いつもいつも気になっている、井戸を覗き込む金の影。それは数日置きに現れてはメルヒェンを騒がせていた。

甘い金色は目にひたすら優しく映り、いつしかメルヒェンはその金色が見える度に空をずっと見上げるようになっていた。金色が此処を覗き込むと、使われなくなって久しい井戸の淀んだ水から太陽に溶かされた蜂蜜が一滴垂らされたような心地がする。それから数ヶ月も経ち、メルヒェンは自然と直に見てみたいと思うようになった。

しかし当然エリーゼ様が許すわけもなく、一度あれを見に行きたいとぼそり呟いた所、私だけが貴方の金色なのよ浮気しに行くなら容赦しない!と怒られてしまった。怒るエリーゼも大変可愛らしい。彼女はひとしきり怒った後、自慢の金髪の手入れをメルヒェンに許してくれたので、エリーゼの金髪もこよなく愛していたメルヒェンにとっては棚から大好きなミルフィーユが落ちてきたような幸運だった。

それでも、それ程時間を開けずに井戸を訪れる色は、エリーゼの金髪の隙をかい潜ってメルヒェンを誘惑する。元より屍体であるメルヒェンは衝動によって動く事が出来ているので、自分の欲求には素直に従う方だ。エリーゼがメルヒェンの忍耐、理性、危機管理を司っているとも言える。しかし今回ばかりは、メルヒェンはエリーゼの制止を振り切って、虎視眈々と彼女が外出する時を伺っていたのだった。

そして遂に今日、少女人形が黄昏の館に住まう双子の姫君を訪れる事を聞き、彼女の背中を見送った途端井戸の淵へいそいそ上がった。つまり。

「今晩は、金色さん」

会いに行くのではなく、待ち伏せしてみました。

これなら自分から会いに行く(彼女曰く浮気)のではなく、偶然出会ったと脚色できるだろう。エリーゼを怒らせるのはやっぱり怖い。

取り敢えずメルヒェンは、やっと直にまみえた少々困惑気味の金色を、心置きなく撫で繰り回したのであった。





童話が生まれそうな暗い森の奥深く、寂れた村の教会に守られるようにその井戸はぽつねんと佇んでいた。野ばらが覆い隠そうとしている井戸の水面は、不思議と枯れることなくそよ風に波打ち、僅かな光を得て繁殖している藻の類が緑色に濁らせている。

何か思うところがある時、息が詰まった時、とにかく一人きりになりたい時に、王子は誰もかれもが忘れ去ったこの村で過ごす事にしていた。

流行病で全滅したという噂を近隣に残すだけで、地図上から抹消されているこの場所は、地面に建てられた十字架の下にしか人影が見当たらない。森の手入れもされていなのだろう。日中でも満足に陽が差さず、日々破天荒な主君に振り回され続ける従者達をして「チョー不気味です」と言わしめる景観は、しかし一挙一動を衆目に晒す日々を余儀なくされている王子にとって心の休まるものだった。

父王の勧める相手を蹴って理想の花嫁を求める旅に出たり、自分の理想を追及するために幼女から熟女までを吟味してみたりなど、いくら周囲の度肝を抜かす行動をしてきた王子にだって、一人で思い悩みたい時もある。森で撒いてきた例の従者たちがこの村へ辿り着くまでの短いプライベートであるが、十分静寂の心地よさを味わうことができる。

特に村をぐるりと見渡せる位置に配置された井戸の前で座り込めば、例え短い間でも自分の立場を忘れられるというものだ。



「成程、それで君はこの井戸へ至ったわけだね」
「まぁ、大雑把に話せば……」

初対面の男に何をぺらぺら喋っているんだろう。王子は冷静な所でそう思ったが、いくら優秀な脳みそとはいえ、元から持ち合わせていた度胸では役に立たなかったらしい。王子は興味津々と話を聞いていた青年に、混乱を引きずりながらも粛々と頷いた。

――今日もひと時の休暇を求めて足を伸ばした王子を出迎えたのは、以前に訪れた通り野ばらの茂みに隠されつつある古井戸と、その雰囲気に違和感なく溶け込んでいる一人の青年だった。名前は、

「何はともあれ井戸へようこそ。私の名前はメルヘェン、気軽にメルとでも呼んでくれて構わない」

らしい。なんとも可愛らしい名前の彼は、挨拶もそこそこ王子の主に頭部を凝視し、突然ブロンドを無茶苦茶に撫で繰り回してきた。まず人気のない筈の場所に見知らぬ人間がいたことに困惑していた王子は、気づけば頭を上下にがっくんがっくん揺すぶられていて、文字通り目を回した。その容赦のなさに王子は慌てて止めに入ったが、言わなければずっと撫でまわし続けただろう。離れていく手は名残惜し気で、久々に王子は命の危険を感じた。

「それで、君の名前は?」

表情はあまり出さない性格なのか無表情ともとれる顔で、彼、メルヒェンは首を傾げる。しかし、その視線は如何にも「興味津々です」と彼の意思を雄弁に語っており、世間を知らない子どもが外界の物に憧れを向けるように視線は輝いていた。そこで王子は初めて、青年の容貌をまじまじと観察する。

白を軽く通り越して青白い肌、全体的に痩せた体躯、特徴的なのは顔にかかる銀の混じった黒髪とそこから時折覗く金色の瞳。衣服はケープのついた燕尾服で、鎖やら何やらの装飾具を除けば、厳かな舞台で五線譜を紡ぐ指揮者を模しているように見えなくもない。

「教えてくれないのかな」

王子の今までの周辺にはいなかったタイプの青年に、観察ばかり夢中になって本人を疎かにしてしまった。さも気にしていないような顔色声音であるが、残念そうな雰囲気(しょんぼりと表現した方がより近い)を感じた王子は慌てて謝罪する。

「あ、ああ、すまない。フルネームで答えられないが、大体皆は王子と呼ぶよ」
「おうじ」

王子は驚いた。自分の身分は、目の前の青年――メルには何も響くものがないらしい。人間離れした双眸は、ただ王子の存在(というより頭部)を映して純粋にキラキラ輝いている。

「おうじ、君はこの辺りによく来ているようだけど。また君がこの井戸を訪なった時に会いに来てもいいかい?」

だから深く考えもせず、王子は頷いてしまったのだった。笑顔でこそないものの、ぱぁっと華やいだ周囲の雰囲気に何となく和みつつ。


こうして、屍揮者と王子の少し奇妙な友人関係は始まったのである。











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