05
産まれ落ちて満たない鼓動
三輪くんにちょっとした啖呵を切ってからというもの、私はストッパーが外れたみたいに三輪くんに対して言いたいことを言えるようになっていた。彼にとっては鬱陶しいことかも知らないけれど。私はあまりストレス無くレポートに取り組めたし、三輪くんも時々任務がない時にはレポートの進捗を覗き込んできたりとか。
とにかく決して「仲がいい」とは言えないものの、ほんの少し協力する素振りを見せてくれるようになっていた。
とは言え三輪くんが忙しいことに変わりはない。学生でありボーダーでもある三輪くんが、どちらも両立するのは相当難しいだろうと思えた。
だから三輪くんに無理やり手伝えとも言わないし、そもそもそんなことは思わないので、今日も私は資料室から引っ張り出してきた本(きちんと借用手続きはして来た)を開いた。
「よし……今日で結構進むかな」
一言で「レポート」と言っても資料の内容をそっくりそのまま書くのは許されず、イラストなんかも入れなきゃならないので結構大変な作業だ。絵を描くのは嫌いじゃないからいいけれど。上手いかどうかは別として。
ひとまず放課後の教室で分厚い本を開き、私たちがテーマとする武将のページの中に良い感じの文言が書かれていないかな? と小さな文字を辿っていった。
「……んっ」
どれくらいの時間が経ったのだろう。ふと目を開けると窓の外は薄暗くなっていた。教室の中も少し涼しくて、ぶるるっと身震いしていまうほど。どうやら知らないあいだに眠ってしまったらしい。
「ふあぁ……ふぅーっ……」
大きな欠伸をすると目から涙が出てきて視界がくらむ。それを拭いながら身体をぐんと伸ばして、壁の時計に目をやった。
「……いま何時……」
「七時だ」
「ぎゃっ!?」
私以外の誰かの声が、現在の時刻をはっきりと告げた。びっくりして椅子から転げ落ちそうになるのを堪え、椅子と机とをガタガタ鳴らしながら体勢を整える。
誰も居ないと思ってたのに、ていうか少なくとも私が作業を始めた時には誰も居なかったのに。ちょっと離れた席、つまり彼自身の席に、三輪くんが座っていたのである。
「……ッ!? み、三輪、くん!?」
「よくそんな体勢で寝てられるな」
「な!」
彼の言う「そんな体勢」とは私が机に突っ伏していたことを指しているのだろう。そして今は馬鹿にされているか呆れられているかのどっちかだろう。それにしても何故そこに? もしかして最初から居た? 夢? 私はまだまだ混乱している。
「え、え? いま何時っ」
「聞こえなかったのか? 七時だ」
「七時!?」
「騒がしいなおまえ……」
暗くてよく見えないけれど、三輪くんからは大きな溜め息が聞こえた。
騒がしいも何も、騒ぎたくもなる。まだ心臓がばくばく言ってるのだ。
「え、それで……三輪くんは、いつからそちらへいらっしゃったんですか……」
口元によだれが付いていないか確認しながら聞くと、三輪くんはスマホに目を落とした。
「……一時間ほど経ったところだな」
「そんなに!?」
「佐々木が起きないからだろ」
「そ、そうだけど」
そうだけど、そうなのか? 彼は私が起きるのを待っていたようだ。真夜中まで眠っていたらどうするつもりだったんだろう。
と言うか私が寝ているのを知った上でずっとそこに居たということは、私が「寝ている」という事実を分かっていたということは、つまり。
「……寝顔、見た?」
自分の寝顔がいかに醜いものであるかを私は知っている。お母さんに写真を撮られたことがあるから。アレをこの教室内でも再現していたのだとしたら大変だ。どうか三輪くんが否定をしてくれますように。
……と願ったものの、三輪くんは表情ひとつ変えずにコクリと頷いた。
「……見ないでぇ」
「もう遅い」
「うう……」
三輪くんがあまりに真顔なのがまた、羞恥心をかき立てるけれども。気にしたところで見られた事実は変わらない。
「ていうか、ずっと居たなら起こしてくれればよかったのに」
そうすれば、見るに堪えない私の寝顔をさらす時間は減ったはず。そう思って聞いてみると、三輪くんは少しのあいだ黙り込んだ。もしかして私の言葉が聞こえなかったのかなと疑うくらいに。
しかし、ようやく聞こえるか聞こえないかくらいの声で一言。
「……疲れてるかと思って」
幻聴かなって思った。三輪くんの声がすごく小さかったからっていうのもあるし、三輪くんの口から誰か他人を労わるような台詞が聞こえるとは思わなかったので。私はぽかんとしてしまい、「え?」と聞き返してしまった。
「俺も疲れてた」
「……」
「じゅうぶん寝たか?」
「え。あ、うん」
「なら帰るぞ。いい加減に」
そう言うと、三輪くんは椅子を引いて立ち上がった。彼の荷物はしっかりとまとめられており、いつでも帰宅できる状態だったのが見て取れる。私もスマホに親からの不在着信が入っていたので、急いで筆記用具を鞄に詰めた。
下駄箱までの道のりを私たちは無言で歩き、無言で靴に履き替えて、やっぱり無言で校門まで歩く。何かを話さなければならない義務は無いけどクラスメートだし、こんなに歩いてるのにずっと口を閉じているのはあまりにもよそよそしい。かと言って私と三輪くんは特別仲良しなわけでもないので、結局無言のまま校門をくぐった。
目の前の道は左右に別れており、私は右側の道を歩いて帰ることになっている。ちなみに左にしばらく進めばボーダー本部があるが、三輪くんも私と同じ方向へと歩き始めた。
「三輪くん、家こっちなんだ……?」
「ああ」
「今日はボーダーのほうは……」
「本部への用は済ませてきた」
「あー……」
ということは、家はこっちの方角なのだろう。まあいつかのように突然ネイバーが現れたとしても、三輪くんがそばに居れば安全だ。あれ以降、立入禁止区域外にネイバーが現れたというニュースは聞いていないけど。
それからも私たちは一言も交わさずに数分歩き、次の分かれ道がやって来た。そこでは三輪くんと別々の方向に進むらしく、私は右手の道を指さして言った。
「じゃあ私、こっちだから」
「そうか。寝るなよ」
「帰りに!? 寝ないよっ」
「どうだかな」
三輪くんは溜息、あるいは鼻で笑ったような息を吐いた。「さよなら」と手を振ると、三輪くんは振り返すことはしなかったけど、またコクリと頷くことで挨拶を返してくれたように思う。
その後のことはあまり覚えていない。気づいたら家に着いていて、気づいたらご飯を食べ終えて、気づいたら布団に入っていたから。何かを考えていたわけではないのに何も頭に入って来ない。浮かんでいるのは三輪くんの、無表情な顔だけだ。
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