来し方の遭遇




そりゃあ、赤の他人よりはローランサンの事、分かってるつもりだ。むしろ、ここ二・三年の事でなら、僕以上に分かる奴は居ないって豪語できる。何せそう広いとは言えない部屋で一緒に暮らし、衣食住を共にし、仕事なんかは片棒を担ぎ担がれる関係だ。新婚夫婦も驚くような日常生活のシンクロっぷりは、良くも悪くも相手の癖とか無防備さを明るくするもの。

でも、僕達の間には踏み越えてはならない一線があることも確かで。それは過去のことだったり、未来のことだったり。

踏み越えるというのは知ってしまうこと、聞いてしまうこと。僕自身、過去のあらすじや未来の予定表を詳しく語るつもりはないが、ローランサンのそれに全く興味がないと言ったら嘘になる。昔何があってどういう過程を通過して、今の、馬鹿だが頼りがいのあるローランサンが形成されたのか。特に隠していない僕に対して、ローランサンの過去については、幼馴染が居る以外には、不自然なほど分からなかった。

隠してあるもの、謎なものが纏うベールの魅力は半端ない。僕が興味、好奇心からそこを覗き見することなんて一生ないとは思うけど。できるなら、相方がその向こうからほんの少しでも開いて見せてくれるといい、と願ったたことならいくらでもある。



そして何故か今、僕のその願いは、非常に中途半端に叶えられた。

向かいの席には、僕が知るローランサンになるまでの過程途中を、そのまま浚ってきたような子どもが、ホットミルクをちびちび飲んでいるのだ。





小さな声でソレイユと名乗ったこの子どもと会ったのは、小雨の降り頻る朝の路地裏にまで時間を巻き戻すことになる。まだ減る気配を見せないカップの中身が、静かに今朝の回想を促した。





昼時前とはまた違った雰囲気を見せる朝の大通りを横目に、傘を差して道を急ぐ。雨の水滴より、湿気で張りつく髪の方が鬱陶しい。横髪を耳に掛けようとして足元が疎かになり、抜かるんだ地面を踏んで滑りそうになった。上品といえない舌打ちをついて、僕は曇天の空を見上げる。

何で朝っぱらからこんな所に居るんだろう。普段ならまだ寝てるか、相方が朝早くから動き回る音をベッドの上で聞いている時刻なのに。

問いかけを上に投げても、落ちて帰ってくるばかり。そこでまた周囲を見る目を疎かにしていたのは、頭が働いてなかったからに違いない。若しくは最近不足気味の睡眠の所為だろうか。


「…っ!」


死角から走ってきた子どもの気配に気づかず、悪いことに子どもも路地裏をぼんやり歩く僕に気づいておらず、正面衝突など間抜けな事をやらかしてしまった。軽い衝撃と、ばしゃり、水の跳ねた音でようやく我に返り、自分という障壁に弾かれて転んでしまった子どもに、慌てて駆け寄る。


「悪い、平気か?」


七歳、いや九歳くらいか。華奢な腕が、雨で濡れる前は新品だっただろうシャツから伸びて、顔に着いた泥を拭う。まず、そこから覗いた目の色に僕は固まった。空を覆う灰色を取り去った空の、夜の時の色。藍色の両目は、僕の鮮烈な既視感を与えてくる。同時に、その色には尋常ではない怯えが映っていて、走っていたのもあり、何かから逃げている途中だということが容易に理解できた。しかし、息を飲むのも忘れ固まっている時間はそう長くなかった。


「やっと追い付きましたぞ…っ」


あまり舗装のされていない泥だらけな道だというのに、コツコツという忙しない音を響かせ現れた第三者。モノクルをきらりと光らせた初老の紳士は、嫌というほど見覚えのある人物で。指をさしてその名を叫ぶと、おや、とこちらを向いたシルクハットの下は、僕に見間違いでない事を嫌でも教えた。


「賢者!?」

「おや、イヴェール君。奇遇だね」

「奇遇どころじゃないだろ…、何でこんな所に?」


自慢の口髭も、今日ばかりは湿気で項垂れている。いつみても胡散臭い賢者は、座り込んだままの子どもへ視線を移した。子どもはひ、と短く息を飲んで、素早く僕の後ろへ隠れる。子ども特有の高い体温を持つ手のひらが、かたかた震えながら僕のズボンを掴んだ。どうやらこの子どもの後を追ってきたらしい賢者に、まさか、と疑いの目を向ける。


「…人身売買でも始めたのか…?」

「いやいやいや、誤解ですぞそれは」

「子ども、すごく怯えてるけど」

「本当に誤解だ!私と彼は元々知り合いなのですぞ」

「…だって言ってるけど、知ってるか?」


ふるふると横に振られた頭に、賢者はがん、と石が落下してきたような衝撃を受けた顔をした。余計にきつくなった僕の視線に、慌てて弁明するのが更に怪しいこと、本人は気付いているだろうか。


「し、知り合いと言っても、ソレイユ、私はオーギュストの友人だ」


その言葉にぴくりと反応した子どもは一度ズボンを握る力を強めて、おずおず口を開けた。オーギュスト。僕は知らない名前だ。


「オギュ、の?」

「そう、オーギュストの。彼が留守をするから、その間君のことをそれとなく見守ってくれと頼まれたのです。分かって貰えたかね?」

「――うさんくさい」

「ぷ、」

「…酷い…!」


思わず吹き出してしまい、じとりと賢者の片眼が恨めしそうに此方を見た。確かに胡散臭いと僕も思ったばかりなんだから仕様がない。子どもは相変わらず賢者に怯えているし、僕は小さな手によってこの場所に縫いとめられている。取りあえずどちらにも嘘を言ってる様子はないので、笑った償いに僕は一肌脱ぐことにした。


「とにかく。胡散臭いのは本当だけど、悪い奴じゃないから、この人。多分。きっと。だからそう怯えてやるな」

「…ほんとう?」

「ホットミルク、一杯賭けてもいいくらいにはな」

「…そんなに私は、胡散臭いですかな…」


ため息混じりの賢者の呟きに、子どもと僕の返事が内容もタイミングも被って。その時に緩んだ子どもの表情に、ひっそり安堵してしまったのは、子どもが、目だけではなく全体が相方の縮図みたいだったからだろうか。それとも僕は隠れ子ども好きだったのだろうか。

止みそうな気配を漂わせる雨は、答えをくれそうもない。





ソレイユの荷物を取ってくると大通りに消えた賢者を見送った後、怯えとは別の理由で震えた細腕を見逃さなかった僕は、ソレイユの手を引いて僕らの住処のひとつへ招き入れた。低家賃の密集住宅には、万が一に備えて数か所部屋を確保してある。しばらく使っていなかったそこは埃っぽかったが、偶然置いてあったコップくらいなら気合いで見つけた。

途中で買ってきて熱した牛乳をゆっくり飲んで、随分警戒を解いた子どもはぽつぽつと語ってくれた。

子ども、ソレイユは、朝目覚めた時自分が居るのは見知らぬ家で、横ににっこり笑う賢者があまりにも怪しかったから、逃げてきたのだという。逃げるのは正解だ。僕も同意したら、大きい二つの藍色は嬉しそうに細められる。

それにしてもソレイユは、象る色はもちろん、自分をあまり手入れしてないらしく、跳ね放題の髪だとか割れた爪だとか。そんなことまで相方と似ていた。灰銀を撫でてやろうか迷って、手を彷徨わせる。もし僕に隠れ子ども好きだという事実があっても、小さい子の世話をした記憶など皆無に等しい。接し方が分からない。結局自分の腰の横に戻して、代わりにそういえばとソレイユに尋ねた。


「僕は胡散臭くないのか?」


思えば、最初から僕は賢者ほど警戒されてなかった気がする。首を傾げると、今度はソレイユのまっすぐな視線とぶつかった。小さく、躊躇いがちに教えてやった僕の名前を呼ばれる。イヴェ―、ルと小さな口がたどたどしく呼ぶものだから、イヴェでいいぞとつい笑ってしまった。


「イヴェ、は。きれいだから」

「…綺麗?」

「うん。きらきらしてる」

「…きらきら?」


確か、結構前にローランサンにも言われなかったっけ。僕がきらきらしてるって。意味が不明だし、ソレイユはどうやら相方と外見が似てるだけではなく、中身まで似ているらしい。


「それに、何か最しょから、イヴェなら信用してもいいかな、って」

「何で?」

「分かんない」

「……まあ、ここで会ったのも何かの縁だしな。賢者が戻るまでゆっくりしけ」

「…うん」


ふと、ソレイユとローランサンを会わせてみたくなった。二人が並べば、そのまま兄弟で通せるはず。はにかんで俯いた銀糸を、今度こそぽんぽん撫でつける。くすぐったそうに捩った頭は、けれど嫌がってはいない。照れ隠しに、半ズボンからはみ出した膝小僧がぶらぶら揺れた。

現在絶賛行方不明中の相方捜索は、少しの間休憩だなと一人ごちて。僕は湯気の立つポットから、ホットミルクのおかわりをそっと注いだ。


















説明!まずは説明をば…!

賢者、何らかのミラクル起こしてロラサンを幼児化させる→賢者大慌て←この間数日→ロラサン行方不明で寝不足イヴェール→子ロラサン目覚める→あれ、記憶まで逆行してる…?賢者更に大慌て→しかし子ロラサン脱走→朝からふらふら捜索活動中のイヴェと激突←イマココ!

はい、これを文に組み入れる高度の技術、岡谷はまだ持ってないんです…orz

ともかく、ロラサン子ども化…!おまたせしてしまい、本当にごめんなさい;リクエストありがとうございましたっ!!



※五千ヒットお礼文でした。






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