01
ドラマチック野ばらケーション
何かが起きた時は、たいてい「普段と変わらぬ何気ない朝だった」という導入から始まる。
今朝の私は寝坊することもなく起きて、顔を洗って歯を磨き、寝癖はそんなにひどくなかったから準備を早々に終えてリビングに降りた。そこでは朝食をとっているお父さんと、ちょうど私の朝食を作り終えたお母さんの姿が。
数年前、この街が得体の知れない生き物に突然襲われた日もこんな朝だった。幸いうちの家は被害の多い地域から離れており、家族全員が無事だったけれど、親戚がひとり怪我をしてしまった。その人は命に別状はないものの、今では車椅子生活だ。決まってみんな「命があってよかった」と言うし、私もそう思っている。
それに数年経った今、ネイバーと呼ばれる生物を駆除するための計画はどんどん進んでいると聞く。そのための組織が立ち上がり、勇敢な人材が集まって体制を整えているのだ。おかげで今じゃ、人の住む区域にネイバーが現れることはほとんど無い。あったとしてもすぐにボーダーが駆け付けて退治してくれる、本当に頼もしい人たちなのである。
「嵐山さん見た? 昨日テレビに出てたの」
「見た見た。さわやかだよね」
学校に到着すると、ちょうどそのボーダーの話題が出ていた。
主に若い男女からなる隊員たちは任務はもちろんのこと、テレビ出演をして活動内容の説明をしたり宣伝をしたり、忙しくしているようだ。中でも今友人の口から出た「嵐山さん」という人はとても人気で、甘いマスクが私のお母さんもお気に入りらしい。
私も彼らの活動には感謝しているし安心している。いつもありがとうございます、と心の中で唱えるくらいには。
「ボーダーの人たち、今日は休みか」
不意に誰かが呟いた言葉で、私は教室の中を見渡した。
このクラスには三名のボーダー隊員が居る。その三名ともが現役で、ある程度活躍している人たちだ。そもそもこの学校はボーダーと提携しているので隊員が多く通っている。いつも身を呈して戦ってくれる勇敢な彼らは、残念ながら任務のために授業を休むことが多いのである。
でも、それも彼らが自ら望んだことだし。ボーダー隊員は授業の中の、いくつかのカリキュラムを免除されているし。大変だなあと思うことはあれど、私にはあまり関係のない人たちなのだった。
「……あれ?」
そんな一日の授業は何事もなく終わり帰路についていると、いつも通っている道が封鎖されていた。向こう側で重機の音がする。本屋さんに寄り道しようと思っていたけれど、遠回りするしかなさそうだ。
「工事中かあ……」
たまには違う道を通るのもいいか、そんなに回り道にはならないはずだから。
平凡な学生の私は今のところアルバイトも未経験で恋人もおらず、もちろんボーダーみたいな凄い組織に属しているわけでもない。だから急いで帰宅する理由もないのでのんびりと遠回りを開始した、その時である。
「!」
けたたましいサイレンが鳴り響いた。心臓が直接叩かれているかのようにどくどくと揺れ、同時に突然の地響きが。緊急地震速報でも鳴っているのだろうか、いや、どうやら違う。
この街には地震以外にも起こりうる別のものがあるのだった。
『緊急警報、緊急警報。ゲートが市街地に発生します』
どこからか聞こえてくる機械的な女性のアナウンスはテレビでしか聞いたことのないものだった。
続けて『市民の皆様はただちに避難してください』と、あまり緊急性の無さそうな声で大変な放送が流れてくる。
頭で理解するのに少し時間がかかってしまったけれど、信じがたいけど、この場にネイバーのやって来るゲートが発生しようとしているらしい。それも私の真上に。だって急に視界が暗くなって、空を見上げたら黒い穴がぽっかりと空いていたのだから。
「えっ、!? うそ、ここ!?」
遠くのほうで誰かの悲鳴が聞こえた。その中には「避難しなきゃ!」という声も。そうだ避難しなくては。ここから一番近いシェルターはどこにあるんだろう?
「……ッ!!」
とにかくこの穴から離れなくてはと一歩踏み出した時、大きな地震に見舞われた。
日頃から避難場所の確認をしておかなかった自分を恨んでももう遅い。今の地震は地球の大自然が起こしたものではなく、ネイバーが地面に着陸したことによる地響きだったのだ。そしてそのネイバーは今、私の目の前に。
「や……」
実物をこの目で見たのは初めてだった。ニュースや写真で見たことはあるけれど、こんなに気持ち悪い動きをしているとは。そして、こんなに恐ろしい風貌をしているとは。
後ずさりする脚がもつれてしまい、私はその場に転げてしまった。その拍子に地面に叩きつけられる私の鞄。ああ友だちに貰ったお菓子が入っているのにと、変に冷静なことを考えた。
だけど、そんな暇はあまり無い。ゆっくりと、でも確実にネイバーがこちらに近付いてくるのだった。見る限り付近に居る人間は私だけ。残りの人は家の中に閉じこもっているか、あるいは大急ぎで逃げたのかも。とにかく誰も居なくて、助けを呼ぶための声も出なくて、ネイバーの鋭い脚が振り下ろされてくるのを、目を閉じて待つしかなかったのだ。
「……!」
今朝、もっとちゃんと朝ごはんを味わっておくべきだった。いつも一人で家を出るお父さんを、「行ってらっしゃい」と見送っておけばよかった。お母さんに「お弁当、ピーマンやめてって言ってるじゃん」なんて可愛くないことを言わなければ良かった。
何かが起きた時は、たいてい「普段と変わらぬ何気ない朝だった」という導入から始まる。今日もそんな朝だった。後悔したって遅いのだ。あの世でずっと苦しみながら過ごすことになるだろう。ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい……
と、私はしばらく目を閉じて考えていた。
ネイバーの振りかざした脚に襲われるまでの時間があまりにも長い。今ごろ私は串刺しになり、一生を終えているはずなのに。どこも痛くない。強いて言うなら擦りむいた膝がじんじんするくらいだ。
恐る恐る目を開けると、なんと私を襲っていたネイバーが全ての脚を折られ、地面に叩きつけられたところであった。
「え……」
「大丈夫?」
私とネイバーとの間に立っていた人物が言う。誰なのかは分からない。だけど確実なのは彼が、私たち市民をネイバーから護ってくれる団体だということ。
「……ボーダーの……」
「陽介! お前はあっちを始末しろ」
「はいはい」
陽介と呼ばれたその人は、その後私には目もくれずにどこかに飛び去って行った。よく見ると遠くのほうにもゲートが出現し、ネイバーが現れているようだ。
そして今「陽介!」と呼んだもうひとりの人物が、「陽介」さんの倒したネイバーのそばへ寄っていくのが見えた。
この人ならば知っている。見たことがあるし、名前だって分かる。同じクラスのボーダー隊員だ。
「……三輪くん?」
「あっちへ行ってろ!」
「え」
クラスメイトの三輪秀次が、隊服姿で私に指示をした。
咄嗟のことで私は「あっちってどっちだろう」と首を左右に振り、なかなか動き出すことができない。その間に三輪くんが目の前のネイバーにとどめをさして、かと思いきや今度は銃口を私に向けた。
「わ、わっ?」
「……おまえ、クラスの?」
さっき私が「三輪くん」と呼んだのが聞こえていなかったのか、彼は初めて私が誰であるのかを認識したようだった。
「あ。覚えてくれてた……?」
「……」
三輪くんは無言で銃を下ろしていく。もしかして私のことも撃つつもりだったのか、あの銃って人間にも効くのかな。
それよりも三輪くんは、質問には答えず黙って私を見下ろしていた。「覚えてくれてた?」って自意識過剰だったろうか。
「いや……覚えてないならないで全然いいんだけど、それより」
「……邪魔するな」
「え」
「見えなくなるまで走れ」
「へ?」
「どけって言ってるんだ!」
「!?」
彼が言い終わる前に再び大きなサイレンが鳴り、もう一体のネイバーがゲートから顔を出したではないか。
「うわ……!?」
「だからさっさと消えろって言ってるだろうが」
ぶつぶつと苛立ちを隠さずに言うその台詞は、もしかしなくても私への苛々が募っている証拠。
三輪くんはすぐさまそちらへ飛んでいき、私の居る場所……というよりは住宅地から離れた場所へネイバーを誘導するように走って行った。
「助かった……」
学校内に、クラスメイトの中にボーダーが居るというのは知っていた。だけど実際彼らの活躍ぶりを目の当たりにしたのは初めてだ。自分が被害に遭いかけたのも。
まだばくばくと波打っている心臓を押さえ付けながら全速力まで家に帰り、手も洗わずに自室に駆け込むと、私はスマートフォンを取り出した。電話の発信先は同じクラスの友人である。
「やばいやばいやばいの!今日の帰りにネイバーに襲われかけてっ」
『え。大丈夫!?』
興奮のままに先ほど起きた出来事を伝えると、友人も興奮して声が裏返っていた。
「それがっ大丈夫だったんだけど!ボーダーがすぐに来てくれて」
『ボーダー!? 嵐山さん?』
私が話している途中だというのに、彼女は願望なのか憶測なのか分からない固有名詞を出した。嵐山さんは今日話題にも挙がっていたし有名だけど、そうじゃない。もっと身近な人が来たからびっくりしているのだ。
「それが今日、三輪くんが来たの!」
『三輪くん……ああ。うちのクラスの』
「なんかよく分かんないけど怖かった」
『三輪くんが?』
「ネイバーも三輪くんも!」
『どういうこっちゃ』
どういうこっちゃと言われてもそのままの意味で、ネイバーはもちろん凶悪だったけど、助けに来てくれたはずの三輪くんが鬼の形相だったのでますます恐怖した。
そう言えば記憶の中の彼は、笑顔になったことがない。いつも仏頂面、良くて無表情といった様子だ。授業もつまらなさそうだし、学校に友だちが居るのかも分からない。さすがに仁礼さんとかボーダー関連の人とは話しているのを見かけるけれど。
とは言え今日は彼らが来てくれなければ大惨事になっていたのは事実。こうして能天気に友人への電話をしていられるのは、ボーダーの人が戦ってくれるおかげなのだ。
「優里!あんたニュースに出てるよ」
「えっ!?」
その時、リビングからお母さんの叫び声がした(厳密には単に私を呼んだだけだけど、叫び声に近かった)。
慌てて階段を降りるとテレビではニュース番組が流れており、なんと先ほど私がネイバーに襲われた時の映像が。こんなのどこで撮影していたんだろう、テレビ局も命懸けだな。
「ほんとだ……」
「この人同じ学校の人でしょ。ちゃんとお礼言っときなさいよ」
お母さんはネイバーの周りを飛び回り攻撃するひとりのボーダー隊員を指さした。三輪くんだ。私をネイバーから引き離した後の彼の姿が流れている。「私」という足でまといが居なくなったからか、三輪くんは一瞬にしてネイバーをやっつけてしまった……のが放送されていた。
A級の凄い人らしいというのは知っていたけど、本当にボーダーなんだな、この人。怖かったけどとりあえず、お礼はちゃんと言うべきだよね。
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