04
俺はそこそこコミュニケーション能力があるほうだし世渡りも上手いので、基本的には誰とでも仲良くなれる性格だ。と、自負していたのに自信を失くした。まさかたった一人の女の子の心も掴めないなんて情けない。それも、一ヶ月も一緒に居たのにだ。
「今日来るか……?」
腕時計に表示された日付を見ると、俺が今回の依頼を受けてからちょうど一ヶ月経っていた。つまり佐々木さんへの殺害予告の手紙が出されてから一ヶ月。「一ヶ月以内に殺す」という予告だったのを考えると、最終日である今日犯行に及ぶ可能性が高い。ただの悪戯で、取り越し苦労であって欲しいけれども。
「ホークスさん、おはようございます」
「あ。おはようございます鈴木さん」
佐々木さんとマネージャーの鈴木さんが待つ事務所に向かうと、鈴木さんは相変わらず丁寧に挨拶をしてくれた。
最初の数日で分かった事だが、鈴木さんは仕事はしっかり出来るのだろうけど、どうも佐々木優里に甘すぎる。鈴木さんは男性だけど、だからって彼女に恋愛感情があるようには見えない。単純に立場が弱いのだ。佐々木さんが事務所の稼ぎ頭だからといって何でも許すのはどうかと思うが、俺が口出しできる事でも無いのでもやもやしながら一ヶ月も経過していた。この焦れったい環境から解放されるまであと少し。
「佐々木さん、いよいよ俺がご一緒するのは今日までになりました」
部屋の奥にあるソファにどっかり座る美少女に声を掛けると、佐々木さんは珍しくすぐに顔を上げた。いつもは数秒間ほど無視されてから、面倒くさそうに返事をされるのだが。
「もうあんたの顔を見なくていいと思うと、せいせいするわ」
しかし返ってきたのはとっても憎らしい台詞だった。むしろ清々しい。今日ばかりは俺もカチンと来なかったので、にっこりと笑ってこう返した。
「珍しく意見が合いますね」
勉強が出来るのかはさておき、佐々木さんは頭のいい女の子だ。俺の表情と台詞とで、それが大いに皮肉のこもった内容であると察知した。鈴のように美しい声で「ムカツク」と呟くのが聞こえたがそれは無視して、俺は本題に入った。
「ところで鈴木さん。事務所には何も起きてないですか? 変な郵便物が来ていたりとか」
今まさに居る場所が佐々木さんの所属事務所のビルだが、俺が見たところ不審な点は見当たらない。騒がしい声も慌てた動きも、少なくとも建物内ではそういった振動は感じられなかった。
そして鈴木さんも何の事件も起きていないのを分かっているみたいで、能天気にスケジュール確認をしながら答えた。
「今のところ無いですね。この一ヶ月、なーんにも無かったんですよ。やっぱり悪戯だったのかもしれません」
「それなら良いんですけどね」
「ホークスさん、色々迷惑かけちゃってスミマセンでした」
その時だけは手帳から目を離し、俺に向かってぺこりとお辞儀をした。いい人なんだけどな、この人。どうして護られる本人がこういう態度を取れないんだか。
「……この任務が終わったら、ぜひ彼女の口からそれを聞きたいもんですよ」
「ははは……いやほんと、すみません」
鈴木さんに謝られたいわけじゃないので、これ以上言うのは控えるけれども。こんなやり取りもひとまず今日までだ。
ホワイトボードに張り出された一日のスケジュールを確認していると、佐々木さんがソファから勢いよく立ち上がった。
「じゃあ私、今から着替えるからね。覗いたらアンタのこと覗き魔だって拡散するから」
「ハイハイ……」
もちろん覗くつもりは無いし、たとえ俺が佐々木さんの下着に興味があったとしても彼女に拡散されるのだけは避けたい。今やSNSの世界では、日本でもトップクラスの拡散力と人気を誇る女の子なのだから。そんな子に標的にされたんじゃ商売あがったりである。
当たり前の事だが、佐々木さんはいつも俺の居ない隣の部屋で着替えを行う。ヘアメイクが先か後かはその時々によって違うらしい。今日はこの後移動をしてからメイクをしてもらい、雑誌の撮影をするようだ。午後は別の雑誌の撮影、そのあと取材。一体いくらのお金がこの女の子の口座に振り込まれるのだろう、恐ろしくて考えていられない。
「……何も起きないな」
鈴木さんがカタカタとキーボードを打つのが響く部屋の中で、ぼんやりと俺は呟いた。
本当に今日も平和に一日を終えるのだろうか。一応極秘で何名かの警察が周囲を見回ってくれているけど、その彼らからも何の連絡も入ってこない。それならそれでいい。恐ろしいのは、「何も起こらないかも知れない」と思って一瞬でも気を抜いてしまう事だ。
そんな事、あってはならないけれど。警察もヒーローも人間だから。どんなに気を張ったって、ふと力が抜けてしまう時があるのだ。そして今の俺はほんの少し、頭がぼうっとしていた。
「……」
あくびをしかけた時に、ふと壁の時計が目に入る。佐々木さんがこの部屋を出てから既に十五分、隣から物音ひとつしない事に気付いた。
しかしこれを事件と結びつけるのはやや早計だ。着替えを終えてトイレにでも行っている可能性は大いにある。佐々木さんはとってもトイレが長いからだ。だけど念の為、本当に念の為に俺は廊下に出て、隣のドアをノックしてみる事にした。
「佐々木さーん。まだですか?」
少しだけ声を張って呼んでみるも、返事は無い。基本的に俺が呼んでも素直に返事をしない人だから、これでもまだ分からなかった。
「もしもーし」
もう一度、二度、俺はノックを繰り返した。普段ならそろそろ「しつこい!」と怒声が返ってくる。しかし今はそれが無い。部屋の中では誰かや何かが動いている気配も無い。居ないのか? トイレで倒れている? ひとまず部屋を確認するため、ドアノブに手を掛けた。
「……入りますよ。入りますからね」
最後まで念を押しながら、ついにドアノブを回した。なんたって彼女に「覗き魔」のレッテルを貼られてしまっては、俺の評判はがた落ち必至なのだ。
ゆっくりと足を踏み入れた部屋の真ん中には机と椅子が、壁際には全身鏡が置かれている。コンセントには充電のアダプターがささっており、佐々木さんのスマホはそれと繋がった状態で充電中だ。スマホがここにあるという事は、佐々木さんは前回のように勝手に外出したわけでは無いらしい。
ただ、先日彼女がタピオカドリンクを買うために抜け出した時と全く違うのは、床に残るいくつかの飛沫。
「これは……」
そこまで口にして、時が止まったように息を呑んだ。
これが何なのか、俺が見紛うはずは無い。血液だ。まだ固まっていない。佐々木さんの? それは分からない。前回俺をまいた時の彼女は、開け放した窓のそばにスリッパを散乱させるという演出まで見せていた。今回のコレも俺に対するいたずらか? わざわざ本物の血を使ってまで?
今日は犯人の予告した期限の最終日だ。もしかしたらもしかする。そんな事はあってはならないけれど、最も良くない事が起きた可能性を考慮し、俺は周辺に待機する警察官に電話をかけた。
「もしもし!」
『あ、ホークス? ちょうど電話しようと思ってたところだよ。佐々木優里の件で』
「ええ、実は俺も、」
『さっきね、ようやく逮捕したんだよ。しかも銃刀法違反! やっぱり今日が決行日だったみたい』
電話の向こうでは嬉々として話す警察官の声が。SNSを介して彼女を脅迫した犯人がたった今逮捕されたらしい。刃物を持っていて、佐々木さんの事務所であるこのビルに突撃すると直前だったとか。そしてその刃物はまだ汚れていない。
という事は、この床を汚している血は別の何かによって流れたものだ。
「……それは本当に脅迫犯なんですか?」
『自白もしてるし、ネットの履歴から佐々木優里への誹謗中傷の書き込みも確認できたからまぁ間違いないね』
「じゃあ……」
じゃあ、佐々木さんは今どこに居るのだろう。このやり取りをしている間にも一番近いトイレを開けてみたが誰も居なかった。最悪だ。本当に。気を抜いた。
「……すみません。そいつが犯人で間違いないなら今、結構やばい事になってるかもしれません」
『え?』
「佐々木優里が恐らく誘拐されました。違う奴に」
たまげたような声が耳元で響く。無理もない。俺だって叫び出したい。時分の不甲斐なさに。
「すぐに探します。そちらも人員配置してください。随時位置情報を送ります」
それだけ言って俺は電話を切った。未だ時間の事なんて気にせずノートパソコンに向かう鈴木さんにも謝罪と説明をしなくてはならない。佐々木さんの大切なスマホをアダプターから抜いて胸ポケットに仕舞うと、鈴木さんから殴られるのを覚悟で元の部屋に駆け込んだ。
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