06
ルーチンワークにいらない光
私が三輪くんのことを考えてしまうのは、彼が私の寝顔を見てどう思ったのかが気になるからだろうか。きっと不細工だったに違いないし、起きた時には顔に変な型が付いていたに決まってる。
そんな私を見て三輪くんは、私を起こさなかった理由を「疲れてるかと思って」と確かに言った。他人が疲れているからと言って気を遣う人とは思えなくて、でも私の醜い寝顔をわざわざ長時間見たかったとも思えなくて。どうして黙って私が起きるのを待っていたのかなあ。
そんなことが気になって気になって仕方がないのに、翌日学校に行くと三輪くんの席は空いていた。彼の席が空いているのは珍しいことではないけれど、どうやら今回はいつもと違う。聞くところによると、今日から三輪くんの部隊は五日間の遠征に向かうらしいのだ。
「五日間……」
ということは三輪くんは、土日を挟むにしても三日は学校の授業を受けられないことになる。普段から全ての授業を受け入れていない彼だから、遠征明けに学校に来たら授業内容がちんぷんかんぷんなんじゃ?
となれば、私は自然にノートを書く文字がきれいになっていく。
「……いいよね。そのくらい」
休んでいた人にノートを見せることくらい、普通だよね。友だちにだってそうしてる。三輪くんは同じクラスの友だちなのだから、休み明けにノートを見せてあげよう。
そうして私はいつもよりきれいにノートを取って、汚くなった文字は書き直したりして、かなりの労力を使いながら五日間を過ごした。週末の宿題だって答えを書いてコピーして、三輪くんが後から見直して自習しやすいように。
……まあ、ここまでやってみたものの、そもそもボーダーのA級隊員である彼に学校の成績が求められているのかなんて分からないんだけど。
◇
そしてついに三輪くんが遠征を終えて、登校してくる日がやって来た。朝から来るのか午後から来るのかも分からず、ホームルームが始まる前から教室の入口をちらちら気にして落ち着かない。誰かが「おはよう」と言うのが聞こえるとすぐさまそちらを振り向くけれど、来たのが三輪くんではないのを確認すると肩を落とす。
何やってるんだろう私。べつに朝一番に渡さなくてもいいんだし、今日だって急な用事で来ないかもしれないのに。
と、諦めて友だちの輪の中に入ろうとした時だ。無言で教室に入ってきて、さっさと自席につこうとする三輪秀次の姿が目に入ったのは!
「三輪くんっ」
足を滑らせそうになりながら立ち上がり、小走りで三輪くんのもとへ向かう。三輪くんは私の声を聞くと顔を上げて、目が合っても挨拶することはなく、表情を変えぬままじっと見ていた。
「な、なんか久しぶり」
「そうか?」
「そ……そうでもないか」
「どっちだよ」
あたふたしている私とは対称的に淡々としている三輪くん。その彼の落ち着いた様子が、私の心臓をさらに高鳴らせた。だって、三輪くんを前にすると何故だかうまく喋れないのだ。
「で、なにか用か」
突っ立ったままの私を見かねたのか、ようやく三輪くんが話を振ってくれた。そうだ! 私にはれっきとした用事があったんだ。
「これ、三輪くんが休んでた時のノートなんだけどっ……」
私は数冊のノートを三輪くんの前に差し出した。当然突き出されたノートたちを見て、少し後ずさりする三輪くん。緊張のせいで勢いよく出し過ぎた。けど、もう後には引けない。
「見る?」
あくまでもただの友だちとして、当たり前のことを装って出した声は完全に裏返っていた。
クラスの他の生徒たちは私たちの会話なんて聞いちゃいないけど、三輪くんの耳にはしっかり届いているはず。恥ずかしい。「ノート見る?」という言葉すら自然に言えないなんて、私は一体どうしちゃったの。
三輪くんはノートと私を見たまま固まっていて感情が読めない。このまま消えたい。何事も無かったかのように手を引っ込めて自分の席に戻ってしまおうか。それがいいかもしれない。
「……見る」
ところが、ずーっと何にも言わなかった三輪くんの口から何かが聞こえた。
咄嗟のことですぐには聞き取れなかった。もしかしたら空耳かも? 三輪くんが私の提案を受けてくれたことなんて過去に無いのだから。そのためあんぐりと口を開けた私を見て、三輪くんはしかめっ面をした。
「なんだよ」
「え……いや、断られるかと思ってた……」
「はあ……?」
三輪くんは心から不審がっているようだ。やっぱり私のノートを「見る」と言ってくれたのは空耳じゃないらしい。
私からノートを受け取り、ぱらぱらとめくって該当のページを見つけた彼は自分のノートを取り出した。新しいページを開き、二冊のノートを並べて筆記用具を取り出している。今からすぐに書き写すつもりのようだ。文字を書くためペンを持ち、一番上の行にペン先を置く……かと思えば、彼はピタリと動きを止めた。
「じろじろ見るな」
きつい口調でそう言われ、ハッとして瞬きをする。無意識のうちに、三輪くんの行動をぜんぶ目で追ってしまっていたらしい。
「だって……几帳面だなと……」
「意外だって思ってるのか?」
「いや! 見た目通りしっかりしてるなと」
「どういう意味だよ」
三輪くんは鼻でフンと息を吐くと、さきほど止めた手を動かし始めた。やや強めの筆圧で書かれていく文字は私のノートに書いてあるのと同じ内容なのに、まるで全く違うことが書いてあるみたい。
私はついつい三輪くんの字とか手を眺めたままでいたせいで、彼の席から離れるタイミングを失っていた。その間も三輪くんは私を気にすることなくノートを書き写していく。
「ずいぶん気を遣うんだな」
「え?」
「俺に」
突っ立っている私を見かねたのか、三輪くんが手を動かしながら言った。
「ああ……だって三輪くんって、ほら……ボーダーでも凄い人なんでしょ。みんな知ってるよ」
「……」
「同い年なのに、ただぼんやり生きてるだけの私とは違うというか。だから緊張するといいますか」
私の口からはべらべらとこんな台詞が出てくる。嘘ではない。が、三輪くんにとってはただの雑音かもしれない。だからここで言葉を止めたのだけど、三輪くんはあるひとつの単語に反応した。
「……緊張か」
「ハイ」
「俺の前で爆睡していた奴の台詞とは思えないな」
「うっ!? あ、あれは三輪くんが来たことに気付かなくて」
先日のことを覚えられていた! いや、忘れてるとは思わなかったけどわざわざ話題に出されるほど印象に残っていたなんて! そりゃあ私だって三輪くんが居るのを知っていたならグースカ寝たりしませんとも。
慌てふためく私を横目で見ると、三輪くんはまた鼻を鳴らした。
「まだまだかかるぞ。書き写すのは」
呆れたように聞こえるその声は、なんとなく笑ってるようにも聞こえる。もしかして今、鼻で笑われたのかな。馬鹿にされた? けど、少なくとも私の前で「仏頂面」と「無表情」以外の顔をされた。
「終わったら返す」
「えっ……あ、あー、うん」
そういえば今は朝のホームルーム前だった。鳴り始めたチャイムの音で我に返り、私は三輪くんから離れ自分の席に戻っていく。距離はどんどん離れていくのに私の心は三輪くんのそばに置いてけぼりで、授業に集中できるまでかなりの時間を要した。
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -