02
ヒーローになってからというもの、世渡り上手な自分は特に人間関係に悩む事は無かった。初めてエンデヴァーというヒーローと話せた時くらいだろうか、いつになく緊張してしまったのは。
もちろん仕事中は常に緊張感を持っている俺だけど、今回ばかりは調子が狂う。今まで俺に護衛を任された要人なんて、もっと「お手間をかけてすみません」という態度だったはずなのだが。
今、俺が護衛任務を任されているのはひとりの女の子を守るためだ。しおらしく、慎ましく、礼儀正しい女の子ならば喜んで助けて護ってあげようと思えるのに、残念ながら彼女は違う。まるで自分がどこかの王女であるかのような態度で居るのだった。
「ホークス! どこ」
その女の子、佐々木優里は今をときめく売れっ子のモデルだかタレントだかで、とにかく芸能界の人間だ。彼女のマネージャーである鈴木さんから依頼を受けて、こうして佐々木さんのお付きをしているわけだけど。
「はいはい。そばに居ますよ」
「何それきもい」
「……何かご用ですか?」
俺が返事をしても、何を言ってもこんな有様である。出会ってからまだ数日しか経っていないのに。自分で言うのもなんだけど、俺には好かれる要素はあれど嫌われる態度を取った事なんて一度も無い。少なくとも彼女の前では。
「これ買ってきて」
佐々木さんは空っぽになった小さなパッケージを俺の前に突き出してきた。男の俺には見慣れない商品だ。鮮やかなピンク色のパッケージに書かれているイラストと文字から察するに、これは女性がメイクをする際に使用するもの。
「……睫毛?」
「付け睫毛」
「えーっと……俺がですか?」
「当たり前じゃん他に誰がいんの」
正直言って、面倒くさい……じゃなくてわざわざ俺が行く必要性を感じない。そもそも俺は彼女に付いていなければいけないのに、一人でお遣いなんか行くわけにはいかない。
「睫毛なんか足さなくても、充分かわいいお顔してますよ」
「そういうのいいから」
「……」
普段から蝶よ花よと周りにちやほやされる女の子にとっては、俺の安っぽい褒め言葉なんて全く響かないらしかった。女の子ってああいう事を言われるのが好きなんだと思っていたけれど。俺もまだまだ勉強不足だな。
ひとまずお金を貰って仕事を受けるからには俺も、彼女に信用されるような人間になる義務がある。嫌われてはお終いだ。ここはセキュリティのしっかりしている放送局の中だし、少しの間なら離れても大丈夫だろう。
……というわけで、俺は泣く泣く近くのドラッグストアに足を運んだ。と言うか飛んで来た。その間にも指さされて名前を呼ばれるし、都会じゃあ目立って仕方がない。
「召使いじゃなくてボディガードなんだけどな……」
そう呟きながら、一生懸命付け睫毛のコーナーを散策する俺はさぞおかしかっただろう。
全く心を開いてくれないし、話しかけられたと思えば雑用ばかりで困ったものだ。あのマネージャーさん、あの子と二人でよく堪忍袋の緒が切れないな。
毛虫みたいな睫毛もあれば控えめなものもあり探すのが大変だったけど、なんとかお目当てのものを見つけ、一応領収書をもらってから戻る事にした。
「佐々木さーん。これでいいですか」
控え室の中に入ると、佐々木さんは待ちくたびれた様子でスマートフォンを置いた。俺が差し出した袋を無言で受け取り中身を確認して、それが自分の求めたものだと判断するとようやく袋から取り出す。パッケージを開けて睫毛を指先でつまみ、鏡と睨めっこしながら付ける場所を確認していた。
俺は女の子がメイクするのを間近で見るのが初めて……と言うわけではないが、この世代の子のメイクを見るのは初めてなので、まじまじとその光景を眺めた。
「それ、どうやって付けるんです?」
「見ないでよ気が散るじゃん」
しかし、鏡を見たままピシャリと言われた。前のめりになっていた身体を少しだけ起こして、俺はそろそろと彼女から離れた。こっそり後ろから見ていたのは秘密である。だって、睫毛が付いたらどんな変化が起きるのか気になってしまったから。
結局、あの睫毛があっても無くても佐々木優里の見た目はそんなに変わらなかった。俺から見れば、だけど。なんと言っても元々が抜群に可愛いのだから、それを更に可愛いくしようとしたって限度があると思う。
「優里、そろそろスタジオ」
「はいはーい」
睫毛を付けて、唇にかわいらしい色が彩られたところで鈴木さんが入ってきた。彼は収録の打ち合わせか何かをしていたらしい。
立ち上がって鏡で全身を見、問題ない事を確認してから佐々木さんは控え室を出た。ついでに俺も一緒に出た。彼女の後ろをついて歩くために。佐々木さんは俺がいちいち付いてくるのが気に食わない様子で、こちらを振り向いた。
「……なんで付いてくるの?」
「だってボディガードですから」
「えー。うざ!」
そして、思いっきり顔をしかめてからそっぽを向かれたのである。
そりゃあ親しくもない男が常にまとわりつくのは鬱陶しいだろうけど。俺だって好きでドラッグストアに行ったり面倒を見ているわけじゃないんだぞ。
「顔は可愛いんだからさあ……」
佐々木さんがスタジオに入るのを見送ってから、鈴木さんにも聞こえない位置で俺は溜息を漏らした。本当に可愛いのは顔だけだ。いや、声だって可愛らしいのは認めよう。礼儀も何もなってない、性格は我儘で最悪で今のところ中身については良いところ無しだ。俺は果たしてこれからも、純粋な気持ちで彼女を護りきる事が出来るだろうか?
二時間ほどが経過すると、佐々木さんがスタジオの外に出てきた。今日はラジオ収録にゲスト参加していたらしい。メインパーソナリティに見つかった時はうっかり俺も出演させられそうになったが、丁重にお断りしておいた。
それよりも驚いたのは、佐々木さんが「ラジオのゲスト」という仕事をそつ無く終えていた事である。俺の前で見せるのとは全く別人の表情と態度で、驚く程しっかりとスイッチのオンオフが切り替えられているのだった。これが、俺が初めて佐々木優里という人物をまともな人間だと思えた瞬間である。
「佐々木さん、凄くよかったですねー。おしゃべりも上手いなんて」
「聞いてたの?」
「ええまあ」
「そんなトコまで付いてくるんだ……」
「手厚いでしょう?」
「うっとーしい」
……しかし一歩スタジオの外に出て、控え室に戻ってみればこの有り様だ。二重人格を疑うほどの清々しい変わり身は、俺も真似したいくらい。せっかく褒めてやったのに全く嬉しそうな顔を見せないなんて、どんな神経してるんだ。親の顔が見てみたい。母親は超絶美人なんだろうな。見てみたい。色んな意味で。
「ホークス」
母親像を思い浮かべていると、佐々木さんが俺を呼んだ。
「なんですか?」
「コレ欲しい。買ってきて」
それから見せてきたのはスマートフォンの画面である。そこには誰かのSNSの投稿があり、最近若い女性に流行りのものが写っていた。でんぷんで作られたもちもちした食感の例のアレ。
「……タピオカ」
「自分で買えって思ってる?」
「えーと、ハイ」
思わず本音が出てしまった。自分で行けよ。たとえば佐々木さんがどうしようもなく体調不良で水を買ってきて欲しい、というなら大急ぎで行ってやるけれど。
という俺の不満は顔にバッチリ出ていたと思うが、佐々木さんは意外と笑っていた。しかも勝ち誇ったような笑顔。
「私、殺害予告されてるんでしょ? そんなとこ行って殺されたら大変じゃん。ヒーローの護衛まで付いてたのに死んじゃったら大ニュースだよ」
つまり俺を脅して買いに行かせようってわけだ。「ホークスが護衛に付いていたにも関わらず、女の子が殺害された」なんて事になれば俺の商売は終わってしまう。それにいくら生意気でムカついて我儘で自分勝手とはいえ(その他言葉にできない暴言は控える)、命が奪われるのは不本意である。
「……ですよね。行かせてください」
「はーい。レッツゴー」
うんざりした様子の俺に満足した彼女は、元気に俺の背中を押した。プロになってからこんな歳下に遣われる事になるなんてな。
こんな苛々する任務の中にも楽しみを見出さなくてはやってられないので、ついでに俺もタピオカを経験してみる事にした。一番近くのタピオカの店、をスマートフォンで検索してからそこに向かい、二人分を購入し(案の定もう片方は誰宛なのかを店員に聞かれてしまった)、また先ほどの建物に戻るという悲しい仕事。大した時間ではないが、こんなのがあと四週間も続くなんて神経が参りそうだ。
「お待たせしましたーぁ……」
控え室に戻り、扉を開けると部屋には誰も居なかった。佐々木さんが持っていた大きな荷物はまだ置いてあるし、鈴木さんのキャリーケースもそのままだから「勝手に帰られた」という最悪の事態では無いらしい。
俺は両手にタピオカドリンクを持ったまま部屋の中を歩き、ふと、入口からは死角になっている窓が開いている事に気付いた。そこには彼女の履いていた控え室用のスリッパが散乱している。
「……佐々木さん?」
窓から吹き込む風はとても心地よいが、俺の中には全く心地よくない気持ちが生まれる。俺を置いて勝手に事務所に帰られた、なんて全然最悪じゃないぞホークス。開け放たれた窓から誰かが侵入し、彼女を連れ去ってしまった事のほうがもっともっと最悪だ。
「まじかよ……」
窓そのものは誰が開けたのかは分からない。今時どんな個性の悪者が居るのか予想もつかないからだ。ここは七階の部屋だし警備だってしっかりしているビルだからと甘く見ていた。本当に俺の名前が悪いニュースに取り上げられてしまうかもしれない。
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