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最近ちょっと周りがざわざわしている。大きな事件があったりして、一時期テレビやSNSを見るのも怖かったりした。だけど人間とは奇妙な生き物で、そんな事もだんだん忘れていつもの日常をすぐに取り戻してしまう。私も恥ずかしながらそのうちの一人だ。さっき届いたニュースの通知に目を通してから、スマートフォンの画面の電源を切った。
「ねえ、ヒーロービルボード見た?」
そのように話しかけてきたのは同じ大学の女の子。ゆるやかな巻き髪が可愛い私の友人だ。野暮ったい私の髪を「切って染めてみたらいいよ」とアドバイスしてくれて、なんと一緒に美容院まで付いてきてくれた心優しい子。
彼女が話題に出したヒーロービルボードとは年に二度行われるもので、その名のとおり世の中に居るヒーローのランキングが発表されたのだった。
「結果は見たよ、ニュースで」
「そうなんだ!なんか凄かったよね」
凄かった。確かにチラッと見ただけでも凄かった。何が凄かったって、その日のうちにSNS中が大騒ぎになったのだ。二人のヒーローが壇上で一触即発したもんだから。
「優里ちゃんって好きなヒーロー居るの?」
それを聞かれたのは久しぶりの事だった。
いつも返答に困っていたこの質問。これまで私は無難な答えしか出していなかった。苦手な人のほうが多くて、「好きなヒーロー」と聞かれると名前がすぐに挙がらなかったのだ。でも今は明確に言う事が出来た。
「うん。ホークス!」
私は満面の笑みで答えた。なんで自分で満面の笑みだと分かったかと言うと、ちょうど通りがかった店のショーウィンドウに自分の顔が写っていたから。そして、そんな私を見て友だちは仰天した様子で聞き返してきた。
「…ホークス!?」
「そうだよ」
「なんか意外だね、もうちょっと真面目系の人が好きだと思ってた」
真面目でお堅い系の人。もちろんそういう人も好きだ。私たちの安全のために立派に仕事をしてくれている。
「まあ、真面目な人も好きだけど…」
そんな数多く居る真面目な人よりも、ある一人のひょうひょうとした人間を、私は好きになっていた。ヒーローとして、人として。そしてまだ自覚は無いけれど、もしかしたら男性として。
あれから数か月、ホークスには会っていない。そもそも連絡先だって知らないし、よく考えれば会うたび会うたび私たちは偶然に出くわしていただけだった。
あの日、私がコンタクトを作って生まれ変わった事により彼の役目も終わったのだ。困っている女の子を救うというヒーローとしての務めを果たした。
私は約束通り、あの翌日から大学にコンタクトで登校した。
最初はみんな驚いていたけど、前よりも話しかけてくれる人が多くなった。ビルボードの話をしていた子もその時に仲良くなって、美容院で髪型を変えた私にはもっと沢山の人が気軽に接してくれるようになった。その中には、驚くべき事に私に好意を寄せるような男の子も居たりして。
自分は簡単には変わらないって思ってたけど、案外あっさり普通の女の子になれたものだ。変わらなかったのは結局、自分のせいだったんだけど。
「なんて断ろうかな…」
下半期のヒーロービルボードが発表されてから、数週間が経った日の事。
私はスマートフォンを片手に立ち尽くしていた。もちろん歩きスマホなんかしていない。けど、画面には集中していた。何故かと言うと、二人で遊びませんか?という男の子からのメールへの断り文句を考えていたせいだ。
ありがたい事に同じ大学や、友だちを通して知り合った男の子から誘いを受けるようになった。
でも総じて私には魅力的に思えなくて、と言うかそもそも本気で私と仲良くなりたいと思っているのか不安だし。知らない人と話すのは今でも緊張する。だから、いい断り方は無いかなぁと思っていたのだが。
「あっ」
その時、背後を通った誰かが私にぶつかった。
反動で手元からスルリと滑り落ちる大事なスマートフォン。その瞬間に頭を過ったのは過去の過ちであった。歩きスマホは駄目ですよ、もうちょっと周りに気を配った方がいいですよ、いつかあの人に言われた注意喚起が頭の中を駆け巡る。ああ、ちゃんとそう言われていたのに。さようなら私のライフライン。
…しかし、次に聞こえてくるであろうスマートフォンの大破する音を待っていたものの、その音は聞こえてこなかった。
スマホが頑丈だったから?違う。誰かが防いでくれたから。それが誰がって、赤い羽根に支えられて浮かぶスマホを見れば一目瞭然だ。
「スマホを触る時は、もっと注意深くって言いましたよね」
羽根は元々生えていた場所に舞い戻り、スマートフォンは目の前の人物の手の中に納まった。そして、その人はスマホを私に向けて差し出している…と思う。彼の手元がどうなっているかは分からない。今、顔を見るので精一杯なんだもん。
「……ホークス…」
つい先日、ランキング二位に選ばれたホークスがそこに立っていた。数ヶ月前と全く同じ顔をして。あえて言うなら彼の顔には治りかけの傷があった。福岡県での襲撃を受けた際のものだと思われる。
「お久しぶりです」
私は言葉が出なかったけれど、ホークスは挨拶を続けた。それから私の手にスマートフォンを持たせてくれた事でようやく我に返った。挨拶、私も返さなきゃ。でも、声が掠れてうまく喋れなかった。
「…です」
「あれからどうですか?大学で上手く…」
ホークスは社交辞令みたいな言葉を言おうとしていたけどピタリと止まった。それから目玉を大きく開いて、ポカンと私を見つめている。理由は分からないけど、急に私の目から涙が溢れ出たせいだ。
「え、ちょっとなんで泣いてるんですか」
「だ…だって、びっくりして」
「えー?」
「さいきん全然出てきてくれないからっ」
「え、それはスミマセン…」
どうしよう。嬉しいのに嬉しい反応が出来ない。驚きが大き過ぎて。滝のように涙を流す私を見て、ホークスは困った様子で視線を泳がせた。
「ていうか俺、あんまり好かれてないので様子見に来るの控えてたんですけど」
会ったら会ったで怒るでしょ?と、ホークスは頭をぽりぽりかきながら笑った。
確かに過去の私は会う度会う度この人に罵声を浴びせていたような記憶がある。罵声とはいかなくても、気分のいい言葉は言った記憶が無い。そりゃあ私の前に現れたくないのも納得できる。会うのを控えようと思うのも分かる。けど、もう私はホークスの事を嫌いだとか苦手だとか思っていない。
「…控えなくていいです」
「え」
「好かれてないなんて誰が言ったんですか」
「え、佐々木さん本人が」
「いっぱいお礼しようと思ってたのに!福岡で大惨事だったってニュースで言ってるし!下手したら死ぬトコだったとか!何なんですか!あれだけ私の行く先々に居たくせに!」
息が切れるくらいの文句をぶつけてやった。私、ホークスへの態度が前と変わってないな。可愛くない。
でもあれほどお世話になったホークスと全く会う機会が無くなって、その上エンデヴァーと二人揃って死にかけるような襲撃を受けたのを見て、テレビ越しに肝が冷えたのをよく覚えている。
「心配してくれてました?」
ぜえぜえと肩を揺らす私に、ホークスは平然と聞いた。
以前の私なら否定的な言葉で答えたかも知れない。ホークスもそう思っていたかも。だから私が「当然でしょ」と答えたので、目をぱちくりとしていた。
「あと…もう一回ちゃんと、お礼言おうと思ってました」
私を幾度となく助けてくれた事に。そして、頑固に殻に閉じこもろうとしていた私を引きずり出してくれた事に。事務所に手紙かなにか送ろうかとも思ったんだけど、最近大変そうだったから控えておいたのだ。でも今、直接会えてよかった。これでちゃんと感謝の言葉を伝えられる。
だけど、ホークスは私の気持ちを受け取らずに首を横に振った。
「いいです。佐々木さんの今の姿を見られて、もう充分嬉しいですから」
私にまだ眼鏡がかかっていたら、漫画みたいにポロリと外れ落ちてしまいそうな台詞。ホークスの褒め方はどうにもクサイ。苦手だ。恥ずかしい。自分の顔が乙女みたいに染まっていくのが分かる。
「…それ以上言わないでください」
「あ。まだ言われ慣れてないんですか?カワイイっていうの」
「うるさいです!」
「あはは」
ホークスはお腹を抱えて笑っていた。そんなにおかしいか、私が戸惑っている姿。こっちは心の準備もできないまま貴方に会ってしまって、嬉しいやら悲しいやら複雑でたまらないというのに。前みたいにヘラヘラふざけて喋ってくれるだけなら、まだマシだったのに。
「でも、しっかりお助け出来たようで良かったです」
そんなふうに真面目な顔して、普段は細めている目をちゃんと開いて私を見て、心底安心したような顔で言うもんだから。いけないって分かってるのに、特別な気持ちを抱いてしまうのだ。
「ヒーローだから、私のこと、助けてくれたんですか?」
聞いてはいけない質問だと分かっていた。だからこんな事を言うつもりは無かったのに、つい口をついてしまった。
ホークスが「え?」と小さく呟いたのと同時に私はハッとした。ずるい事を聞いてしまったと。
「あの、今のは」
今のはなんでもない、ただの独り言。あなたに聞いたわけじゃない。なんの意味もないただの疑問!なんて今更言っても意味が無いだろうけど、とにかく誤魔化す言葉を探すために手をバタバタと動かした。何も浮かばなかったけど。
それでもホークスは、不思議とそんな私を笑うことは無くて。
「そうです」
と、素直に答えてくれたのだった。
ズキンと胸が痛くなる。ホークスは私のことを一市民として助けただけなんだ、ヒーローだから。当たり前の事なのに、ショックだった。はじめは彼を嫌っていたくせに。
「でも、ヒーロー嘘つきません。佐々木さんの事を可愛いって思ったのはホントです」
私があまりにもどんよりしたせいだろうか、ホークスはこんなフォローをしてきた。逆に悲しくなってくるから言わないで欲しいんだけど。それに私は前にホークスが言った、次の言葉を覚えている。
「…建前でカワイイって言う事もあるって言ってましたよね」
「それはそれですよ」
「やっぱり信用できませんね、あなた」
「でも、俺の言う通りにして良かったでしょう?」
そのコンタクト。とホークスが私の顔、というよりは目元を指さした。もうすっかり私の目に馴染んだコンタクトは毎朝はめるのも苦ではなくなって、眼鏡みたいにずり落ちてこないからストレスもない。何より世界が明るくなったような感じ。
「……まあ。はい」
「フフ」
悔しいけれど彼に言われた通り、コンタクトを好きになってしまった。不服そうに頷く私に対しホークスは得意げに笑うと、腕時計に目をやって、切り替えるように息を吸った。
「さて。参った事にあまり目立っちゃアレなんで、そろそろ行きますね」
「え、」
「これからも大学楽しんでください」
え、うそ、ちょっと待って。
引き止める間もなくいきなりホークスが翼を広げて、地面を蹴ってしまった。まだゆっくり話をしたかったのに!
というかいつも急に現れて勝手にどこかに消えるなんて酷いんじゃないか。私にだって言いたい事とかやりたい事とか色々あるのに、それをひとつも許してもらえないなんてひどい。
「ホークス!」
空に向かって叫んだら、一枚の羽根が降ってきた。ホークスの羽根だ。それに気を取られて手で受け止めようと追いかけると、なぜか目の前に再びホークスが着地してきた。
「わあっ!?」
「忘れてた。これ」
「?」
何か忘れ物をしたのかと思ったら、ホークスはポケットから紙を取り出した。これを私に渡そうとしていたらしい。
受け取りながらその紙を見てみると、書かれていたのは色気も何も無い言葉。『牛丼大盛り半額』と野太い字で書かれている割引券であった。
「…牛丼」
「あげます。好きでしょ?」
「はい。…じゃなくて、え?あの」
「じゃあまた」
軽くヒラヒラと手を振ってから、今度こそホークスはどこかに飛び去ってしまった。
ロマンも何も感じさせないお別れの仕方。「寂しい」とすら感じる余裕のない、あっさりとした去り方であった。
「行っちゃった…」
あっという間にホークスの姿は見えなくなり、今度は羽根も舞い降りてこない。本当に遠くまで行ってしまったようだ。
ホークス、どうして私の前にまた来てくれたんだろう。もしかして、もしかする?なんてドキドキする事をちょっとだけ考えてしまったのに、ほんの十分足らず話しただけで消えてしまうなんて。やっぱり沢山いる一般人のうちの一人にしか思われていないのかな。こんな女、牛丼食わせときゃ満足だろって思ってたりして。
「…アレ?」
渡された牛丼の半額券をよく見ると、驚いた事に使用期限が切れていた。ここに来て嫌がらせか。自分の中でホークスへの好感度が下がるのを感じながら券を裏返してみると、そこにはまた別の文字が書かれていた。
『奢って欲しかったら連絡下さい』
という殴り書きのような文字と、個人の電話番号らしき数字。よほどの事がない限りこれはホークスの電話番号だ。呆れて笑い声しか出なかった。
「…なんだソレ」
なんだそれ、なんだこれ。いくらなんでも女の子を誘うのに牛丼って。しかも期限の切れたクーポンの裏に電話番号を書いて寄越すって?
ピキピキと眉を寄せてしまったけど、きっと彼は全て計算し尽くした上でのコレなのだろう。ホークスらしいやり方だ。私がすぐに連絡してくるとたかを括っているんだろうな。悔しいから電話をするのは数日経ってからにしてやるもんね。…と、思ったけど。
『はい、もしもし』
「佐々木です」
『あ!思ったより早かったですね』
「お腹が空いてるのでっ」
結局、我慢できなくてその日のうちに電話をしてしまった。ホークスに会いたかったわけじゃない。どうしても、どうしても他人の奢りで牛丼が食べたくなってしまっただけ!
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