*小話の続き
*若干他サンやモブとの
*絡みがあるので、
*苦手な方は
*ご注意ください。









ある日ローランサンは、目を疑う程ボロボロになって帰ってきた。土にまみれたシャツはあちこち破れ、口元には僅かに血の跡が残っている。すぐに隠されたが、手首に締め付けたような赤い色があるのも見逃さない。イヴェールが無言で詰め寄ると、ぎこちなく笑った口は聞かれてもいないのに「喧嘩してきた」と弁明をする。ローランサンはかつて時々、こうして外で騒ぎを引き起こして帰ってくる前例があったから、イヴェールは何か釈然としないものを感じつつも、手当てを跳ね退けた相方が部屋に消え行くのを見守った。

そういえば、この日からだ。ローランサンの様子がおかしくなったのは。

「おい、いい加減にしろよ」

今まさに家を抜けようとしていたローランサンの腕を掴む。暗がりの中緩慢に振り返った藍色は、どうして今まで気づかなかったのか、ぞっとするほど淀んでいた。

「……仕事以外は何しようと勝手だ、って組んだときに決めただろ。ほっといてくれ」
「仕事に影響するから言ってる。ここ数日遊びすぎだぞ、お前。どうしたんだ」
「仕事はちゃんと失敗しないし、金も俺の取り分だ。イヴェールには関係ない」
「っ、そうじゃない。仕事じゃなくてお前が…っ」

心配、その二文字は、イヴェールの中にある意地や見栄が邪魔して、最後まで出てくることはなかった。珍しく言葉を詰まらせた相方への視線を無感動に逸らし、ローランサンは乱暴に腕を振り払う。

「じゃあな。明日の飯は用意してあるから」

今度は引き止められず、追うこともできず、イヴェールはただ玄関で、闇に溶け込んだ灰色に背を向けた。

毎夜、相方は外を歩くようになっていた。そして必ず、酒と煙草と、女か男の匂いをつけて帰ってくるのだ。




ローランサンは過去に一時期、実父に引き取られていたことがあった。引き取られるという表現はおかしいのかもしれないが、ローランサンにとっては引き取られた、というのが一番正しい表現だった。けれどその期間は長く続かなかった。実父は元々体に重い病気を患っていて、最後は血を吐いて苦しそうに死んでいったのだ。

「何を考えているのかね?」
「別に」
「今日もまた街へ出るのかな。ローランサン君」

こうして酒場でこの男と会うとは、随分奇妙な話だ。数日前、ローランサンが血まみれの手をなおも振りあげようとしたのを、止めたのも彼であったけれど。賢者は場違いにも程があるシルクハットのつばを、慣れた手つきでくるりと回し、店主に歓迎されてない目つきで睨まれようが我関せず、安い酒を呷ってまずいと呟いた。

あの日街を歩いていたローランサンがまず会ったのは、その実父の弟子だった男だった。正確に言うと、弟子だったらしい、だ。ローランサンがそんな顔まで覚えているはずもない。気づかず通り過ぎようとしたローランサンを、力づくで引き留め、あろうことか罵倒をあびせてきたのだ。

「そういえば先日のムッシュー、意識を取り戻したようだよ」
「へぇ。もっと殴っておけばよかった」

まずいと知りつつ、でもそれしか飲むものはないので、ローランサンは賢者に倣いグラスを傾ける。悪いことに、内心蠢いているものが邪魔して、いくら飲んでも酔うことはできない。最悪だった。胃だけが焼ける感覚が残る。憐れみでも、咎めるでもなく、ただ無感情にこちらを眺める賢者は言う。自業自得だ、と。自分に向けて言われたのかは、ローランサンが知る筈もない。しかし急に居心地が悪くなった気がして、ローランサンは音を立てて席を立った。

自分の父親の命日に何故顔を見せない、とは理不尽な言いがかりだった。なら自分を捨てた父親はどうなるのだ。ローランサンを引き取ったオギュは嫌いではなかったけれども、捨てられた時の父親は正直どうでもいい。孤児院の生活は少し物足りなかったけれども、それなりに幸せだった。ローランサンはまず捨てられたことを恨む前に、捨てた人物に関して無関心だった。

だから、罵声を浴びせられた時、煩いな、という感情しか湧いてこなかったのだ。路地裏に引きずり込んで黙らせて、ローランサンを止めた賢者が去って、しかし問題はその後。その後さえなければ、多分相方とも普通に接していられただろうに。

ローランサンはまた、こんな過去もあった。父親が死んだ後にあたるその頃は、今から振り返ればあまり良い思い出はない。言うまでもなく、現在の稼業を覚えたのはこの頃だ。そして、生きていくために自分を使うことに、一番躊躇いがなかったのもこの時期で。運悪いことに、騒ぎを聞きつけ、男を昏倒させたローランサンを取り囲んだ奴らが、その時期に仕事を組んだりした相手だったのだ。

賭博でもしてひどく負けたのだろうか。気が立っていた男達に組み伏せられるまでにそう時間はかからなかった。

大人数を相手にする際は、無抵抗でいた方が無難に済む。経験で分かっていた筈だったのだ。しかし、ここ数年は心のうちを一生の中で一番安穏の中に生きてきたローランサンは、無意識に抵抗する自分を止められず、口から相方の名前を出しかけて、絶望する。いつの間に、これほど依存したのだろう。危機にさらされて、唯一助けを呼べる相手が、いつの間に出来てしまったのだろう。

オギュが死んだ時、思った。ローランサン一人に与えられる愛というものはこの世に存在せず、また自分も一人に向けることはないだろう、ということを。知らないものは、返せない。優しい感情は混乱に掻き混ぜられ、拒絶反応を起こすようになり、思い出の残るアトリエにも、暖かかった孤児院にも、もう戻ることはできなかった。そしてそれを男達の暴行が終わってむざむざ思い出されて、ローランサンを打ちのめした。



「何考えてるの、ねえ」

銀髪に緩いウェーブを掛けた女が、ローランサンの肩に爪を立てた。ぴり、とした痛みがローランサンを現実に引き戻す。若い、という時点で彼女はローランサンを歓迎してくれた。普段は中年の男を取る方が多いらしく、うっとりと息をもらしてこちらにしなだれかかった。よくよく考えれば、眠れなくなった夜を過ごすために選んだ彼女は、どことなく相方に似ている。急に、波が引いていくようにして興味が引いていく感覚。ローランサンは乱暴にならない程度に彼女を引きはがし、衣服を整えた。

「悪い、用事を思い出した」

女は、ローランサンの気まぐれにも驚くことはなく、それどころか何となく分かっていた風で、「なら、またよろしくしてちょうだいね」とあっさり体を離し、婀娜っぽく笑った。




充てもなく歩いて、結局坂の上にある住処のアパートへ戻ってきてしまった。安家賃のアパートは、歓楽街からも近い。月も頂点を過ぎて久しい。相方はとっくに寝ているだろうと思っていたローランサンは、その影をリビングに見て、足を止めた。相方、イヴェールは、毛布をかけることもなく机に突っ伏して寝ている。机の上には、二人分の紅茶と、布がかけられたパン。横にメモがあり、走り書きで「冷めてまずくなってもお前の所為」とあった。

「…馬鹿だ、イヴェール。朝まで戻らない、って分かってただろ…?」

―――お前は、変わらないな、昔から!

男達に囁かれた呪詛が、耳元で蘇った。ローランサンは、昔の荒んで泥にまみれていた頃と変わりない、と言うのだ。ローランサンもそれは否定しない。ただ、始めて信用していい人間が現れただけで。一人で生きていけると疑っていなかったローランサンは、けれど突きつけられた依存の証拠に、怯えて、距離をとることを選んだのだ。何故かは分からない、しかしオギュが最後に微笑んだ姿がイヴェールと重なる。

綺麗な相方。ローランサンと知り合わなければ、盗みなんて暗い世界に堕ちることもなく、妹と二人で幸せに生きていけただろうに。ぼんやり何をするわけでもなく、先程の女より好きな銀色を見つめていると、不意に破かれた静寂にローランサンは硬直した。

「馬鹿は、お前だって」

ローランサンの言葉に応えたのは、紛れもないイヴェールの声だった。ローランサンは息をのんで、咄嗟にリビングから抜け出して寝室へ駆けこんだ。今言葉を交わせば、イヴェールに何を口走るか見当もつかなかった。しかしそこを見逃してくれるなんて優しさなど微塵も持ち合わせていない男は、ローランサンが寝台を見た所でローランサンを捕まえる。そのまま無理矢理引っ張られると、シーツの上へ乱暴に引き倒された。

「馬鹿はお前だよ」

二度も同じことを囁かれ、硬直が解けないでいると、気がつけばイヴェールの腕に抱き込まれていた。相方の全体重と寝台に挟まれて、体が悲鳴を上げる。首元につぶされた鼻は、シャツの襟元を押しつけられる。汗臭い。結っていない長い髪が、遅れてふわり、ローランサンの目元をくすぐる。イヴェールの心臓は穏やかに波打っていた。

「おかえり、ローランサン」

いきなり走って荒くなった呼吸は、徐々に落ち着いてきた。おかえり、と言ったまま、その先の言葉を恐れるように沈黙した相方を近くで感じ、ローランサンは唐突に、今までの行動が阿呆らしくなってきて、強張っていた肩の力を抜く。あれほど苛つきにまみれていた内側が、水が浸透するように、静まり返っていく。

そもそも、だ。イヴェールに依存するのが嫌なら、相方を解消するなり黙って行方をくらますなり、もっと効率のよい方法があった。それをせず、酒で忘れ他者の体温で忘れ、最終的に相方の居るこの場所へ戻ってきたのは、イヴェールと距離をおいても別離する、ということが全く思いつかなかったからだ。「本当、馬鹿だ」と思わず口に出してしまう。ローランサンが喋ったことに安堵したのか、イヴェールは腕の力を強くした。

「お前、香水くさい」
「イヴェールは、汗臭いな」
「ほっとけ。ローランサンには関係ない」

いつかの言葉を反芻されて、ローランサンは相方を見あげた。暗がりににやりと釣りあげられた口元は、やけに憎たらしい。

「心配すぎて、あの後ずっとあそこで待ってたら寝てた、って言えば駄目か」
「…それってさ」
「それ?」
「何か…旦那の浮気に怒るつ…いや、ごめん何でもない」
「それに近いかもな」

頭を鈍器で殴られた衝撃がローランサンを襲った。普段の相方ならば、ここで一発拳が出るのも可笑しくない状況である。ローランサンはそれを、相方が本気で怒っているのだと解釈して、今更逃げ出そうともがきはじめる。イヴェールはそれを咎めるように、ローランサンの頭へ噛みついた。遠慮なしに噛みつかれ、激痛が走る。

「っ!」
「ローランサン」

相方は笑いを含んでいた声を、緊張した響きに変えて、ローランサンはずきずきする噛み痕を抑えつつ、改めて目をこらし美しい顔を見つめた。何だか、若干泣きそうな顔だった。

「捌け口なら、僕を使え。だから、関係ないなんてむかつくこと、二度と言うな」

降りてきた唇は、ローランサンと同じ所と触れ合って、すぐ離れた。相方ならこんなことしないと思うけど、との思考は、驚くくらいの嫌悪感のなさに薄れて消えた。


結局。依存はやめられないから、依存というもの。離れようとした努力はするだけ無駄だった。ローランサンは、愛は注げないけれど、先日殴った男のようにどこまでも無関心なんかでいられない相手、熱を傾けられる相手を初めて手に入れた気がして、イヴェールの手の進む先を思いぞくりと背筋を震わせた。













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