超次元すぎるパラレル
地雷のない方だけどうぞ











「初めまして、きっかり一か月よろしくなイヴェール!」

謎の侵入者はそう呑気に笑って、僕の背中を盛大に叩いたのだった。






妹は可愛いけれど、人生は結構つまらない。

適当に“良い人”を演じていれば人間関係に大きな問題はなかったし、運動……はあまり得意ではない分、勉強がそこそこできる。思うところがあるとすれば、必死に生きることを運命にされている人たちに自分だけ適当でごめん、だとか失礼極まりないことばかりだ。バイトでも始めたら面白いだろうかと考えたりしたのは数か月前で、でも結局最愛の妹と会える時間が極端に減るからやめた。

起伏の少ない日常生活、スリルショックサスペンスがあるならそっちから来いと願うこの頃。そして今日も、辛いわけでもなく楽しいわけでもない一日を過ごす――少なくとも朝起きて今日になるまではその予定だった。




平日二限と三限の間の休み時間、三限の体育は今朝のうちに変更が言い渡されていて、文系の天敵・数学になっている。大半の同級生がブーイングを挙げたが、僕は内心その横暴な決定に拍手喝采した。この時期にわざわざ外へ出て熱中症になるだけの授業なんか消えてなくなれ。室内で数字と格闘しているほうが何十倍もましだと思う。

未練がましく水着の入っている耐水バックを見つめる同級生を横目にいそいそと数学の教科書を出していると、静かな声で名前を呼ばれた。

「イヴェール」
「ああ、メル。どうしたの」

メル改めメルヒェン・フォン・フリードホーフは、癖のある黒い髪、血の気の失せた顔、やたら落ち着いた雰囲気の持ち主だ。こんな紹介をすると病人かと疑われがちだが、顔立ちが非常に端正にできているので、手の出しにくい薄幸系美人として周囲に評価されている。本人は幼馴染の彼女に夢中で、周囲にどう見られているか全く興味を向けていないけど。

いつの間にか目の前に座っていたこの割と仲のいい友人は、携帯電話の画面をこちらに見せながら何やら指差していた。から、とりあえずそこにある文章を読み上げてみる。

「メルへ、ひよこ。今日の放課後近くの手芸屋に寄っていいかしら。お返事待ってますちっさなはぁと。……メル、デートに彼女から誘わせちゃ駄目じ」
「間違えただけだから見るな読むな」

可愛らしい絵文字つきのメールを読み上げると、友人は感想をみなまで言わせず携帯を操作して別の画面にしてしまった。そんなに睨まなくても目元が赤いのがバレバレで、幸せな恋してるなぁと若干羨ましくなる。恋のひとつふたつでもできれば、日常は薔薇色に変わるだろうか。

「イヴェール」
「はいはい、ちゃんと見るよ。何、『日々を鬱屈とした気分で過ごしているそこのアナタ。そんなアナタに朗報です星。これがあればストレス解消間違いなし。ストレスを解消するでもよし、溜まった…』…これは大声で言いたくないな、『溜まった××を発散するでもよし、暇つぶしには勿論もってこい!今なら無料おためし30日間、是非是非どうぞ、ハート』…?」
「これを、」
「これを?」
「まずこうして」

目の前から携帯を取り上げたメルは何やら操作してから、徐に机の上に置いておいた僕の携帯を開きぴこぴこ動かす。何されているのか全く理解できなくて、自分の薄い青の携帯の受信ランプが光るのを僕はただ見つめるしかなかった。

「転送完了。ここのURLにアクセスして、無料お試し……これか。希望に“暇つぶし”」
「っておい、人の携帯を!」

我に返った僕が慌ててメルの袖口を引くも、奴は“登録完了”という文面の携帯をひらひらさせて「もう遅い」と無表情でやりきった顔をした。

訂正というか付け加えをしよう。メルが持っている落ち着いた雰囲気はあくまでも雰囲気で、こいつは企んだことは実に計画的に実行する抜け目のない男だった。

「人を勝手に出会い系まがいの道に連れ込んで……!」
「人聞きの悪い、これはそんな怪しいものではないから安心してくれ給え。暇なのだろう?イヴェールに丁度いいと思って」
「……」

それでも怪しすぎるだろう、とか言いたいことはたくさんあった。しかし図ったように三限開始のベルが鳴り、それも予定ばかりと言わんばかりにメルは自分の席に戻り、僕はじわじわ湧いてくる行き場のない怒りをどう処理するか途方にくれることになった。

(変なの届いたら押し付けてやる……っ)

教室に入ってきた教師の姿に携帯を机の中へ隠しつつ、僕は未知の世界の扉を開け(られ)てしまった不安と不審、そしてほんの少しだけ腹の奥底に横たわった好奇心がふらふら揺れるのを、怒りの代わりに噛みしめた。




そして大分割愛するけれど、冒頭に至るまで数行使うまでもない。放課後家に帰ったら見知らぬ他人が玄関で座り込んでいて、ああ言った。それだけだ。勿論僕は状況が全然掴めていない。一日で思考フリーズする回数がやたら多いんじゃないかとどこか現実逃避じみたものが浮かぶばかりだ。

「もしかして冗談だと思って登録してみた?ざーんねん、申し込んだからには変更?中止?何ていうの、クーリングオフ?とか無理むり」

ふわふわと横向いた銀色、懐っこそうに細められた藍色の両目、メルとは真逆で非常に健康そうな同い年くらいの少年。何故か鍵のかかった扉を超えて堂々と居座り、初対面の挨拶早々まくしたてた彼は、懐からがさごそ何枚かの書類を取り出した。あまり慎重に持ち運ばなかったのだろう、端っこが大胆に折れている。

「これ取説と契約書。お試しだけど一応俺ナマモノだから、契約書はなるべく書いてくれよ。給料もらえなくなる」
「な、ナマモノ?」
「商品名が商品名だからなぁ“対鬱屈用サンドバック”なんて俺に対して失礼だし、無機物だと思ってお試しする人超多い。あ、言い忘れてた。俺の名前ローランサンね。扉は僭越ながら自慢の指先の器用さで何とかしたら壊れた。ごめん」

女子が喋る様をぴーちくぱーちくと言う人がいたが、これもその類なのかもしれない。唖然とした頭が追い付かない中で何とか突っ込もうとするも、全く口を挟む隙間がなかった。しかし最後の軽い謝罪で一応は止まったので、ようやく一言。すぅっと息を吸って一呼吸あける。

「帰れ」

ん?と首を傾げた男――自称ローランサンの肩を掴んで180度回転、玄関の外へ追い出す。律儀にも下靴は脱いで上がったようなので、裸足でだ。僕のじゃないブルーのスニーカーは後から放り投げればいいか。

「ちょ、ちょっと待ってくれよ!」

慌てた彼の腕が暴れるも、構わずぐいぐい外へ追い出す。Tシャツ越しに感じる体温はそこら辺の人より高くて、余計煩わしかった。

「悪い!鍵壊したのは本当謝るからっ」
「鍵はいい。けど根本的にな、あんたを頼んだのは。僕じゃなくて別の人間なんだ。そいつの所へ、行けって、お願いだからっ」
「お、お願いされても、もうイヴェールの名前で登録されてるし無理だって、むり!上に怒られるのは俺なんだって!」
「うちはこんな怪しげな男を許せる家庭じゃないから」
「家庭って、イヴェールその顔で妻帯者?もっと若いと思ったんだけど!」
「違うわアホ!妹の目にこんな出会い系の勧誘やってるみたいな奴を入れてたまるか」
「あ、妹いるんだ。いいなー俺もイヴェの妹さん見てみたいなーだから家にいれて、ねっ!ていうか出会い系じゃないし」
「……この、しつこい!」

ついには腕に縋られ一瞬頭の先まで血の気が上がり、思い切り腕を振り払った。強い力で僕の二の腕にしがみついていた彼は、反動でぐらりと体をよろめかせる。見た目からして反射もいいだろう、そう思ってあまり気にかけず全力で払ったが、しかし場所が悪かった。ローランサンと名乗った少年は態勢を立て直す前に、扉の枠へと勢いよく半身をぶつけたのだ。

鈍い音が玄関先で響いて肩が跳ね上がる。そのまま崩れ落ちそうになった彼の体を思わず支えた。更に、腕に感じる軽さに再び驚き、よくよく見てみれば、彼は筋肉がついている割には細すぎで、咄嗟に腕の力を弱める。

「う゛あ」
「あ、おい、大丈夫か」

今度は逆に僕が相手の腕を掴み、俯いて片手を顔に当てている様子に声を掛ける。軽いとはいえど男で、支え続けるには限界があり、ゆっくり体を降ろして玄関先に座り込ませた。すると彼はぼんやり顔を上げる。

「血は出てないけど……悪い、痛かったよな」

しゃがみこんで外傷がないか一通り調べ、打撲もない様子にほっと安心した。いくらそっちがしつこかったからといって、自分のせいで他人に怪我させたとあっては寝覚めが悪い。決して本当に痛そうな音にびびったからではない。

しかし、本気で寝覚めが悪くなる事態が起こるのはこれからだった。

顔を上げた二つの藍色と、顔を覗き込もうとした目線がばっちり合って、束の間僕はぎょっと息をのむ。先ほどとは別人のように無口になった彼が、藍色に涙を溜めつつとろんとした表情でこちらを見上げてきたからだ。

「いまの、」
「今の?」
「……むしろすっげーいい」

え、と一言だけつぶやく時間だけしか許されず、徐に背中へ回された腕にまた僕の思考回路は停止した。彼の体は痛みに対して正常な反応を表すように縮こまっているのに、本人はうっとりとでも言いそうなくらい満足そうな息を吐く。彼はしゃがみこんだままの僕に抱き着いてきて、口を開いた。

「俺、痛いのすきな人なの」

わぁ、それは驚くしかないですね。




「ごめんごめん、俺スイッチ入ったら見境なくってさ。こんな体質だからっていうのもあって、生身“サンドバック”やってんの。殴るも蹴るもストレス解消のためならどうぞ、こっちは楽しいし文句なし。いやぁ世の中うまくできてるね!」

ローランサンはその後痛みがなくなった途端に復活し、ちゃっかり茶の間まで上り込んでお茶をすすっている。対する僕はあっけからんと言い切る彼に、引いたらいいのか無言を貫き通せばいいのか頭を悩ませるはめになっていた。

「……ひとつ疑問がある」
「遠慮なくどうぞ!」
「僕の希望は、僕が選んだんじゃないけど、確か暇つぶしって送ってた気が」

疑問の意味をすぐに理解した彼はあっけからんと理由を述べる。

「ああそれはね、今すぐ出動できるのは俺だけだったから」
「……そうですか」

下手したら運命とでも呼ばれそうなこの偶然の一致による出会いに、僕はもう何も言葉がでてこなかった。

「イヴェール、改めてよろしくな!」

さっきからにこにこ笑っているローランサンの目が怖い。聞いてみれば、なんでも今までの中で上位に入るナイス腕の振り払いっぷりだったらしい。先ほどとは比べ、まなざしに熱がこもっている。迫りくる身の危険よりまず、兎に角妹が帰ってくる前にこの男をどう追い出したらいいのか。興味もないSMごっこなんて死んでもごめんだ。

イヴェールは頭を抱えながら、最後の暇だった一日に別れを告げることになったのだった。














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