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ゴールデンゴールドのコール
中学生のころ、好きな女子は居た。普通に仲が良くて普通に会話をしていたが、どうも告白するとかしないとか、そういう気持ちにはなれなかった。今思えば、アレは「この関係を崩したくない」という感情だったのかもしれない。
そのうち三門市にネイバーが現れたことで、彼女とその家族は遠くに引っ越した。その頃には俺も恋愛にうつつを抜かす気にはなれず、生まれ育った街を襲ったネイバーという存在に対抗するため、ボーダー隊員になった。
それ以降俺の中には愛だの恋だのの気持ちは芽生えていない。そんなことを考える暇もなく鍛錬に明け暮れて、A級隊員の座を勝ち取ったのである。だから誰かに「好き」だと言われるのは初めてで、誰かを「好き」なのかと考えるのは久々で、つまり今俺の頭はちんぷんかんぷんだ。
佐々木は定期的に本部へやって来てはトリオン器官の検査を受けているらしかった。直接のやり取りはしていない。言われたことに対しての答えが見つからないのに、俺から声を掛けるなんて出来ないから。
だけど佐々木が元々所属していた奥村隊の元隊員なんかは頻繁に目にする。新しい部隊を結成するために動いているのだろうと思えた。もちろんそこに佐々木の姿は無かったが。
「そういえばさっき、佐々木さん見ましたよ」
ところが俺ではなくて、別の隊員が佐々木優里を目撃したらしい。ラウンジで最近インストールしたゲームに勤しんでいると、菊地原が耳打ちをして来た。お陰様で手元が狂い、画面はゲームオーバーである。
「……え!?」
「あ。やっぱり知らなかったんですね、今日来てること」
「何か話した?」
「別に何も……見かけただけなので」
偶然佐々木が検査のために本部に来たのを、菊地原が目にしたようなのだ。
佐々木が今どういう状態なのか他の隊員はおそらく知らない。か、太刀川さんの雰囲気だと、知っているけれど話題に出さないのかもしれない。仮にも菊地原は俺と同じA級なうえ耳が良いから、情報なんかはどこかから入ってくるだろうし。
本部内のどこで佐々木を見かけたのか、以前の俺なら聞いていただろう。でも今は聞いたところで会うべきかどうか分からなかった。 佐々木に「好き」という感情を抱かれていたなんて夢にも思わなかったのだから。情けないかな。情けないかも。
……というモヤモヤを打ち消すためにも俺はゲームに集中した。始めたばかりのアプリだからルールもよく分からずに弄っているだけだが。
なので、菊地原の邪魔が無くても再びゲームオーバーの画面になった……と思ったら、電話の着信画面になった。
「うわっ」
しかも出ていた名前は「佐々木優里」で、今このスマートフォンに佐々木から電話が来ているらしかった。危うく取り落としそうになるスマホを持ち替えて、周りに誰も居ないのを確認してから、ようやく通話ボタンを押下した。
「……はい」
『出水先輩。突然ごめんなさい』
「あー、うん。ぜんぜん? どした」
俺は自分の声が裏返らないよう気を付けながら受け答えをした。そして、椅子の音が鳴らないようにゆっくりと立ち上がる。ラウンジから離れるためだ。
『ご挨拶しとかなきゃって思って』
しかし、俺の足は止まった。「ご挨拶」と聞いて、最もよくないことが頭を過ぎったのだ。もしかしてやはり、ボーダーを辞めてしまうのでは?
佐々木は俺に直接話したいのだと言い、また密室の会議室へと呼び出された。やっぱり本部に来ていたようだ。しかし、どうやら前回とは違って会議室の使用許可は得られていない。
だがそんなことを突っ込むほど冷静では居られない。言われたとおりに佐々木の待つ部屋に向かうと、以前と変わらぬ姿の彼女が居た。
「このあいだはすみませんでした」
まずは佐々木が頭を下げた。何度俺に謝れば気が済むのだろうか? しかも佐々木は何も悪いことなんてしていない。ただ俺に、自分の気持ちをぶつけてきただけだ。
「べつに謝ることじゃ、」
「今日も診てもらったんですけどね、やっぱりもう回復の見込みは無いそうです」
けれども今日俺を呼んだのは、好きとかどうとかの話がメインでは無いらしく。佐々木の身体についてであった。
若い身体のなかで劣化していくトリオン器官。入隊時の試験や適性検査である程度分かったであろうことが、今になって明らかになったのである。佐々木のトリオン器官は平均よりも弱く役に立たず、十六歳にして成長が見込めずに劣化していくことが。
「……だから、トリガーは返却してきました」
それは聞きたくない言葉だった。ボーダーから支給されたトリガーを返却すれば、もう隊員としては居られない。戦うすべが無くなってしまうのだ。
「……ほんとかよ」
「ほんとです」
「ほんとか?」
「ほんとですってば。驚かれるだろうなぁとは思ってましたけど」
佐々木は案外冷静で、とくに悲しそうな様子は無かった。前から決めていたことなのかもしれない。
「でもね先輩、先輩のおかげで冷静になって考えることができました」
「……何を?」
「前に先輩が言ってくれたような道もあるかなって思って」
トリガーを返却したというのがあまりに衝撃だったので、過去の俺が何を言ったのか思い出すのに時間を要した。それにあの日はそれ以外にも、色んな会話をしていたから。
「ボーダーには残ります。戦闘員としては無理ですけど」
先日とは違い、清々しい様子で佐々木が言った。
「……まじか!?」
「マジですって。疑い過ぎじゃありません?」
「いやお前だってこの前、」
「この前はこの前です。辞める気満々でしたけど!」
俺は前回、佐々木に言った。辞めるのは勿体ないから残ればいいと。佐々木はボーダーに残ってくれるようだが、俺の発した「勿体ない」という言葉は受け入れ難い様子だったと記憶している。佐々木は俺のことが好き。だから、ただ単に「勿体ない」という理由で俺に引き留められるのが辛かったのかもしれない。
でも今はけろりとした顔でボーダーに残ると言っている。どうしてだ?
「それに私が辞めたら出水先輩、自分のせいじゃないかって思っちゃうでしょ」
弱りきったトリオン器官のあたりを触りながら、佐々木は俺を見た。
確かにあのまま何の音沙汰もなく佐々木が辞めていたなら、俺は俺を責めたと思う。佐々木の気持ちに気付けなかった俺が「残れ」だなんて無神経なことを言ったのだから、辞めた原因は少なからず俺にもあるだろうと。
だけどこの、佐々木の勝ち誇ったような笑顔と来たら。
「……どういう意味だぁ?」
「そういう意味です」
「えらい余裕だな」
「余裕ができたのです」
なんの余裕だよ。と、深堀りするのはやめておいた。きっと佐々木の余裕の原因も俺だから。自意識過剰だと思われるかもしれないが。
「だからこれからもうちょっと、ちゃんとゆっくり気持ち伝えさせてください」
佐々木は、初めて太刀川隊の作戦室を訪ねてきた時のような顔で言ったのだった。
あの日までの俺は佐々木の存在なんか知らなくて、知ってからもずっと普通の女の子が普通に頑張っていると思っていた。佐々木優里は平均的な女だったからである。
ただ今になって言えるのは、佐々木が「平均」という言葉では言い表せない根性の持ち主だってこと。俺ですら初めての恋は「この関係を崩したくない」と思って動けなかったのに、佐々木のほうから師弟関係を崩されることになりそうだ。
やがて十六歳の隊員がひとり辞めたこと・その原因は一瞬だけ広まったけれど、上層部の計らいですぐに噂はおさまったのだった。最後まで太刀川さんは「そんなこともあったかな」と、俺に深くは聞かなかった。
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