07
サイケデリック、夢でしょうか?
こんなの絶対におかしい。普通じゃない。私は普通じゃなくなってるんだ、三輪くんが変に私に構うせいで……いやべつに構われてはないけど。私が勝手に三輪くんにノートを見せてあげただけなんだけど。
どうにもこうにも熱っぽい。頭が朦朧として、授業に集中したいのにできなくて、気付けば視界に入る三輪くんの姿にドキドキする。顔も身体も熱くて熱くて、それは家に帰ってからも続いた。
「……あつい……」
朝、目が覚めてからもその状態は続いていた。しかも今度は気分が悪くて起き上がれない。私がなかなかリビングまで来ないことに痺れを切らしたお母さんが、様子を見に来るまでずっと横になっていた。顔色に驚いたお母さんは私を車に突っ込んで病院に向かった。
情けないことに、このぼんやりとした症状は立派なインフルエンザだったのである。
『大丈夫? 治るの待ってるよーっ』
担任から私の欠席理由を知らされたのであろう、友人からはこんなメッセージが届いた。
インフルエンザって、治るまでに何日もかかる病気だ。しかも熱が下がったからといってすぐに外出はできない。発熱が落ち着いてからの数日間が、もっともウイルスを撒き散らしやすい時期なのだと医者が言っていた。
約一週間も学校に行けないなんてつまらないし寂しいし、なんだか残念。それに心配なことがある。私はまだレポートを仕上げてないし、授業について行けなくなっちゃうかも。友だちにノートをコピーしてもらうように頼めば良いか。
でも、やっぱり気になる。三輪くんはちゃんと授業に出られてるかな。
◇
長い長い一週間が経過した。やっぱり熱が下がってるのに家に居るのは辛くて、お父さんに映画のブルーレイを沢山レンタルしてきてもらった。お陰様で何年も続いた映画シリーズを一気に見終えてしまい、休んでいたのに結構頭を使った気がする。
久しぶりの通学路は天気も良くて、私の足取りは軽かった。友だちに会える嬉しさと、もうひとつ、別の楽しみがあったからだ。
「おはよー」
「優里! おはよおぉ」
「わっ」
教室に入ると、先日メッセージをくれた友だちが飛びついてきた。病み上がりの私は体勢を崩したが、机の角にぶつかるのをギリギリで避ける。危うく別の理由で病院送りにされるところであった。
「心配したんだからね。こんな時期にインフルって」
「はは……私もびっくりしたんだよ」
最近涼しくはなっているものの、風邪すら流行っている噂を聞かない。インフルエンザなんて私が今年一号なのでは? と疑ってしまうほどだ。
「あれ……?」
寂しがっていた友だちにべったりと貼り付かれながら席に着くと、私はある異変に気付いた。
机の中には休んでいる間に配られたであろうプリントがあり、それを取り出して整理していると、プリント以外の用紙がいくつか現れた。手書きで何か書かれてる。見たところ落書きなんかじゃない。
「なにそれ?」
「さあ……」
よくよく見ると、見覚えのない内容ではあったけど、授業に関するものだ。英語、数学、生物、古典。あらゆる授業の内容。これが何なのかを理解するのに、あまり時間はかからなかった。
「……これ、ノートのコピー?」
「え。あっ、ほんとだ。しかも最近の」
「え」
私が目を丸くすると、用紙を覗き込んでいた友だちが「だって、ココとか昨日習ったところだよ」と指をさした。
休んでいたクラスメートにノートをコピーするなんて珍しくはない。が、あらかじめコピーしたものを勝手に私の机に入れておくなんて、どういうことだ。
「誰だろ……」
「さあ? 私じゃないよ」
一番の心当たりだった友だちすらも首を振る。じゃあ、いったい誰が?
この文字にはなんとなく見覚えがある。つい最近見た気がする。私よりも筆圧が強く、時折線から突き抜けている払い・止め・ハネ。だけど決して雑ではなく、むしろ丁寧な印象を受ける。
「……もしかして……」
私はこの言葉を心の中に留めたのか、口に出したのかは覚えていない。そのくらいビックリしたのだ。だって、この筆跡は間違いなく三輪秀次のそれだったから。
どくん、どくんと心臓が早鐘を打つ。はやく本人に確かめたい。ああ、だけど誰にも聞かれたくない。
「み、みわ、くん」
ようやく三輪くんに声をかけられたのは、その日の授業をすべて終えてからだった。
久しぶり(といっても一週間)に三輪くんの姿を見て名前を呼んだので、うまく発音できなくて詰まってしまった。それでも振り向いた彼はジッと私の顔を見て、
「気の抜ける呼び方をするな」
と、相変わらず手厳しいことを言いながらも声色はなんとなく優しかった。
「ごめんごめん……あの、いっこ聞きたいことがありまして」
緊張のあまりうまく話せない。ドキドキしているのを隠すために、無駄にへらへら笑ってしまう。おかげで三輪くんは、私が今度は「面白くもないのに笑いが止まらない病気」でも患ったのかと首を傾げていた。
「これ、もしかして三輪くん?」
顔の緩みを抑えてから、ようやく本題に入ることが出来た。ホチキスで留めた紙の束を取り出して見せると、三輪くんは黙ってそれに目を落とす。彼自身の字が書かれた紙。
ねえ、これ、三輪くんだよね。「違う」って言われたらどうしよう。え、もしかして私の勘違い? 別の人?
なかなか答えが返ってこないので、また変な笑みを浮かべながら手を引っ込めようとした時。
「大した手間じゃない」
きわめて短く低く、しかしキツくは無い声で、三輪くんが応えた。
「ありがとう……」
私は緊張の糸が切れてしまい、だけどまた別の糸で背筋がピンと伸ばされた。だって三輪くんが私のためにノートをコピーしてくれたなんて、意識して背中を伸ばしていなければ、ぴょんぴょん跳ねて喜んでしまいそうだから。顔の筋肉だってゆるゆるになっちゃう。
「……普段と逆のことをしただけだろ」
「でもまさか三輪くんがこんなことしてくれるなんて思わなくて」
「浮かれるな」
「浮かれてないよっ」
嘘、私は浮かれている。天にも昇る思いでうきうきしてる。コピーをぎゅっと抱きしめて、なんとかそれらを落っことさないように保ちながら。
「帰ってちゃんと写すね」
私が声を震わせたり、表情を変えたりせずに言えたのはここまでだった。三輪くんは「勝手にしろ」と呆れたように言ったかと思えば、同じボーダーの人に呼ばれてさっさとそちらに歩いて行った。
ああ良かった。彼が早々に去ってくれて。私が思わずニヤけてしまう前に。
「ふふ……」
うれしい。三輪くんが、休んでいる間のノートを自らコピーしてくれた。しかも勝手に私の机に突っ込んでおくという不器用っぷり。
三輪くんはボーダーの凄い人だけど、親切な普通の男の子だ。ちょっとコミュニケーションが取りづらいだけ。私がしつこく話し掛けてきたからかもしれないけど。
三輪くんとさよならしてからも、私はうんと浮かれていた。家に帰ってゆっくりコピーを眺めよう。そして今夜は、彼がどんな気持ちでこれを用意してくれたのか、それに想いを馳せながら眠ろう。
そう思って、帰り道を歩いていた時のこと。
「あ、」
何に対しての「あ」なのか、即答するのは困難だ。その時私の周りでは複数のことが同時に起きた。
大きな揺れ、突然の轟音、午後三時にしては暗すぎる空に、焦げ臭くって不快なにおい。それから、けたたましく響き始めた例のアラーム。
『緊急警報、緊急警報。ゲートが市街地に発生』
機械的に喋る女性の声がどんどん近づいてきて、どんどん大きくなっていく。
私はまたもや後悔した。先日ネイバーに襲われかけた時にも同じ後悔をしたのに。「近所のシェルターの位置を把握しておけばよかった」と。
何かが起きた時は、たいてい「普段と変わらぬ何気ない朝だった」という導入から始まる。
今朝は普段と少し違った。インフルエンザが完治して、わくわくしながら学校に来て、机の中には三輪くんの残してくれたノートのコピー。
明日、彼になんとお礼を言おうかと考えていたのに。コピーにすべて目を通す前に、私の命は終わりを告げるかもしれない。真上に現れた大きな穴に腰を抜かしながら、そう思った。
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