07
私がここまでひねくれて、頑なに明るい人種と付き合うのを拒むのには理由がある。
私だってクラスの中心にいる人たちを羨ましい・混ざりたいと思った事がある。今だって心のどこかではそう思っているのだろう、そんな自分を認めたくないだけで。
だけど、どうしてもワイワイがやがやした空気の中では私のことを馬鹿にするような会話が繰り広げられているんじゃないかと、そう思ってしまうのだ。
小さい時から目が悪くって、私は眼鏡をかけていた。
小学校の時は「眼鏡だ!」と珍しがられるのは気分が良かった。だけど中学校に上がればこんなビンゾコ眼鏡をちやほやする人は居なくなる。眼鏡をからかわれるくらいならまだ良いんだけど、私にとって最大のショッキングな出来事が起きたのは高校二年の夏であった。
「俺、佐々木さんの事好きなんだよね」
それは私がずっと憧れていた同じ学年の男の子からの告白で、天にも昇るような気持ちってまさにこの事。
彼は私の見る限りいつも明るくて、相手が誰であろうと優しくて、私にだっていつも笑顔で接してくれる素晴らしい人格の持ち主だった。鈴木誠くん。初めて明確に男の子のことを好きって思えたのが、その鈴木くんのおかげである。
もちろん私は陰ながら鈴木くんに惚れていたから、私も好きです、ってすぐに答えた。嬉しくって舞い上がって泣きながら。そうしたら鈴木くんも笑顔になって、困ったように頭をぽりぽりかきながら一言。
「えっと…ごめん。今の、実は冗談で」
一瞬何を言われたのかは分からなかった。だってたった今告白してきたのに、それを何秒もしないうちに撤回してきたんだから。
でも鈴木くんの背後で別の誰かがこそこそしている、その影が目に入った瞬間に全部を悟ってしまった。私、からかわれたんだ。嘘つかれたんだ。遊び道具にされた。反応を見て楽しまれた。鈴木くんってみんなに優しく振る舞っているくせに、そういう事を平気でできるような人なんだ。
その後の事はあんまり覚えていない。目の前が真っ暗になったなあって事くらい。
「……サイアク」
最悪の目覚めであった。忘れようとしていた高校時代の失態というか、一生思い出したくない思い出を夢に見てしまうとは。これって絶対にホークスのせい。何が何でもホークスのせい。
鈴木くんからの嘘の告白事件以降、嬉しい時に嬉しい顏ができなくなった。誰かがどこかで笑ってるんじゃないかって思うから。
そしてあれ以降、ますますクラスの中心に立つような人と関わるのはやめにした。大学は絶対に実家を出て一人暮らしをしよう、同じ高校から進学する人がなるべく少なそうな大学にしよう。偏差値の高い大学なら変な人も少ないはずだ。
と思って大学に来たものの、偏差値の高さは性格の善し悪しに特に関係が無かったみたいで。けれどひとまず、私は平和な大学生活を送っていた。眼鏡は相変わらず分厚いけれど、大学生にもなってそれをいちいち指摘したり面白がって来る人は居ない。私みたいな人にいちいち関わってこようとする人も居ない。
…ので、とても精神的に安定していた。のに。あのホークスとかいう男のせいでめちゃくちゃだ。
今日は一日中頭のなかで高校時代の夢が浮かんで、その後必ずホークスの顔が思い浮かぶのでかき消すのに必死だった。今かけているこの眼鏡も、ホークスがわざわざ支払いを済ませたのかと思うと苛々する。でもそのお陰で眼鏡代が浮いたのは複雑だ。余計なお世話なのに感謝しなきゃならないなんて!と、苛々グチグチした気持ちで歩道を歩いていると。
「わ、」
「ひゃっ」
曲がり角で誰かにぶつかってしまった。お約束のように眼鏡が顔から外れ…る事はなく、ちょっとズレただけで地面に落ちる事は無かった。さすがちょっと高価な眼鏡。
「すみません…」
「いや、こちらこそ」
最近はこういう時、たいてい相手はホークスだった。けれど今日は全く違う、とても感じのいい声をした男性である。
恐らく原因は私の不注意だったので、私は眼鏡をきちんとかけ直してから改めて「すみません」と頭を下げた。それから身体を起こし、特にちゃんと見るつもりはなかったのだが、なんとなく相手の男性を見上げた。
「……あ。佐々木さん?」
「!!」
見なければ良かった。目の前にいるその人、たった今ぶつかった相手は今朝の夢に出た鈴木くんだったのだ。高校時代、私の恋心を踏みにじったおぞましい思い出の中心に居る人物。
私が鈴木くんの事を好きなのを、たぶんみんな知っていたのだ。だから面白がって嘘の告白をして、傷つく私を見て笑いものにした。
鈴木くんはあれ以降、当然ながら私と接触していない。私はこの人を大嫌いになったのだから。それなのに鈴木くんは、私が好きだった頃の優しそうな顔のまま立っていた。今ここに。
「……人違いじゃないですかね」
すんなり鈴木くんに「久しぶり!佐々木だよ、覚えてたんだ」なんて挨拶できるはずが無い。私は顔を逸らしてさっさと立ち去ろうとした。けれど、鈴木くんは何故か私を止めた。
「え、ちょっと待って」
「嫌です!離して」
「待って」
ちょっと痛いくらいの強さで、鈴木くんが私の腕を掴んでいた。痛いし、突然の事で驚いているし、私は眉間にシワを寄せまくったまま彼を見上げた。最近の私、こんな顔してばっかりだ。
鈴木くんは私に睨まれているのをしっかり感じ取っていて(どこかの鳥人間とは大違い)、気まずそうに手を離した。
「俺、ずっと謝ろうと思ってて」
手を離して、そのままどこかに去ってくれれば良かったのに。なんと今朝私が夢に見たこのタイミングで、謝るなどと言うではないか。
「謝る?……何を?」
「あの時の事」
「どの時の事でしょう」
「俺が、あの…佐々木さんにひどい事したから。面白がって告白した。みんなに言われて」
私が彼にわざと自らの罪を告白させたのは、酷い事だろうか。だって、そうでもしなければ私があの時感じた苦しみには少しも届かない。それに、今こうして謝っているからと言って本当に反省しているかどうかなんて分からない。
「…これも誰かが見て笑ってるの?」
もしかしたらあの時のクラスメートが近くで見張ってて、「もう怒ってないよ」と許した私を笑うんじゃないだろうか?その恐怖を植え付けたのは他ならない自分のくせに、鈴木くんは心外のようであった。
「そんなわけないだろ。偶然会ったんだから」
「そんなの分からないじゃん!」
私は許してない。謝られたからって許さない。ショックは消えないし忘れられない。ずっと好きだった鈴木くんが私を好きだなんて夢みたいで、つまらなかった高校生活に光が射したような気分だったのに。一気に闇のどん底だ。
「ぜったい忘れないから、あの時の事…絶対、一生」
自分の中に溜まり、ここしばらく仕舞いこんでいた憎しみを全部ぶつけた。鈴木くんは私の言葉を聞いても驚く事は無く、それどころか静かに頷いて言った。
「だけど謝らせて。本当にごめん」
私は鈴木くんとわざと目を合わせないようにした。今更謝られたって遅いのだ。謝罪を受け入れるつもりなんか無い。これも嘘かも知れないじゃん。早くどこかに言って欲しい。忘れさせて欲しい。居なくなれ!
それなのに、鈴木くんは長いことその場で頭を下げていたように見えた。
やがて彼が顔を上げた時、私は油断していた。鈴木くんと目が合ってしまったのだ。その時の鈴木くんの顔と言ったら言葉には言い表せないような悲しそうな顔で、後悔の念でいっぱいだった。だけどそのままペコリと最後にお辞儀して、鈴木くんは私の願いどおりにどこかに消えた。
「………なんなの」
鈴木くんは高校の時、私の知る中で最も人間的に素晴らしい人だった。そんな人が複数のクラスメートに圧されて少しのイタズラを仕掛けると言うのは、いま考えれば有り得ない事では無いのかも知れない。たまたまターゲットが私だっただけで。断れば鈴木くんだってクラスメートに後ろ指さされる事になったかも知れないし。
だけどあんなふうに謝られたら、私が今まで意固地になって守って来たものって何だったんだろう、と思えてしまって。
「私だけ、成長止まってるみたいじゃん…」
高校時代の鈴木くんの真意は分からないが少なくともさっき、私に頭を下げた鈴木くんは嘘をついていなかったと思える。心の底から反省して私に謝ってくれたと思う。
でも、それを素直に受け入れるのが悔しい。許すべきだと思うのに。だって、本当に悲しかったんだもん。好きな人に裏切られて、皆に笑われた事が。
許さない私が悪いの? 私の心が狭いの? 鈴木くんは数年越しで偶然会ったとはいえちゃんと謝ってくれたのに、ずっとあの事を根に持って私は前に進めるのだろうか? わざわざ目立たないように作ったこのださい眼鏡、ずっとこの形を守ってきた私はなんだったの。
私はするりと眼鏡を外して、しばらくそれを眺めていた。迷っていた。この眼鏡をどうするか。
もう一度眼鏡をかければ私は元の自分のまま。このまま外しておけば新しい自分になれる、ような気がする。けど。
色んな事を考え過ぎて私の頭はパニックになったのだと思う。自分でも信じられない事に、手にした眼鏡を振りかざし、そのまま地面にガシャンと叩き付けて割ってしまった。
周りを歩いていた人はビクリとしていたけれど、若い女が情緒不安定になっているだけなのだと分かるとすぐに元通り歩き始めていた。ある一人の男性を除いては。
「…あっぶな」
その人の足元にはレンズの割れた私の眼鏡が落ちていた。危うく当たりそうになったらしい。ゆっくりそれを拾い上げて自らの目線の高さまでかざすのを、私は呆然と眺めているだけだった。だってまさか、このタイミングで? って思ってしまったから。
「モノに当たっちゃ駄目ですよ」
ホークスは無惨に割れた眼鏡を憐れんでいたけれども、私に対しても心無しか言葉遣いが柔らかい。ゴーグル越しでも彼の目を見れば分かってしまった。さっきの鈴木くんとの会話、どうやら聞かれていたようだ。
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