06
火災報知器の誤作動はあったものの、学園祭は無事に終了した。
ホークスも問題無く出番を終えて、その後は予定があったのかさっさと返ってしまったらしい。「らしい」というのは私があれ以降彼と接触していないので、人づてに聞いた話だから。眼鏡を失くしていたから、ホークスのトークショーなんか見たくても見れない状況だったし。見たくもないけど。
だってあの人、信じられない。あんな、人混みで髪も顔も服もぐちゃぐちゃになった私を見て「素顔めちゃくちゃ可愛いですよ」?人を馬鹿にするにも程がある。それで私が浮かれるとでも思ったのか。
そんなわけで最悪な気分のまま学園祭を終えたわけだけど、実行委員として頑張ったご褒美なのか、学校から商品券を貰えた。しかも五千円分とは結構いい額だ。でも私はこの商品券をすぐに使わなければならない。新しい眼鏡を買うために。
「いらっしゃいませ」
初めて来る眼鏡屋さんは普段行くお店よりも少し敷居が高くて、並んでいるフレームやサングラスも高価に見えた。学生の身分だけど、商品券がある事だしどうせなら前よりも良いものを買おうと思ったのだ。
店員は背筋を伸ばして、けれど私を見下さないように洗練された接客を開始した。
「本日は何をお探しでしょうか?」
「あ、あの…新しい眼鏡が欲しくて」
見れば分かると思うけど私はただの大学生だ。さすが百貨店の中にある眼鏡屋さんは違うな、こっちが気を遣ってしまう。
「ありがとうございます。ご希望のフレームはありますか?女性向けはこのあたりなんですが」
柔らかい口調で案内されると、色々な形・色のフレームが並んでいた。
この中のどれが似合ってどれが似合わないのか分からないけど、高すぎず派手すぎないものを選びたい。色は地味がいい。赤とかも可愛いとは思うけど、お洒落ぶって失敗するのは嫌だ。私みたいなのがそんな事したら後ろ指さされて笑われるかも。
ホークスは眼鏡の選び方がどうだとか言っていたけど、じゃあどんなふうに選ぶのが正解なの?っていうか眼鏡を外した素顔が可愛いって何?馬鹿にするのもいい加減にしろ、好きで素顔を晒したんじゃない。眼鏡を失くしたから仕方なく素顔だったのだ。私は思わず拳を握りしめた。
「あの野郎…」
「お、お客様?」
「ハッ!すみません」
いけない落ち着かなくては。もはやホークスの居ないところでも彼を思い出すと精神不安定になってしまう、厄介だ。
さすがにもう偶然会うなんて事は無いと思いたいので、忘れるように努めなくては。
「こんにちはー」
その時店内に響いたのは、ある若い男性の声である。…ホークスの声に凄く似ているけどホークスのはずが無い。ホークスであって欲しくない。こんなところでまた鉢合わせるなんて勘弁である。ホークスじゃない、ホークスじゃない、ホークスじゃない、
「ホークスさん!お待ちしておりました!」
ホークスだった。店員が声色をぐっと変えたのでお得意さんなのだろう、というか問題はそこじゃない。何故またこんな所でホークスと会ってしまったのだ!
「…なんで……」
「あれ」
眼鏡屋さんの真ん中で突っ立っている私にホークスが言った。顔はぼやけてハッキリと見えないけど、残念ながら背中に見える羽根だけはホークスのものだと分かってしまった。
「何で俺の行く先々に居るんですか」
「こっちの台詞です!」
「俺は予約してたゴーグルを受け取りに来たんですよー。佐々木さんは?」
ホークスは予約書の控えらしきものをヒラヒラさせると、それを店員さんに手渡した。本当にゴーグルを取りに来たようだ。
「…眼鏡を買いに来ました」
「ああ!失くしちゃったから」
「まあ…はい」
「なるほどです。でも佐々木さん、イイ手があります」
そう言うと、ホークスはフレームの並ぶ棚から遠ざけるようにして私の背中を押した。何だか嫌な予感がする。押されて押されて辿り着いたのは、視力検査をするためのブースであった。
「コンタクトにしましょう!」
そして、まるで名案だと言うように親指を立ててみせた。
この人、私が前に言ったことを忘れたのか。記憶喪失?目に直接何かをはめるのは怖いと伝えたはずだ。
「……嫌です」
「え。どうしてですか」
「眼鏡が好きなだけです」
「コンタクトだって好きになれますよきっと」
「意味が分かりません」
「じゃあ、どうしてチャラチャラした人が嫌いなんですか」
私を質問責めにして、最終的には眼鏡と全く関係の無い話。しかし前々から何度か聞かれた事のある質問だった。何故チャラチャラした人を、私が敵視しているのか。
「………」
別にホークスに大きな恨みがある訳では無い。お尻に泥を塗られたり、牛丼のタダ券を大事に持っているのを大声で叫ばれた事以外は。
ただ、眼鏡をかけてろくにお化粧やお洒落にも手を出せない、手を出すタイミングを失った私のような女の子が、どうしてあなたみたいな人を嫌うのか。それくらい察する事は出来ないのか?
「…あなた達みたいなキラキラした人って、私みたいなの馬鹿にしてますよね」
「キラキラって。照れるな」
「ふざけないでください」
「真面目に照れてます。それに、馬鹿にしてるなんて心外ですけど」
ホークスは確かに、私を馬鹿にはしていないだろう。でもへらへらした人を見ると思い出す。過去に受けた耐え難い経験を。ただ度数の高い眼鏡をかけて、先生の言う事を聞くだけの大人しい生徒だったからって、酷くからかわれた思い出は簡単には消えないのだ。そんな私を可愛いだのなんだの、私をからかうための文句にしか聞こえないのだ。
「可愛いって言われるの嫌ですか?」
ピクリと肩が揺れてしまったのをホークスは気付いているかも知れない、けれど私が答えるのを待つかのように何も言わなかった。それなら答えてやろう、はっきりと。
「嫌です」
今度はホークスの眉がピクリと揺れた。これまで彼と接してきて、初めて私の言葉で表情を動かしたに違いない。負の方向に。
「それって、単に言われ慣れてないだけでしょう」
「…は?」
「俺は馬鹿にしてるんじゃなく、本気でそう思ってますよ?可愛らしいのに勿体ないなって」
私の事を褒めたいのか苦しめたいのか分からない言葉の数々を、ホークスは簡単に浴びせてきた。もちろん喜ぶはずはなく、ストレートに傷付いている。本気なんて信じられない。今まで男の人に言われた「本気」、ぜんぶ嘘だったんだから。
「あなたはどうか知りませんけど!とにかくそれくらい嫌な事があったんですっ」
ここが店内である事を忘れて、ホークスに向かって叫んでしまった。しんと静まり返る眼鏡屋のフロア。響くのは私の息と、スピーカーから流れるBGMだけであった。
「…お願いだからこれ以上聞かないで下さい」
消え入るように伝えると、ホークスは何か言おうとしていた口を閉じた…かに見えた。分からないけど。だって私の視界、ぼやけてますから。眼鏡を買いに来たところですから。
こんな注目を浴びて長居するなんて耐えられないけど、お店で騒いでおいて何も買わないのは申し訳ない。だから私はフレームの並ぶ棚まで戻り、鼻がくっつきそうなくらい近づいて目を凝らして選んだ。この中でいっちばんダサくて地味っぽいやつを。
「このフレームで!」
「え…あ、かしこまりました。かけて見られますか?」
「大丈夫です!これで」
半ばやけくそである。私だって、いくらお洒落をしないからって購入前に眼鏡を試す事くらいする。けど、今日はしない。ホークスへの当て付けだ。とことん地味でブスな女になってやる。
顔が引き攣るのを一生懸命隠そうとする店員さんに案内されて、眼鏡の度数を合わせる事になった。
私は目が悪いのでレンズがどうしても分厚くなるけれど、最近ではなるべく薄くて済むように改良が施されている。
この改良すら今日は不要だと突っぱねたいのにな、と溜息をついていると隣に人の気配がした。人っていうか鳥っていうかホークスの気配。そして全く訳の分からない事を言ってのけた。
「この子の眼鏡代、うちの事務所に請求書ください」
私も店員さんも混乱した。こいつヒーロー気取りか?いや、正真正銘ヒーローだった。しかし国民みんなを平等に護るはずのヒーローが、しがない女子大生の眼鏡代を支払うってどういう事だ。
「は……?」
「え、はい。あの、お知り合いで…?」
「お知り合いです」
「な…知り合いじゃありませんどういうつもりですか」
「そんな怖い顏しないで、ちゃんと逃げずに払いますから」
「そういう意味じゃ、」
ふざけた事をするなともう一度声を荒らげそうになった時、ホークスは片手を挙げてそれを制した。それが普段は偉そうに見えてただただムカつくのに、今はちょっとだけ雰囲気が違ってて。
「俺、佐々木さんのこと、たぶん知らないうちに傷つけちゃったと思うんですね。お詫びです」
そう言って店員さんに「住所変わってませんから」と告げると、予約のゴーグルを受け取って退店してしまった。
残された私と店員さんはしばらくその姿を見送るしかなく。私はただでさえ視界が悪くて顔をしかめていると言うのに、跡が付きそうなくらいしかめっ面になってしまった。
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