*盗賊結成してもうすぐ一年経つ頃の話






春と冬が交錯し続ける今日この頃。その辺の草村は青々として、小さな野花やら花屋の店先やらが一気に騒がしくなってくる時期だ。誰しも春という季節が嫌いではない。真冬の寒さに手先を擦る必要もなくなるし、貧しい身としては暮らしやすい時期など腕を広げて大歓迎だ。それに、浮かれた雰囲気がどことなく流れるから、稼ぎ先の警備が微妙に緩くなる場合が多い。今こそ稼ぎ時で、ローランサンもその相方も良い気分で過ごしているはずだった。

「それなのに、お前は!」
「あー、っ、はいはい」

ベッドの気怠げな住人は、イヴェールの怒鳴り声を噎せながら一蹴した。しかし相方が怒鳴りたい気持ちも十分に理解しているので、背中を丸めて咳込みつつ、いたたまれなさに寝返りを打つ。ローランサンが喉に風邪を拾ってきたのは、草花に春が宿り始めた先週のことだ。すぐ直るだろう、だって春だし。なんてその時点ではイヴェールさえも気楽に考えていたが、例え春だとしても、季節の入れ代わりにもらった風邪は厄介だった。ここ数日で症状がむしろ悪化しているような気もする。

「普段有り余ってる体力と免疫はどこへ落としてきたんだ。川か?川に流されたか?この間お前だけ川に入ってはしゃいだ挙げ句、石についた苔に滑って尻から転落とかベタなこともしてたし。あれは端から見てて非常に愉快だった。一瞬白目剥いてたもんな。あれは絵か写真に残して、後から笑う材料にすればよかった」

ノンブレスで言いきった相方に、ローランサンは頭を抱えた。ここ数日の仕事の計画が頓挫というか瓦解してしまっていることに、イヴェールは相当の鬱憤が溜まっている。言っていることが滅茶苦茶だ。しかし滅茶苦茶な言い分に言いかえす体力はそろそろ残量ゼロで、ローランサンはだんまりを決め込む。いつもならここで言いかえして、無暗な喧嘩に発展する所だ。売られた喧嘩は言い値におまけをプレゼントするのがローランサンだったが、今日のところはぐっと我慢した。今は治すことに専念しなければ、早々イヴェールとの喧嘩は再開できない。

布団を被って更に丸まったローランサンに、イヴェールは拍子ぬけたような物足りないような、複雑な心持になった。ここ数日そんな日々が続いていて、イヴェールのどこにも流しようのない複雑な諸々は溜まっていくばかり。財布も軽くなっていくばかり。イヴェールは緩く束ねた髪の房を、後ろ手でいたずらに弄んだ。使えない相方を切り捨てて盗賊稼業へ勤しむには、ローランサンと馴染みすぎてしまった。多分ローランサンなら、肩担ぎする方割れが足手まといなら即切り捨てるだろうし、実際何人か実行してきただろう。イヴェールは盗みの経験が浅いが、何となく想像はついた。出会ってコンビを組んで息が合って早一年が経とうとしている。有能で手慣れているローランサンだが、稼ぎ時に使えないのじゃ意味がない。頭の片隅で、見限って別の奴と組むなら今のうちだぞ、と誰かが囁いた。ああそうだ。布団の中で顔も見えず、奴が弱って寝込んでいる間なら、残りの金品を奪って――。

しかし、彼が酷く咳き込む時なんかは、本人でもないのに肩に力を入れてしまうのだ。思わずおろおろする。つまりそういうことだ。

「布団被ってると、余計悪くなるぞ馬鹿」

返ってきたのは喃語のような唸り声だけ。せめて二語文だけでも喋れ、馬鹿野郎。一発殴ってやりたくなったが、イヴェールはぐっと我慢した。今は快復するのを待ってやれなければ、早々ローランサンとの喧嘩は再開できない。イヴェールは溜息を喉の奥で噛み殺した。





カラスの鳴き声で、意識がふわりと持ちあがる。ローランサンはゆるゆる起き上がって、数十秒ぼへーっと宙を見つめた。所々薄汚れた壁が視線を受け止めて、画鋲で留めてあるくつものメモがローランサンを見つめかえした。走り書きの横文字はまるでミミズ。ミミズが薄汚れた赤い空をふわふわ飛んでいる。

「……いま、何時」

もう一声鳴いたカラスに、次いではっと意識を取り戻し、夕陽が室内を満遍なく照らしていることに気がついた。少なくとも数時間は寝ていた。相方は影も形もすっかりない。視線はうろうろ彷徨い、蓋のされた小皿と布を被ったコップ、ピッチャーの置いてあるテーブルに辿りついた。まだ眩暈のする身体と戦いつつ何とかベッドを這い出て、床に座り込みながら水をコップに入れて飲む。その時、はらりと一片の白いものが目の端に映り、手に取るとそれは相方からの置き書きだった。喉を通る冷たい感触も忘れ、ローランサンは心なしか逸る気持ちで目を上下させる。そこには、少し外へ出ると簡単に書いてあって、行き先はローランサンの知らない名前だった。何時に出たのかも分からないので、帰ってくる時間は全然見当がつかない。

息を吸うと、ひゅうと音が鳴る。喉は痛いというより、咳で使いすぎて鈍い重さが残っている感じだった。全快には程遠い。しかし、続いていたそれは今はなく、取りあえず休戦状態に入ったのだろうか。久しぶりに少しはましな呼吸で起きていられる。動かしていないのに疲労感の溜まった身体をもう一度ベッドに投げ出して、ローランサンはふと考え込んだ。誰もいない静かな空間、疲れた身体、働かない頭、妄想にはもってこいの条件が揃っている。

確率の高い、もしもの話だ。もしイヴェールが帰ってこなかったら。盗みの仕事相手なんて、他人同士なら尚更気をつけなければならない。いつ足元を掬われるか、どのタイミングで裏切るかを、腹の底で薄ら考えていることは、場合によってざらにある。ギブアンドテイクは当たり前の認識だけれど、どうやって相手より利益を得るか知恵を働かせるのは暗黙の了解みたいなものだ。特に今の状況、少ない稼ぎ時に役立たずのローランサンを切って、持ち金を奪い別の相手に乗り換えることは容易い。頭の良いイヴェールなら、ローランサンが裏世界の了解を叩きこまなくても、泥棒らしくいるためにどうすればいいか簡単に弾だしそうなのに。何でイヴェールがすぐにそう実行しなかったのか不思議にすら思えてきた。イヴェールが既に荷物をまとめ、何処かで馬でもひっかけて町を越えていく姿が目の裏で鮮やかに映った。そうか、久しぶりに独りになるのか。イヴェールとは一年近くの付き合いだった。ここまで長続きした“相方”は初めてなので、正直名残惜しいというか、なんというか――。

目元が酷く熱い。しかも喉元がつっかえて、勢いよく咳き込んだ。

「なに、これ」

急に熱が上がりだしたのか、肺の奥が締め付けられているように痛い。ローランサンは胸元のシャツを握りしめ、横たわる布団を足で蹴っ飛ばした。休戦状態からまたぶり返して、咳がこみ上げる。咳が辛いときは、寝てるより起き上がってる方が幾ばくかはましだ。ベッドの背もたれに寄りかかって、夕暮れが段々と追い出されていくのを窓の中から見つめた。

ローランサンにはこの苦しさより、自分のものにならない身体が憎たらしく感じる。苛々さえ湧き上がってくるのだ。今すぐ普通の体力が湧いてこないのか、拳を握り全力でベッドを叩いても、奇跡は起きない。寝汗を吸って重くなったリネンは、力ない音を立てるだけだった。

上がる熱の一方で、また一人で仕事をする前に、これでは死んでしまうかもしれないと馬鹿なことが浮かんだ。命が危ない土壇場なら、今より酷い経験をこれまで積んできた。しかし、その時は文鎮のように構えていた、生きたい、もっと良い思いをしてみたいという貪欲さは驚くくらい薄い。こんなこと考えるなんて、自分も年を取ったのだなと柄にもなく感慨深くなって、乾いた笑いが出た。

「笑ってるならもう平気だな、この馬鹿サン」

突然響いた相方の声に、ローランサンは思わずベッドから転がり落ちた。




特に気配もなにも隠していなかったので、窓の外にいることはとっくに知られているとイヴェールは思っていた。だから、どすんずてんばたん、と相方が視界から消えた時、実は本人よりも慌てていたのだ。

「全く、こんなに手間がかかるお子様は見たことない」

ぼけっとしたまま動かない相方を元の位置に戻しつつ、憎まれ口を叩いた。昼間より心なしかぐったりしている様子に、叩きついでで熱を見ようと、夕闇の霞む中でローランサンの顔を覗き込む。途端にぎょっとする。

「お前何で泣いてるんだ」

ローランサンは理解できなかったようで、藍色を丸く広げて「……はぁ?」と首を傾げた。イヴェールは無言で首元のスカーフを抜き取ると、決して器用とはいえない手つきで相方の目元を拭った。しかし次の雫はすぐに落ちてくる。

「ほら」
「あ…?、んで」
「そんなのこっちが知りたいんだけど。喉痛いの?」

じゃあ腹?それとも頭?風邪の時に悪くなるところを挙げていくが、ローランンはゆるゆる首をふるばかりだ。どうやら、原因は痛みや苦しみにはないらしい。やがてスカーフもぐっしょり濡れて、使い物にならなくなってしまった。

「あー、タオル持ってきた方がいいか」
「イヴェール、どこ行ってたんだ」
「唐突だな。三つ向こうの通りにある、――っていう店だ。そこへ行ってた」
「なんで」
「……今日はいやに突っ込むな」

あまり濡れた布で擦ると、明日腫れてしまう。イヴェールがスカーフを相方から離そうとすると、相方は玩具を目の前にした猫よろしく、腕を伸ばして端っこを掴んだ。イヴェールが無理矢理剥がすと、今度は腕を掴んで袖口に顔をぐりぐりと押し付けてくる。生温かい涙が、イヴェールの手首にも伝わる。

何だこいつ、イヴェールは愕然とした。普段から結構絡んでくる相方だけれど、どこか一線の引かれた、お互いの領域に踏み込ませないじゃれつき方をするのがローランサンだった。しかし線はたわみ、イヴェールは一気に相方の陣地へ引き込まれた。強引だったけれど、ローランサンの体温に嫌悪感はない。むしろ、イヴェールは溜息をつきながらも、丸見えなつむじにもう片方の指を差し込んでかき回した。

「誰かさんの馬鹿に付ける薬を、仕様がないから探してたんだよ」

今日のローランサンは色々おかしいが、その調子につられておかしくなっているのはこちらも同じ。イヴェールはわざわざ一人のために、薬局で値段交渉術を駆使し、少ない手持ちの中で薬を購入してきた。妹と一緒に暮らしていた頃の知恵がひとつ役立った時でもある。無抵抗でイヴェールの指を受け入れてたローランサンは、一度信じられないと言う風に瞬きをして、それからスカーフを取ったせいで首元が開いている相方の首から上を穴があくほど見つめた。初めて見たものを取り込もうとする、まるで子どもみたいな熱心さで必死に見あげてくるものだから、イヴェールはふと微笑ましくなる。夜の闇の中、あくどい顔をして剣を振う姿はどこにも見当たらない。

「だから早く寝て、何か食べて薬飲んでまた寝ろ。そうすれば絶対治ってるはずだ。治ってないと許さん」
「や、治すのは薬で、俺のせいじゃないし」
「病は気からって言葉があるの、知ってるか?」

だんまりを決め込んだローランサンに今度こそイヴェールは笑って、掴まれた腕で目元を覆ってやり、「おやすみ」と呟いた。外を歩いてきたからか、「冷たい」と抗議が上がったが、体温は伝染するもので。すぐに指先まで熱くなった。

「今度金が入ったら、何か奢る」

さて、奢られるのは一体いつの話になるのか。当分贅沢はできないだろう。初めてだという自覚もなしに遠い約束を結んで、ローランサンは息を深くした。相方の腕を掴んだまま。本当に、手のかかる大きい子ども様だな。イヴェールはもう一度ぼやいて、この後どうしようかとじっくり考え込んだ。









弱っている時に人肌恋しくなる、けれど人肌恋しくなる意味をローランサンが知らなかったら。そいで自覚なしに、まだすっごくは仲の良くない相方に、初めてさびしくなったり甘えてみたりするロラサンなのでした。仲良くなりかけの段階ってすごく好きです。でも、初期の普通に仲悪い二人も…一度書いてみたいですもぐもぐ。










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