ネオンも溶ける夜の出来事
時間には一分一秒でも遅れてはならない、コーヒーはどんなに暑くても音をたてて飲んではならない、クーラーの温度は二十八度より低くしてはならない、エトセトラエトセトラ。
大物ヒーローエンデヴァーの事務所には沢山の決め事があり、破ればぎゃあぎゃあ言われてしまう。主に小言を言ってくるのは本人なのだけど、はじめは私も、どんなに細かい事も守り抜いてやってやるぞ!と思っていた。エンデヴァーというヒーローにずっと憧れていたからだ。
ただ、憧れているからと言ってどんな時でも頑張れる訳では無い。例えば今日のように、取材の時間を間違えてしまって彼の貴重な活動時間を制限してしまった事については、非常に厳しく怒られてしまうのだ。
「貴様は時間の管理がなっとらん!」
「は……ハイ……申し訳ありませ」
「お陰様で二時間も無駄にした」
「はい……」
「二時間あれば何が出来るか分かるか?」
エンデヴァーさんがこんなに怒るのも無理はない。本来は夕方六時のアポイントだったものを誤って十六時、つまり夕方四時だと認識していたのだ。
今日は記者の取材の予定だったんだけど、ただでさえそう言うのが苦手な彼は大激怒。しかしミスをしたのは私なので先方への態度はあくまで変わらず、エンデヴァーさんは私だけにお怒りなのである。
あまりにも目を吊り上げている彼の姿に周りは少し引いているけど、その中でやんわりとフォローしてくれる人物が居た。
「いいじゃないですかたまには。俺は全然待てましたよ」
こんな声を上げてくれたのは今日、エンデヴァーさんとともに取材を受けたホークスさんである。この人の事務所に時間を連絡したのも私なので、ホークスさんも二時間早くに到着してしまったのだ。ただ、うちの主ほどは気にしていない様子。
「時間に縛られる生活。気が滅入りそうじゃないですか」
「そういう問題じゃない」
「佐々木さんだってそういうのに疲れてうっかりミスしちゃったんでしょ」
初対面の私を庇ってくれるのは、私が明らかに新人だからだろう。エンデヴァーさんはそういうの、新人とかベテランとか気にしなさそうな人だけど……まあ当たり前だけど。
「ホークスだから良かったものの、お前は二人分の時間を無駄にした自覚を持て」
「すみませんでした……」
「ホークスだから良かったもののって前置き要ります?」
「解散!」
そう言うと、エンデヴァーさんはホークスさんをほぼ無視して一人で行ってしまった。
元々今日は事務所に戻らず現場解散の予定だったけど、こんなにあっさり解散とは。私、相当怒らせてしまったのだろうか、
「……エンデヴァーさんの言う通りですよね。あなたの時間まで無駄にしてしまいました」
きっとあんなに怒っているのは、ホークスさんにまで迷惑をかけたからだろう。この二人は今や大忙しのヒーローだ。秘書という立場なら一分一秒も無駄にせず仕事をしなきゃならないはずなのに、とんだ大失敗。
改めてホークスさんに頭を下げてみたけど、やっぱりこの人は全く怒った様子もなく首を振った。
「気にしませんよ。俺はあの人ほど忙しくしてませんので」
「でも……」
「あの人ほど心も狭ぁ〜くないですから」
「ふっ、」
そのホークスさんの顔がとっても大袈裟な表情だったので、私は思わず吹き出しそうになった。慌てて口を覆ってみたけど勿論隠し切れておらず。ホークスさんが目を細めて私の失態を見つめているところであった。
「……チクっちゃお」
「やめてくださいすみません」
「冗談ですって」
「冗談に聞こえませんっ」
この人、今日の取材を聞いていても感じたけど本音がとても読み取りづらい。しかももう片方はエンデヴァーさんだし、記者の人も大変そうだった。私はエンデヴァーさんがああいう人だと知った上で入社したからまだいいけれど。
でもやっぱり今日のミスは初歩的すぎたよなあ。と、さっきの怒声を思い返して落ち込みモードに入りかけていた時。
「あーお腹すいた。何か食べに行きましょう」
「え」
「この時間から一人で食うの寂しいでしょ。お互いにね」
ホークスさんが自分と私とを交互に指さしながら言った。
確かに私は家に帰っても一人である。恋人は居ない。この口ぶりだとホークスさんも相手が居ないのか。なんだか意外だけど断る理由は特に無い。「仕事で出会った相手と軽率に交流を持っていいのかな」とは、ほんの少〜しだけ感じたけれども。
「……じゃあ……」
すぐそこにホークスさんの好きなお店があると言うので、私たちは歩いてそちらに向かう事にした。個室ならば目立たないだろうし、私も今日はなんだか疲れた。帰っても自炊する元気は無い。美味しいものを食べて気分を上げよう。
「……私、前の秘書の方の代わりに入ったんですけど……どうも上手くできなくて」
しかしお酒が入ってからも私の口から出てくるのは、あまり浮かない内容ばかり。自分でもうんざりするけれど、よほど今日の失敗がショックだったらしい。
ホークスさんはと言うと、あまり気にせず箸を進めているけど。私の話には一応耳を傾けてくれていた。
「そりゃ新人なんだから当然では?」
「でも前の人は、新人の頃から何でも出来ていたみたいで」
「向き不向きってありますからね」
「じゃあ私はこの仕事、向いてないって事に」
「向いてないからって辞めるかどうかは自分で決める事ですけどね」
そう言って二杯目のビールを飲み干したホークスさんには、何故だかとても説得力があった。
「……私もそんな考えで居られたらいいんですけど」
向いてるとか向いてないとか、自分で判断する力も無いし。向いてないからってすぐに辞める勇気も無いし、続ける意欲もあるにはあるけど前向きな気持ちでは居られない。だって今日、時間を間違えるなどと言う人為的ミスで迷惑をかけてしまったんだから。
「ま、エンデヴァーさん今日は苛々しちゃってましたけど。明日になれば忘れてるでしょう」
「そうですかね……」
「一度怒った事を引きずる人には見えないから」
「なるほど」
「佐々木さんが明日になってもウダウダしてたら、どうだか分かりませんけど」
ホークスさんの目はゴーグルの向こう側でにこにこと笑っていた。
もしかして元気づけようとしてくれてる? だからご飯に誘ってくれたのかな。だとしたら、せっかくの厚意を無駄にする訳にはいかない。
「……よし。ウダウダしません!」
「わーい。その調子」
「今日のミスは忘れます!」
「反省はしましょうね」
「……忘れず次に繋げます!」
「そうそうそれそれ」
本来なら私が彼を接待しなければならない立場だろうけど、ホークスさんは誘ってくれた上にお金も全額払ってくれた。「どこで誰に見られてるか分からないのに、女の人に飲み代払わせるなんて出来ません」と。
上手い言い方だ。私に変な勘違いをさせる事もなく、スマートに払ってみせるとは。
「何かすみません。ホークスさん全然関係ないのに愚痴に付き合わせて」
「ぜーんぜん」
愚痴という程でも無かったけど、ほぼ私の沈んだ話だったから。まあ原因は私なんだけど、だからこそ一人で立ち直るのは大変だったろうし助かった。
お店を出ると人通りは少なくなっていたけれど、まだ電車はある時間。でも私は今日は楽をしてタクシーに乗る予定だ。家までそんなに高くない距離だから。
ちなみにホークスさんはどのあたりに住んでるんだろう、公共交通機関とか使うのかな。
「あの、どうやって帰るんですか?」
「飛んで帰りますよ」
「え。そういうのって、飲酒運転というか飲酒浮遊……じゃなくて飲酒飛び……とかにならないんですか」
「はは。飲酒飛びして大事故でも起こしたら禁止になるかもですね」
そんな冗談を言えるという事は、まだこの人はあまり酔っていなさそうだ。私も初めての相手だったから強いお酒は控えたものの、少し頭がふわふわしているのに。
「じゃあ……またいつかお願いします」
私は飛び立とうとするホークスさんに頭を下げ、顔を上げて近くのタクシーを探そうとした。が、ホークスさんからはアッサリと驚きの言葉が返ってきた。
「そうですね。近々」
「えっ、近々?」
「来週またエンデヴァーさんとの仕事ですよ」
「え!」
そうだったっけ。ホークスさんとの仕事なんて入っていたっけな。
慌てて仕事用の手帳を開いて汚い字で書き込まれたページをめくり、来週の部分を目を凝らして眺める。するとそこには汚いながらもしっかりと書かれていた、ホークスさんとワイドショーのインタビューを受けるという仕事が!
「ほ……ほんとだ……」
「まぁたスケジュール管理〜〜〜」
「す!すみません今のも内緒に」
「どうしましょ〜〜〜」
ホークスさんが本気なのかどうか分からない様子でニヤニヤするので、私は冷や汗だらだらだ。お酒を飲んだ直後なのに。というか来週もご一緒するのを把握せずに会うなんて失礼も甚だしいのでは?これはやっぱりエンデヴァーさんに報告されて怒られるのも避けられないのでは!?
覚悟を決めた私は、次にホークスさんの放つ言葉を受け入れようと身構えた。
「でも、二人でご飯行ったのは内緒にしましょうね」
しかし聞こえてきたのは私の失態の話じゃなくて。今、一緒にご飯を食べに行った事についてだった。しかもそれをエンデヴァーさんには内緒にしておこうと。それってどうして?
「……あ、あの!」
「ではでは」
「あ」
私、「あの後ホークスさんにご飯をご馳走になりました」って報告するつもりだったのに。ホークスさんはひらひらと手を振ると、勢いよく翼を広げて飛び去ってしまった。まるで私が呼び止めるのを見越していたかのように、大きな音をたてながら。
「……来週は時間間違えないようにしよ……」
時間通りにテレビ局に行って、時間通りにホークスさんに挨拶をして、それで「今日は遅れませんでした」って堂々としてみせなきゃ。
と思う反面、もしもまた私がミスをすれば、彼は今日と同じようにご飯に誘ってくれるのだろうかと要らぬ想像をしたりもした。……来週、もう少しスタイル良く見えるスーツで行こうかな。
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