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「やられた」と言うべきか「やってしまった」と言うべきか、複雑な感情に見舞われながらの数日間。週刊誌からは「あなたの記事を載せますよ」と予告までされるし、たまったもんじゃない。そしてその予告どおり、写真に収められた俺と佐々木さんの密会が誌面にドンと掲載された。
「すっぱ抜かれたな! バッチリと!」
偶然同じ現場に居合わせたミルコさんにはげらげら笑われるし、その大きな声のおかげで他の人にも知れ渡ってしまった。
他人の不幸や他人が困っているのを見るのはさぞ楽しいだろう、それは分かる。俺もそんな気持ちになることはあるけれど。佐々木さんとのことに関しては、事実がねじ曲げられている。
「笑いごとじゃないですよ……」
「未成年に手を出すとはなかなかやるな」
「出してません。どっちかと言うと出されたんです俺が」
思いっ切り唇がぶつかって来たせいで互いの歯がガチンと当たってしまったし、まったくロマンチックでもなんでも無かった。さすがに俺はキスの相手くらい過去に何人か居るし、今更唇を奪われたところでそれに対しての文句はない。
しかし世間では俺が佐々木さんの唇を「奪った」ことになっている。非難されているのだ。俺のほうが歳上で、節度を守るべき立場だから。その節度とか理性を俺が失って、うっかり女子高生に手を出した。と、思われている。気がする。
ただ、彼女だけを責めるわけにいかないのには、突然だったとはいえ拒否しようと思えば拒否できたことだ。単なる女の子が襲いかかってくるのを振り払うぐらい朝飯前だし、まして身体を掴まれて唇が触れる距離に来るまで棒立ちだったのは俺に非がある。
当然だけど俺はあの一瞬で悩んだとも、拒否するかどうか。でもそうはしなかった。だって、そうしたら彼女はどれだけ傷付くだろうと思ってしまったから。
「雨か……」
その夜、天気予報を確認してさらに浮かない気分となった。
俺の仕事は主に屋外で行うもので、個性の性質上、外に居るほうが有意義に活動できる。したがって天気はとても重要だ。雨のにおいも音も邪魔になるし、視界が悪くなってしまう。だからといって活動を休むわけにもいかないので、降水確率や気圧まで毎日確認しているのだ。
そして、天気予報が終わるとそのままニュースに切り替わった。毎日このニュース番組も眺めているが、今夜ばかりは画面を切るかどうか迷った。俺と佐々木さんとのホヤホヤのスクープ写真が、テレビにも映し出される可能性があるからだ。
しかし、俺の予想はちょっぴり外れた。
『続いてのニュースです。モデルでタレントの佐々木優里さんが、突然の引退を発表しました』
佐々木さんが原因でコーヒーを吹き出したことは一度だけあるが、本日また俺はテレビをコーヒーまみれにしてしまった。
「……はっ?」
口元を拭いながら、茶色い液体が滴り落ちる画面に目をやる。やばいな、あとで拭こう。
そんなことより佐々木優里って、俺の知る佐々木優里のことだろうか。あの子が芸能界を引退って、いったいどうしてだ。怪我のせい? でも、顔の怪我は痕が残らずに治ると聞いた。他の原因として考えられるのは、
『引退はホークスとの熱愛が関係あるんですか?』
テレビの中で、佐々木さんへの突撃映像が流れ始めた。俺は一気にそちらに釘付けになる。どうやら今日の映像だ。事務所を出たところでマスコミが待ち伏せしていたらしく、佐々木さんの周りにはたくさんのカメラが映っている。そして、その場に俺は居ないのにリポーターが俺の名前を出した。
どうしよう、彼女がまた変なことを喋ってしまったら? 例えば「ホークスに辞めろと言われたから」とか。キスシーンが流出したばかりだし、全国民が信じるに決まってる。
『ホークス? ないでーす!』
しかし、佐々木さんはあっけらかんとした様子でそれを否定した。俺も、またインタビューをしているリポーターも一瞬「え」と言葉を詰まらせた。
『ええと、ではあの記事の内容は』
『キスシーンの練習です! あの時はドラマのオーディションに出る予定だったので』
『ホークスもそれを承知で応じたのでしょうか』
『知ってます。けど、もう私たち何の関係もありません! じゃ』
俺は呆然としながらニュースを見続けた。感情が迷子である。
メディアで俺に口説かれたと発言した彼女が、今は俺との関係を否定している。これでは俺が佐々木さんに振られたように聞こえるのがとても不本意なのだが、まあそれは置いておこう。とにかくこれ以上ややこしいことにならないよう、俺を切ろうとしているように見える。あんな週刊誌が出た直後なので、完全にマスコミの興味を削ぐのは難しいかもしれないが。
しかし、やっぱり佐々木さんが芸能活動を辞めるというのは不思議であった。急に引退するにしては、彼女はあまりに人気者なのだ。
マネージャーの鈴木さんに聞くという手もあったけど、彼も今は忙しいだろう。本人以上に。それなら俺は本人に聞くしかない。なにせ俺は、あの子の家を知っているのだから。
「……不法侵入」
俺が床に足を着いて早々、愛想もくそもない言葉を発したのは渦中の人物だ。リビングの真ん中で腕を組み、俺を睨むでもなく笑うでもなくじっと見ている。佐々木さんにはあまり驚いた様子はない。俺がなんらかの手段でコンタクトを取ってくることを、予測していたのかもしれない。
「何してんですか」
「こっちの台詞なんですけど? 私の家だよ」
「急に引退するなんて……せっかく仕事で成功してるのに。理解できないな」
その「成功」に俺とのスクープが邪魔になったか良い材料になったかはさて置いて、だ。
もともと佐々木さんは女子高生のカリスマで、俺と出会う前から大きな成功を収めている。俺とのキスを「キスシーンの練習」と言っていたが、調べてみると実際に佐々木さんにはドラマのヒロインオーディションについて打診があったと聞く。これからまだまだ花開く可能性があるのに辞めるだなんて、周りが黙っていないだろう。
「言ったでしょ。ふつーのことしたい」
ところが佐々木さんは、華々しい未来なんか興味がないように言ってのけた。
嘘ではなさそうだ。でも、あまりに唐突だ。先日佐々木さんは、確かに俺に同じことを言った。仕事なんか無くなってもいい、飽きた。ふつーのことしたい、と。
だけどもしかして、そうだとしたら鈴木さんに顔向けできないが、俺のせいで「辞める」という選択肢が生まれたのだとしたらどうしよう?
「……もしこの仕事を辞めるのに俺の発言が関係してるなら謝るよ」
「は? 自意識過剰」
「佐々木さんは世の中の女の子の憧れでしょう。一時の感情で簡単に辞めるなんて言わないほうが」
まるで説教のような言い方だがこれまで何度か彼女には説教をしているので、この際言ってしまおう。さらに言葉を続けようとすると、佐々木さんはうんざりしたように溜息をついた。
「ホークスって、意外となんにも分かってないね」
「え」
そして、呆れたように言った。初めて、佐々木さんに精神的優位に立たれているような気さえした。今の俺は少しばかり焦っていて、また、今の佐々木さんがこれまでより落ち着いているからである。
「本当のことだから。ふつうの女の子になりたいだけ!バイトしておしゃれして、それでいっぱい恋するの」
「……」
「でも安心してよ。その相手にホークスを選ぶことはないから」
俺の聞きたいこと、言いたいことを先回りして佐々木さんが続けていく。今俺の名前を出したことについては深くは突っ込まないで欲しい、というのもなんとなく感じ取れた。
「迷惑かけてゴメンなさい」
佐々木さんはほんの数ミリだけ頭を下げたように見えた。仮にも家に不法侵入している俺が「もっと謝れ」とは言えず。それに、謝って欲しいとは思っていない。
「……まあかなり迷惑は被ったけど。辞めてから何するんですか?」
「高校ちゃんと行こうかな。在籍はしてるから」
「へえ……」
「上手くいくか分かんないけどね」
佐々木さんが制服を着て高校に通うなんて、それはそれで美人の女子高生が居るぞと話題になりそうだ。佐々木さんは生まれながらの容姿のおかげで、一般人の考える「普通」の道からは外れざるを得ない。外れたまま進んできたおかげで今こうなっているのだけど、本人がその道に戻ろうと言うのなら止めはしない。
「今までは皆、 私になんの文句も言わずに好き勝手やらせてくれてたけどさ。パパもママも全然構ってくれないし、だから自由にやってたけど」
佐々木さんの両親は多忙なおかげで娘に手をかけていられない。護衛任務につく前にそれは調べて知っていた。可哀想な境遇だなあとは思っていた。本人は気にしてなさそうだとも。しかし、深層心理では違ったのだ。
「初めて危ない目に遭って、ホークスに初めて怒られて色々考え直したっていうか。ふつーがいいって思ってるくせに、全然ふつーじゃなかったね私」
笑っている佐々木さんの額には、消えかけの傷がまだ残っていた。そのせいかは分からないけど、やっぱり佐々木さんの心の動きには少なからず自分が関係しているのだと思わされる。大人ならこういう時、的確なアドバイスをするべきだ。俺の責任なのだから。
「知らないと思いますけど、フツーは案外楽しくないですよ」
「そうなの?」
「そうです。佐々木さんくらい弾けてるほうが人生楽しいと思います」
「人がせっかく人生歩み直そうとしてんのに……」
佐々木さんは俺を苦々しく睨んだが、俺が冗談で言っていると思ったのか、その表情はあまり続かなかった。
「また私がおかしなことしたら責任取ってくれんの?」
本気とも冗談とも聞こえることを佐々木さんが言った。おかしなこと、の例はいくつでも浮かんでしまうのが彼女の恐ろしく興味深いところ。
だけどきっと、普通の生活に取り組んだとしても佐々木さんは問題を引き起こすだろう。人並外れた容姿と、意外にキレる頭を持っている彼女はどこに居たって中心に立ち続けるのだろう。その発言も行動も注目されるはず。時には変な男に騙されたり、女子特有の陰湿な何かの標的にされたり。そして、やられっぱなしでは気が済まない彼女はド派手に暴れてしまうのが目に見えた。そんな時、それを鎮める役目を果たせということだ。
「その時は俺が責任取りましょう」
ただし、なるべく気を付けてほしいけど。
そのように続けると佐々木さんは、いつかのようにイエスともノーとも取れないような仕草ではぐらかした。俺が彼女の行動を把握し、何かが起きればフォローに入るいわばボディガードとしての関係は、水面下ではもう少し続くことになりそうだ。
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