05
ジリリリリと聞き慣れないブザーが鳴り響き、先程まで静かだったこの部屋の周りからも慌ただしい声が聞こえてきた。廊下を誰かがばたばたと走って行く音も。この音は誰かが襲ってきた事への警告音なのか単なる火災報知器なのか、いや火災報知器だとしても大事だ。今日は学園祭で、生徒以外にも沢山の人が敷地内に居るんだから。
それに私だって誤作動の可能性があるとはいえ、地味なりに色々準備してきた学園祭当日にこんなブザーが鳴ってパニックである。
「ど、どっ!?火事?やばい」
こういう時って机の下に潜るのが正解?何もしないのが正解?それともダッシュでどこかに逃げるべき?
自分もするべき行動が分からずにその場を行ったり来たりしていると、特に慌てた様子を見せないホークスが言った。
「落ち着いて、とにかく放送聞いて避難してください」
「えっ、あ…はい」
この人が顔色ひとつ変えていないのは、隣に居る私を冷静にさせるためだろうか。そう思うと一応彼もヒーローなのだと思わされる。だからって私の中でホークスの評価が上がるわけでは断じて無いけれど。しかしこういう修羅場をくぐり抜けてきた経験値は、確実にホークスの方が上だ。
部屋を出て避難しようと思ったが、ホークスはそんな私が部屋から出るのを見送るだけで動かない。もし近くで火の手が上がっているなら、ここは直ぐに燃えてしまうかも知れないのに。
「あの、あなたはどうするんですか」
ドアを開けて問いかけてみると、ホークスはとても驚いた様子で顔を上げた。
「一応心配はしてくれるんですか?」
「そ…そりゃあ来賓ですから」
だって、同じ部屋にいた私だけが助かって万が一ホークスが怪我をしたり死んじゃったりしたら、気分が悪いじゃないか。
だから私だけ先に逃げるのを躊躇っていると、ホークスは携帯電話を取り出していた。もしかしてヒーロー事務所とか消防とかに連絡を取るのかな。逃げるかどうか迷ってその様子を見ていたけれど、私が動かないのを見てホークスが言った。
「ご心配なく。早く行って」
直後、電話に向かって「ホークスですが」と話し始めた。誰かと繋がったらしい。
それから彼は私の背中を押して廊下に出し、そのまま外に出るよう指で指示をされた。
逃げていいのかな。大丈夫だよな、あの人の羽根って確かそれなりに頑丈みたいだし。
それより自分の心配をするべき?もしかしたらただの火事じゃなくて、テロリストかもしれない。だとしたら、こうして皆で束になって逃げても意味が無いんじゃ?
…と思っていても、恐怖と焦りで自然と駆け足になってしまい、外に出た頃には混乱した生徒でごった返していた。あれよあれよという間に人に流されて、突然後ろから誰かに押されてしまった。
「いだだだっ、あ」
自分の身体は支えられたものの、何かがカシャンと地面に落ちた。途端にぼやけ始める視界。やばい、眼鏡が外れてしまった!
「め…めがね、すみません眼鏡っ」
一生懸命叫ぶけど、周りの混乱のほうがボリュームが大きい。しかも私はどんどん元いた建物から離れてしまい、もはや眼鏡がどこに落ちたのか分からなくなってしまった。きっと踏まれて粉々だ。
諦めて避難する事に徹しようと、私は流れに逆らわずに移動した。なんたって視界が悪いのだ。だから注意深く歩いたつもりなのに、お約束のように何かに躓いた。
「わっ!!」
ふらついたまま道から外れて、べしゃっと倒れ込む私。踏んだり蹴ったりだ。見えないし、学園祭はめちゃくちゃだし、もしかしたら学校が襲われてるか火事かもしれない。私、何か悪い事したっけ?
とにかく立ち上がって逃げなければと足に力を入れた時、ピリッと何かを感じた。
「……いたっ、」
脚を擦りむいている。手入れされた植物の棘が、私の膝を縦に引っ掻いてしまったようだ。もう、ほんと最悪。痛い。怖い。早くヒーロー来い。っていうかホークスはどこで何やってるんだ。あの人、ちゃんと仕事してるのか。
その時、再び何かを知らせるような音が鳴った。さっきまで鳴っていたジリリリという電子音とは違う。全員の耳に届くような非常に大きな音だけれども、不思議と耳を澄ましてしまうような音。
続けて聞こえてきたアナウンスのおかげで、何故そんな音が鳴ったのかはすぐに理解できた。
『ただいまの火災報知器は誤報です。繰り返します、ただいまの火事を知らせるベルは誤りでした』
女性の声で全員に聞こえるよう響く、このアナウンス。学校中が混乱していたのが嘘のように、今は全員が立ち止まってそれに聞き入っていた。私も座り込んだまま聞き入った。
「え、誤報?」
「なんだあ」
「どっかのサークルがでっかい火でも使ったのかな」
近くの学生がそんな会話をしていて、確かにそれは有り得るなと考えた。大学の学園祭では派手な事をやりたがる人が多いのだ。私には理解し難いけれど。時々ニュースで、どこどこの学園祭で怪我人が出たとか何とか聞くし。まさか自分の大学でそれが起きるとは思わなかったが。
「誤報………」
もし煙が上がっていてもぼやけて見えないけれど、焦げ臭さは特に無い。周りの誰も、もう危なげな事は話していない。今度はそれぞれの場所に逆戻りしてて、学園祭を続行するようだ。
…私も戻らなくては。財布を控え室に置きっぱなしだし、というか実行委員だし。
それからぼやけた視界の中、ぼろぼろの状態で元の建物に到着した。まだ半数くらいは人が居ないけど、どうやら間もなく集まるとの事。
そう言えばホークスはあれからどうしたんだろう?と、そんなの気にしなければいいのに完全に無視する事が出来なくて、「ホークス様」と書かれた部屋の前までやって来た。
「…眼鏡どうしちゃったんですか?」
ノックをするかどうか迷っていると、急に隣で声がした。もうこの人の声が突然聞こえてくるのに慣れてしまった私は肩を落として、部屋のドアを代わりに開けてあげながら答えた。
「さっきのドタバタで失くしました」
「あらま」
それから二人で部屋に入り、ゆっくりとドアを閉める。今思えば私まで入る必要は無かったのだけど。
「誤報ですって。よかったですね」
「私はよくないです…」
「学校が燃えちゃうよりはよかったです」
ホークスは部屋に用意されたポットのスイッチを入れた。この人、この騒動があったのに今からお茶でも飲む気か?
その予想は的中して、椅子を引いた彼は私がさっき持ってきたお弁当を開け始めた…ように見える。いいんだけど、まあ、ホークスのお弁当だからいいんだけれども。
「……佐々木さん?」
眉と眉がくっつきそうなくらい寄せていた私に、ホークスは心配そうに言った。目が悪いから顔をしかめていただけなのだが、また別の理由で眉が寄る。なんで私の事佐々木だって知ってるの、この人。
「何で名前知ってるんデスカ」
「ネームプレート付けてますよね」
「あ」
「そんな邪険にしないでもらいたいんですけど…これどうぞ」
と、ホークスは机に置かれていたティッシュの箱を私に差し出した。どうしてそんなものを渡してくるのかと受け取るのをためらっていると、彼は反対の手で私の膝を指差す。…あ、すりむいて血が出てた。
「…どうも」
「そのまま戻って来るなんてなかなかですね」
「だって、鞄はあっちの奥の部屋に置きっぱなしだから…」
「だからってもうちょっと気にするもんですよ、女の子ってのは」
「……」
ああそうですか悪かったですね。普段はジーパンなどの色気のない服装をしている私が、学園祭だし少しだけおめかししようかなとクローゼットの奥からスカートを出したのが悪いんですね!
苛々してつい声に出そうになったけど、これらがホークスのせいではない事くらい分かってる。私が地味でつまらない女なのは私の責任。ホークスのせいじゃない、この人は関係ない、この人に当たっちゃダメ、例え私のお尻を泥だらけにした男だとしても…思い出したらムカムカしてきた。
「佐々木さんて、どうして眼鏡かけてるんですか?」
冷静になるよう努めながら膝の血を拭いていたら、ホークスご頬杖をついて言った。どうして眼鏡をかけてるかって、そんなの分かり切っているのでは?
「…はい?見えないからですけど」
「そういう意味じゃないです」
「どういう意味ですか」
「コンタクトとかあるでしょ」
「目に直接何かはめるなんて怖いじゃないですか…」
この世にコンタクトという便利なものが存在する事くらい知っている。夏でも汗でずり落ちなくて良さそうだなぁとも思う。けど、どうしても目に異物を入れるというのが怖くて試したことは無い。
それはホークスも理解できるようで「まあそうですけどね」と答えたものの、まだ私に言いたい事があるようだった。ガランと音をたてながら椅子を引いて立ち上がり、つかつかと近寄ってくるのだ。おかげで、ぼやけて見えていたホークスの顔がだんだんとハッキリ見えてくる。やめて欲しい。顔が見えたら苛々が増しちゃう。ところがその心配をよそに、彼は顔なんか見えなくても私を苛つかせる事を言った。
「眼鏡かけるにしても選び方間違ってます」
その時にはもうホークスの顔が真ん前に来ていて、まるで私を観察するかのようにジッと見られていた。品定めするみたいに、っていうの?とにかく気分が悪い。
「……何なんですか?いちいちうるさいんですけど」
私が眼鏡にしようが裸眼を貫こうがコンタクトデビューしようが、ホークスには一ミリも関係の無い事だ。それどころか世の中の誰にだって無関係。それなのに、これ以上何の世話を焼いてくると言うんですか?
一言言って思いっきり胸を押し返してやろうと思ったのに、その前にホークスの顔がさらに寄ってきた。
「だって、素顔めちゃくちゃ可愛いですよ?」
彼が何を言ったのかはしばらく分からなかった。顔が近すぎるし、聞いたことの無い単語だし。正確には「言われたことの無い単語」。可愛い?素顔?私の?ていうか、こんな距離で女の子に向かって「可愛い」?セクハラだ!私は思いっきり右手を振り上げた。
「いったあ!!」
カランカラン、と音がしたのはきっとホークスのゴーグルが床に落ちたから。何故ゴーグルが落ちたのかと言うと、私の張り手が彼の横っ面を叩いたから。ホークスはびっくり仰天した顔で右頬を抑えている。「親にも打たれたことないのに」って、そんなの知るか!可愛いってなんだ!お目目が腐ってるんですか!?
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