01
家を出る時、左右両方のポケットが重くなるのは憂鬱だけど仕方ない。片方は仕事用、片方は使用頻度の低いプライベート用。しかしどちらの携帯電話も通知の数はあまり変わらない。
昨今問題になっているSNSの普及により俺もナントカというアプリをダウンロードする事になった。ヒーローはその活躍ぶりや強さだけで売り出すことは出来ない。芸人やモデル、タレントと同じくSNSで自身の活動を発信していかなければならないのだ。
と言っても義務化されてるもんじゃないし、ナンバーワンはこんなもの使った事も無いだろう。俺は周りにすすめられて興味本位でダウンロードしただけ。しかし、その通知の数はすざましい。泣く泣く電源を切る事で今は解決出来ているが、今後どうにかしなきゃならない。
「げえ……」
プライベート用の携帯電話に電源を入れるのは、一日に二度くらいだ。朝起きた時と、その日の仕事を終えた時。迷惑メールは大量に入ってくるし、登録したばかりのSNSは恐ろしいほど一気に広まって今更削除する事もできない。今日も電源を入れた途端に表示された通知の量にうんざりした。
とりあえず通知数をゼロにしたくてアプリのアイコンを押すと、時折画面には広告が映る。それはムービーだったり静止画だったり様々だけど今日はムービーであった。新発売のリップクリームがどうとかいう、女性向けの広告だ。目鼻立ちの整った女の子が唇を強調した表情でこちらを見ている。たいそう可愛らしいが俺には全く興味のない商品なので適当に指をスライドし、やはり興味のない投稿や広告で溢れかえる画面を閉じようとした、その時。
「ハイもしもし」
ヒーロー活動に使用している方の、仕事用の携帯電話が鳴ったのだ。知らない番号だが珍しくはない。事務所に入ってくる電話は、営業時間外には俺の携帯電話に転送されるよう設定されているからである。
『お忙しいところ申し訳ございません。ホークスさんの事務所の方でしょうか』
電話の相手はとても丁寧な男性の声。相手によって態度を変えたりするのが嫌いな俺でも、咄嗟に姿勢を正してしまうくらいには丁寧で印象のいい声であった。
「はい。ぼくがホークスですが」
『え。えっ!? ご本人』
「ご本人です。どう言ったご要件で?」
今更自分を偽ったところで、隠すものは何も無い。どこで何をしていてもすぐメディアに発信されてしまうのだ。だから今回も俺は自らがホークスであると相手に伝えた。
これはヒーロー仲間に言うたびに驚かれるが、俺本人が仕事を選び受けるほうがスムーズだからこうしているだけである。
『私、鈴木と申します。ご依頼があってお電話をさせて頂きました』
「はい。どのような」
『実は弊社の、ある人物の護衛をお願いしたく…』
護衛任務。駆け出しヒーローの頃はそんな事も頻繁にやっていた気がする。有名になり始めてからはそれが大きな案件へと変わって行った、だからと言って誰かの護衛をする事が小さいとも思わないけれど。
「どなたをドコからドコまで護衛するんですか?」
『それはええと、色々ありまして電話回線を通して言うのは』
「はあ。国賓か何かですか」
『そういうわけでも無いのですが。それなりに影響力のある人物で』
「ふうーん……」
全く想像もつかないけれど、今までにこういうのが全く無かったわけでもない。ちょうど先日抱えていた仕事がひと段落したところだ。久しぶりにそういう依頼を受けてみるのも悪くないか、初心に返るという意味で。
「わかりました。お話伺いましょう」
後日呼び出されたのは東京都内のホテルの一室であった。本人の家に俺を招く事すら差し障る程の大物なのだろうか。それとも優雅にホテル暮らしをしているとか? ひとまず部屋をノックすると、ゆっくりと扉が開いた。
「ようこそお越しくださいました」
顔を出したのは先日電話をかけてきたのと同一人物らしい。物腰の柔らかそうな男性だ。入るように促されたので一歩進むと、その俺の横をすり抜け、彼は扉にチェーンロックを掛けた。
「鈴木と申します。よろしくお願い致します」
「お願いします」
「早速なんですが見ていただきたいものが……」
鈴木と名乗ったその人は俺の本人確認すら行わず(羽根を見れば一目瞭然なのだろうけど)、挨拶もそこそこに本題に入った。
椅子に座り、見せられたのは一通の手紙。しかし紙媒体ではなく、SNSか何かから送られてきた文が印刷されたものである。そこにはあまり長文ではないメッセージが書かれていた。要約すると『一ヶ月以内に佐々木優里を殺してやる』という内容である。
「物騒なファンレターですね」
「おっしゃる通りです」
鈴木さんはうんざりした様子で言った。芸能人への殺害予告はたびたび耳にするけれど、いざ標的にされた人間やその周りはたまったもんじゃないだろう。
「一ヶ月以内に、か……決行日が分からないのが困りものですが」
「それなんですよ。ただ、本人は仕事を中断する気が無いものですから」
「はあ」
「ボディガードとして行動を共にして頂きたいのです。犯人が見つかり、逮捕されるまで」
犯人が逮捕されるまで。今の世の中ネット上での犯罪は溢れているし、警察もそういう対策はしているはずなので逮捕までにそうそう時間はかからないはず。犯人が余程クラッキングに詳しくない限り。
しかし一言で「ボディガード」と言ったって、どうすればいいのやら。それに俺は佐々木優里という人を知らない。なんとなく聞いた事があるような名前、というくらいだ。テレビはあまり見ないし、音楽も聞かないから歌手とかアイドルとかにも詳しくない。女の人だろうってのは分かるけど。
ただ、電話で鈴木さんは「それなりに影響力のある人物」だと言っていたので、大物なんだろうとは思う。
「……その佐々木優里さんというのは……すみません。俺、そっち方面に疎いもので」
「隣の部屋に居ます。呼んできますね」
そう言うと鈴木さんは立ち上がり、寝室のほうへ歩いて行った。言い忘れたがここは良いホテルの良い部屋なので、寝室とリビングがそれぞれ存在しているのである。
鈴木さんが寝室の扉をノックすると、しばらくして足音が聞こえた。それからガチャリとドアノブが回され、リビングに伸びるすらりとした脚。まだ片脚しか見えていなかった状況にも関わらず、彼女が抜群のスタイルの持ち主なのだと理解した。そしてその全身が現れた時、吸い込まれるような黒い瞳に釘付けになってしまった。
「きみは……」
なるほど芸能人というからには見覚えのある顔である。先日SNSに流れていたリップクリームの広告に出ていた女の子だ。
左右対称の顔立ちに、気の強い猫のような目。ちいさなキャンバスに無理やりパーツを当てはめたような顔、つまり女の子ならきっと憧れてしまうような美しい顔立ちである。
「……何?」
ただ、俺が前に見たムービーは修正なのかメイクのせいか分からないが、随分しおらしい顔に仕上げていたらしい。今目の前にいる彼女は別人のように眉をひそめて、あまりにも不機嫌そうに言った。
「いいえ、よく広告に出てる女の子だなぁと……あなたが佐々木さん?」
「そうだけど」
ひとまずこの子が佐々木優里で合っているようだが、どうも疑わしい。と言うか、誰かに命を狙われているとは思えないほど肝が据わっている……ように見える。念のため俺は鈴木さんに耳打ちをした。
「……確認ですけど、殺害予告されてるのは彼女ですよね?」
「その通りです」
「それにしてはなんと言うか……えーと……お元気ですね」
危うく「図太いですね」と言いそうになったが言葉を選ぶ事ができた、偉いぞホークス。しかし鈴木さんは俺の言いたい事が分かったらしく、苦笑いしていた。
「鈴木くんが言ってたボディガードってホークスの事?」
佐々木さんは冷蔵庫からペットボトルを取り出すと、大きなソファのど真ん中に座りながら言った。
「そうだよ。彼なら安心でしょ」
「そんなメッセージのひとつやふたつ、ただの脅しじゃん。大袈裟なことしちゃって」
「で……でも用心に越したことはないから」
見たところ鈴木さんは、佐々木さんのマネージャーらしい。立ち位置は完全に佐々木さんのほうが上のようだが。ちなみに、年齢は明らかに鈴木さんのほうが上。こんなに態度が大きな女の子は見た事がない。
「これから一ヶ月間、ホークスと警察が交代で見張っててくれるからね」
宥めるように鈴木さんが言うと、佐々木さんはペットボトルから口を離した。そのままそれをテーブルに置き勢いよく立ち上がると、すたすたと俺に近付いてくる。
「……ふーん。ホークスね……ホークス」
「ご存知ですか?俺のこと」
「あんまり。ヒーロー興味無いし」
さっきの様子だと俺の名前は知っているようだったが。典型的な反抗期ってやつだろうか。
「これを機に知ってくれると嬉しいですね。これでもそこそこ頑張ってるんで」
「へー」
「あなたのことは何と呼べば?」
「お好きにどうぞー」
佐々木さんは再びソファに深く座り、今度はスマートフォンを弄り始めた。
「……佐々木さん、今日から俺があなたのこと見張ります。絶対護りますからどうぞご安心を」
俺は佐々木さんの味方であり、しかも初対面である。そんな態度をされる筋合いは無いぞ。
……というのを堪えながら笑顔を作って右手を差し出した。せめてこの握手に応じてくれなら、と期待を込めて。
だけどこの思春期真っ只中に拗らせまくったような美少女は俺の手を握り返す素振りもなく、片手にスマートフォン・片手にペットボトルを持っている。しかも長い脚をしっかり組んで。
「見張る?私を?」
「はい」
「あんたが見張るのは私じゃなくて、私の周りの不審者じゃないんですかぁ」
「………」
いいだろう。今日から一ヶ月の間、存分に護衛を務めてやろうじゃないか。俺は大人でヒーローで、皆に知れ渡るホークスだ。「よろしくお願いします」と下げたくもない頭を下げるくらい、朝飯前である。
「別にいいけどさー、私の邪魔すんのだけはやめてよね!」
ただ、こんなクソ生意気な台詞を今後毎日言われる事になるのなら、俺はいつか笑顔を崩す日が来るかもしれない。
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