を知りたいとも思ってしまった。
 『知りたい』というその感情が、教師としてのものなのか、一個人としてのものなのかは、正直なところわからない。

「私、本気だよ。煉獄先生のこと、すごく素敵だって思ってる」

 みょうじは俺の手を取ったまま、もう片方の手でボールペンを掴み取ると、ノートの表紙にさらさらと落書きをし始めた。
 よく見れば、そのペン先は『煉獄杏寿郎』の名を紙面に刻んでいる。

「……君が“煉獄”という字を書けるとは。驚いた」
「うん。これなら書けるよ。他の漢字はそんなに書けないけど」
「そうだろうな。この間のテストの解答も、葛飾北斎が半分平仮名で“かつしか北斎”となっていたぞ」
「そうだろうね」

 「そうだろうね」? どういう意味だ?
 あたかも自分の誤字をわかり切っているかのようなみょうじの言い回しに、俺は眉を寄せた。
 そんな俺をそっちのけに、彼女はくすくすと笑みをこぼしながら、『煉獄杏寿郎』と書いた位置の少し下に『葛飾北斎』と漢字で書き記してゆく。
 その動作を目で追いながら、俺はよりいっそう深く眉を寄せる。なんだ、ちゃんと書けるんじゃないか――呆然とそう思っていると、文字を書き終えたみょうじが、再びくるくるとペンを回し出した。

「先生って、本当鈍いんだから」
「……」
「これ。このボールペン」

 上品な黒と金の装飾が施されたペンを摘むように持ち上げ、俺の眼前に差し出すみょうじ。真正面からそのボールペンが視界に入り、よく見慣れたはずのその見目を認識した瞬間、俺は驚きに目を見開いた。

「! そのペン、俺の――」
「ふふ、実はそうなの。これ、煉獄先生の私物〜」
「みょうじ! いつの間に……!」
「このボールペン、返して欲しかったら、卒業後にデートしてよ」

 ゆらゆらとボールペンを揺らしながら、みょうじは挑発するような声色でそう言った。
 その声色とは裏腹に、浮かべられた笑顔はまだ少しあどけなさを残しており、大人と子供を行き来するような、曖昧で濃厚な印象を植え付けられそうになる。――これがみょうじなまえという生徒の個性なのかと思うと、不思議と肌が粟立つような感覚さえした。
 彼女が持つボールペンをじっと見つめながら、俺は率直な感想を口にする。

「君は、俺が思ったよりも大人なんだな」
「えへへ、それ褒めてくれてるの? ありがとー」

 適当とも言えるような言葉だけの礼を述べると、みょうじは掴んでいた俺の手を放し、席を立った。そして、机の上のノートと教科書、筆記用具、俺の私物のボールペン……と順にバッグの中に詰め込み、くるりと踵を返して教室の出口へと向かってゆく。
 みょうじはこちらを振り返りもせずに「先生さよならー」と気怠げな声を上げて、そのまま教室を出て行ってしまった。
 真面目さの感じられないみょうじの物言いを見守り続けて、3年。不思議とそんなみょうじに対して苦手意識を持つこともなく、それどころかついつい気に留めてしまう俺は、教師として如何なものなのだろうか。


2021.06.18 これでよろしくて?様の『Secret party』にて提出(※一部加筆)
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