08
リトルモア・リトルモア
このところ、三門市では立ち入り禁止区域外にもネイバーが発生することがある。三輪くんに助けてもらったあの日もそう。その後も時々、本当に時々だけど警報が遠くで響くことがあった。私にはあまり関わりのない距離で。
たとえ出現したのが近くだったとしても、ボーダー隊員が二十四時間体制で防衛してくれている。私たち市民はボーダーに寄りかかり、彼らの到着が遅ければ非難をし、早ければ当たり前のように助けてもらう。自分が危機に直面するまではそうだった。ニュースでしか見かけない、時にはニュースにすらならないボーダーの仕事。まるで違う世界の出来事のようにしか、思っていなかったのだ。
「うそっ」
でも確かにネイバーはここに居て、今にも私の上に落っこちてきそう。見覚えのある穴、ニュースで聞くところの「ゲート」が開いて、中からは気持ち悪い動きをする機械のおもちゃみたいなものが。「おもちゃ」と言えば可愛らしいと思われるかもだけど、サイズは全然可愛くない。あんなのに踏まれたらぺしゃんこだ。
私は一度腰を抜かしてしまったので、その場で立ち上がるのに苦労した。足に力が入らない。それなのにネイバーは私の存在を把握したらしく、真っ直ぐこちらに向かってくる。進める方角は三六〇度あるはずなのに、私の居るほうに!
私は固まる身体に思い切り力を入れて立ち上がった。だけど、ネイバーに追いつかれるのはあっという間だ。相手のほうが大きくて可動域が広い。逃げようとしたって意味はない。ただ背中を見せるだけでは、分かりやすい的を与えているに過ぎない。
「こっち、来ないで、……あっ!?」
とうとうネイバーの伸ばした手か脚か、何かは分からないけど堅くて鋭いものが足元を突き刺した。幸い私の足ではなくて地面に直撃したけれど、イコール助かったわけじゃない。道路を抉り、しなるように勢いよく振り上げられたおかげで地面は崩壊した。
「……ッたい……」
崩れたアスファルト、近くでは破裂した水道管から水が吹き出ている。私の真下でも破裂されてしまったらひとたまりもない。
逃げなくちゃ。今すぐここから離れなきゃなのに。私の足、崩れたアスファルトの下敷きになってしまってる。
「やだ……」
右足に感覚が無い。転げた拍子に鞄は投げ出されて、中身が撒き散らされている。舞い散る白い紙は、三輪くんが用意してくれたノートのコピーたち。拾わないと。あれは大事なものだ。でも動かないし動けないし、座り込む私を前にして、明確に狙いを定めているネイバーの姿が。
もう終わりだ。私は静かに目を閉じた。
「佐々木!」
しかし、その目はすぐに開かれた。同時に明るくなる視界。私に覆いかぶさっていたネイバーは、目を閉じた一瞬のうちに真っ二つにされていた。
身体の破片を降らせることなく消えていく大きな身体は、いわゆるトリオン体というものだろうか。それが全て消えきった時、ようやくひとりの隊員の姿を確認できた。二度の危機を救ってくれた、クラスメートの男の子である。
「三輪くん……」
「どうして早く逃げないんだお前!?」
三輪くんはとても怒っていた。が、私がびくっとしたのを見ると今度は大きな溜息。そして私の右足が瓦礫の下敷きになっているのに気付くと、ハッとしてすぐに近くへ降りてきた。
「動かすぞ」
「う……うん」
硬くて重たい破片は、いとも簡単に足の上からどかされた。ボーダーの人は隊員として活動する時、人並外れた身体能力を持つ場合があると聞く。だから三輪くんも今、こんなに重いものを持ち上げることができたのだろう。
足元が自由になった私は立ち上がる前に、まずは辺りに散らばる白い紙を集めようとした。手の届く範囲のものから一枚一枚拾っていくと、三輪くんが頭の上で低く呟く。
「……そんなもの拾って何になる」
「何って」
三輪くんは分かっていないんだ。私がどれだけ嬉しかったのか。帰ってこれらを眺めるのを、どれほど楽しみにしていたか。
「三輪くんがくれたやつだから……」
「またコピーすればいいだろ」
「そうなんだけど!」
原本はきっと三輪くんの鞄の中にある。コピーは何度だってできる。でも、三輪くんが私のために時間と手間をかけてくれたことに意味があるのだ。
近くのコピーを拾い終えるまで、三輪くんは黙って私を見下ろしていた。足が上手く動かないから四つん這いになって集める私は、さぞ滑稽だったと思う。
「……もういい。立てるか」
私がそれらを鞄に納めたのを確認すると、三輪くんがそばまで来て手を差し出した。彼の手に自分の手を重ねて引っ張ってもらい、足を踏ん張って立ち上がる……のは叶わず。どうしても下敷きになった足元が痛んで、またその場に尻もちをついてしまった。
「……ゴメン」
「はあ……」
「ゴメンなさい……」
こんなところでまたネイバーに襲われて、怪我をしているのにコピーなんか拾って、あげく一人では立ち上がれずに情けなく尻もち。三輪くんが呆れるのも無理はない。他にもネイバーが現れているかもしれないのに、私のようなのろまな被害者に構っている暇はないだろう。
いいよ、一人で救急車でも呼ぶから別の場所に行ってよ。
……と言おうとした時、さっきまで立っていた三輪くんがその場にしゃがみこんだ。何をしているのか分からず目を丸くする私。しかし三輪くんがジロリと私を睨んだので、何か意図があってしゃがんだのだと理解した。もしかして、え、もしかして。
「えっ?」
「さっさとしろ」
「え、でも」
「言っとくが救急車両までだからな」
三輪くんは私の腕を引き、自身の肩にかけるよう促した。いわゆるおんぶっていうやつだ。嘘どうしよう私けっこう重いと思うんだけど。
足をうまく動かせないので少し時間をかけながら、私は三輪くんに背負われる形となった。
「…………」
「おい、力入れてるだろ。動きにくい」
「は、はい……」
そりゃあ力も入るでしょう。男の子にこんなことされるなんて初めてなんだから。さっきまで命の危機だったんだから。私の頭は情報処理が追いついていない。マルチタスクではないのだ。
とはいえ「動きにくい」と言われてしまっては身体から力を抜くしかなく、三輪くんに全体重を預けることに。私のすぐ目の前には三輪くんの後頭部。彼の耳には仲間と連携を取り合うためのものか、ヘッドセットらしきものがある。ここで喋っても私の声は届かないだろうか?
「……三輪くん」
試しに呼んでみると、三輪くんは返事はしなかったけれど、なんとなく耳をこちらに寄せた気がした。
「ありがとう……」
助けにきてくれて。私を救ってくれて。襲われる私を見つけてくれて。
心からのお礼は三輪くんに届いたろうか。反応が無いので分からなかった。聞こえてないのかな。
しかし、私はそこで思い出した。過去に何度か告げたお礼の言葉を、ことごとく「助けたわけじゃない」「礼を言われることじゃない」と突っぱねられたのを。
「ご、ゴメン。私また思い上がったことを」
「……」
「違うんだよね、三輪くんは仕事をしただけだもんね」
これがボーダーとしての仕事なのだ。たまたま三輪くんが近くに居たから三輪くんが来てくれただけで。他の隊員が居たならきっと、他の人が来てくれていた。三輪くんが特別なんじゃない。襲われたのが私ではなかったとしても、三輪くんは平等にやって来たはず。
頭では分かっているのに、考えれば考えるほど虚しくて悲しくなった。
「今日は……」
そのとき、ずっと黙っていた三輪くんが言った。ちいさな声だったけど、私は耳を澄ませて聞き取ろうと身を乗り出す。と、次に聞こえてきた言葉で時が止まった。
「助けに来た」
これは空耳だろうか。
この人は三輪くんだろうか。
私に言っているのだろうか。
さまざまな疑問が駆け巡り、私は背負われたまま固まってしまった。
「え……?」
ようやく聞き返そうと声が出たけど、それ以降三輪くんは何も言わない。私の足に響かないように用心しながら、だけどなるべく速く歩みをすすめて、ボーダーから派遣された車輌が集まるところに向かっていた。
「あそこで降ろすぞ」
「あ、うん……」
その日交わした会話はこれが最後で、三輪くんは私を救急車の前に降ろすと、すぐにどこかに去ってしまった。私の手に、脚に、身体に、トリオン体であるはずの三輪くんのぬくもりだけを残して。
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