07
セイクレッド・シークレット
こんなに頭がヒヤリとしたのはいつぶりだろうか。
初めて間近で近界民を目撃した時以来かもしれないし、初めてトリオン体になった自分の身体を真っ二つにされた時以来かもしれない。あの時感じたゾワっとした感覚は今でも忘れられない。とにかく、それくらい取り返しのつかないことに繋がるのではという焦りがあった。
太刀川さんの話していた「十六歳の射手」が佐々木優里で間違いないのかは不明だが、確かめなくては居られない。
もし本当なら俺は何と謝罪の言葉を述べれば良いのか、それとももう俺の顔なんて見たくもないと思われているか。とにかく俺がすぐに取れる手段はこれしか無い。
「って、出るわけないか……」
電話は当然ながら呼び出し音のみが鳴り続け、最終的にはブツリと切れた。
仕方が無いけど、とりあえずは着信履歴に俺の名前が残るだけでいい。俺が自分の過ちに気付いた事が彼女に伝わるかもしれない。と、都合のいい仮説をたててスマホをポケットに突っ込んだ。
「あ。出水先輩、お疲れ様です」
その時、背後から声を掛けられてびくりとした。女の子の声だったものだから、まさか佐々木が?と思ってしまったのだ。しかし振り向いたところに居たのは別の人物だった。
「……あ、奥村さんとこの」
「オペレーターでした。宮本と申します」
ただ、彼女は佐々木と無関係の人間では無かった。佐々木がまだ部隊に所属していた頃、オペレーターをしていた女の子である。
彼女らを率いていた奥村隊長が引退してからというもの、この宮本さんという女の子も解散せざるを得なかったのだ。少し話してみたところ、宮本さんは間もなく新しい部隊を結成し、そこでオペレーターを勤める予定らしいが。
「なあ、最近あの子……佐々木って、何してるか知ってる?」
申し訳ないが宮本さんよりも佐々木のことが気になってしまい、平静を装って聞いてみた。同じ隊だった女同士なら、今でも交流があるかも知れない。
「優里ですか?さあ……訓練に行ってないのは聞いたんですけど。それ以外は何も」
「連絡取ってないの」
「たまーにですよ。最後にメールしたのは先月かなあ」
「先月か……」
「どうかしました?」
どうやらこの子に頼れる事は無いらしい。聞けば通っている高校も違うので、本当に会う機会が無いのだと言う。
ひとまず引き止めた事へのお詫びと礼だけ言って、俺はその場を立ち去った。
佐々木自身のことを知ることが出来ないのならもうひとつ、知りたいことがある。それを聞くには本部の専門家のほうが良いのかもしれないが、鬼怒田さんには「機密事項だから」と言って門前払いを食らってしまった。何が機密だよ、それなら太刀川さんにももっと厳重に口止めしておけよ。
というわけで俺が頼れる相手は限られるが、ボーダー幹部の連中と同等かそれ以上の知識を持っているであろう人物が居る。ちょうど休憩スペースで一人になっている彼を発見したので、迷わず俺は近付いた。
「空閑ー、ちょっといい?」
玉狛支部の空閑遊真はちょっぴり変なやつだけど、俺はその変なところがお気に入りだ。しかも礼儀正しいときてる。空閑は俺に気付くとぺこりと頭を下げてきた。
「これはこれはいずみ先輩。おつかれさまです」
「なあ、聞きたいことがあんだけど」
「ほう」
俺は空閑の前に座って話を始めた。佐々木という女の子が居て、彼女の身体にこういう事象が起きているらしい、ということを。
「……って言う感じで、俺も詳しいことは知らないんだけど。トリオン器官ってそんなふうに急に弱ったりするもんなの?」
生まれた時からトリオンという存在を知り、トリガーに関わってきた空閑ならば分かるかもしれない。あっちの世界で同じような出来事があったかもしれないし、何かが分かるチャンスかも。
「衰えることはあるよ。こっちの人間だって、歳をとったら抵抗力が弱まるんでしょ?病気になりやすかったり」
「十六歳の女の子でもか?」
「個人差あるんじゃないのかなあ……おれの国じゃそんな精密なこと調べてもらう余裕なんかなかったよ」
空閑は俺に意地悪で教えてくれないのではなく、本当によく知らないようだった。彼の世界では内紛が絶えなかったと言うし、いちいち自分の体を分析する暇なんて無かったのかもしれない。
「けど、トリオン器官っていうのはたいてい、成人してからだんだん成長しなくなるって聞いたからさ」
「ふむ。そうかな……そうかも。こっちじゃ若いやつしか闘わないのはそのせい?」
「だと思ってた」
「ふうん」
ボーダーの研究や調査によればトリオン器官の成長が止まるのは二十歳が目安だと言われているし、実際辞めていく人も成人が多い。だけど空閑はストローで飲み物を吸い上げながら考え込んでいるようだった。父親も前線で闘っていたと言うし、隊員のほとんどが未成年からなるボーダーは珍しいのだろうか。
「脳だって肺だって、頑張りすぎたら疲れる。それといっしょだと思う」
「へ」
ストローから口を離した空閑が話し始めた。
「生まれつき心臓が弱い人とかさ。こっちにも居るでしょ?その佐々木さんって人はトリオン量うんぬん以前の問題で、そもそもトリオン器官が弱かったんだよ」
当たり前のように話す空閑を見て、自分と空閑との育ってきた環境の差を見せつけられる気がした。
「そもそもトリオン器官が弱い」ってことがあるのか。それってつまり、そもそもボーダー隊員に向いてないってことだ。あんなに自分の時間を割いて訓練していた佐々木なのに。
「ここじゃあ他人が脱落してくのはラッキーなんだと思ってたけど、いずみ先輩はそうじゃないんだ」
また、ストローをちゅうちゅうと吸いながら空閑が言う。感心しているかのような口ぶりだけど、観察しているかのような瞳であった。
「お前だって、メガネくんが脱落すんのは嫌だろ」
「なるほど。嫌だ」
「そーゆーもんだ」
「じゃあ、よっぽど仲のいい人なんですな」
そう言われて、俺はピタリと止まってしまった。空閑遊真とメガネくんとの関係性を考えれば、どちらかが居なくなるのは相当な痛手になるに違いない。精神的にも戦力的にも。チームだから。
だけど俺と佐々木はそういう関係じゃないし、なんなら彼女が訓練に来なくなるまではここまで意識していなかった。どうして来ないのだろう?どうして俺にすら何も相談して来ないのだろう?と考えていくうちに、頭は佐々木のことばかり。俺たちは空閑の言う「仲のいい」関係性では無い。ボーダー内での単なる先輩と後輩なのだ。
「そりゃあ、俺の後輩だから……」
俺の発した言葉に空閑は首をかしげていたし、その反応は無理もないと思えた。
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