背中合わせって、一番近くに在れるけど、誰よりも遠い距離。背中越しに聞く心臓のリズムは確かに耳に心地よいけれど、それだけじゃ君が何を思っているのかなんて分からないよ。




「ね、白鴉がよくわからない場合、ぼくはどうしたら良いんだろ」


建物の隙間から見える空はまるで水槽のよう。雲や鳥たちが青の中を泳いでいく。どこからか迷い込んできた子猫を抱えて、ぼくは天の海を見上げつつ中庭の芝生に寝そべった。ぽすり。ふかふかの緑がそんな音をたてて柔らかく受け止めてくれる。途端に広がる香ばしい日なたの匂いは、やっかい。午睡の入口への案内係なのだ。

子猫は甘えるように、独り言の返事をするように、にゃあと鳴く。


「成長期なのに、あんまり背が伸びなくて悩んでるのは知ってるけどさ…」


空が海ならこの芝生は海底だろうか。それならぼくも子猫も、海面の上で輝く陽光に焦がれて、ゆらゆら漂う深海魚?紙の上で泳いでいた魚の姿を必死に思い出してみたけど、何か違う。ぼくは海底の全てすら泳げない。なのにどうして太陽に憧れることができるのだろかうか。実際ぼくが魚だったら、でも絶対に、その空を照らし燃える球体が欲しくて堪らないだろう。
 多分それは太陽の存在そのものを、太陽という名詞が何を指してどんな役割を持つかを知っているからだ。知る、という行動は無を有に反転する。もともと自分の認識外のものは、この世に存在しないということとほぼ同意犠。知ることにより、存在しないという混沌の中に境界線が引かれて、初めてその対象物が“これはこれ”と明確に姿を現すのだ。

講義の中、本の中で得た知識。ぼくの中で混沌としていたものに与えられた、事象の枠組み。枠組みから創りだされた景色の名前は、知識の名前は、世界だ。教団の名を持つ水槽の中のぼくという魚は、知識に教えられた太陽という広い世界に泳ぎだしたかった。


「…白鴉のことなら何でも分かる、って思ってたんだけどな」


数時間前に聞きたてほやほやの、似合わない深刻な声が耳奥に蘇る。「駄目だ、ルキア」と、声変わりしても少年の域を抜け切らなかった柔らかな声。


「どうして!他の皆は外に出ていいのに、どうしてぼくは駄目なの?」


叫びながら訴えれば、部屋の隅の椅子に腰かけた彼は、一瞬すごく泣きそうな顔をして、慌てて表情を引き締めた。黒いローブを肩に羽織った白鴉。教団の上層部と一緒の仕事につくことが最近多いらしくて、今日も朝まで仕事をしていたから疲れてるみたい。でも、小さいころからずっと蟠っていた不満、疑問を抑えるには、昨日みた虹が綺麗過ぎたのだ。外の虹、虹だけではない。夕焼けも、朝焼けも、雨の日はもちろん晴れの日だって。ぼくが教団の私有地から離れた事は一切なかった。いつからか覚えてないけど、昔からそうだったから、当たり前のようだと今までは思っていた。

雨上がりの空、架かった七色の橋を見て一斉に飛び出した同世代の友達についていくこともできず、ひとりぽつんと残された時の、疎外感。唐突に訪れた、ぼくを囲うように張り巡らされた見えない壁の、閉塞感。知るんじゃなくて、気づかされた違和感。歯車のずれ。


「ルキア、」

「教団の外へ出てはいけないの?大きな街へ出かけてはいけないの?海だって、ぼくは見たことがない」


白鴉は、黙ってぼくの言葉を聞いていた。夜が完全に耽る前の色をした瞳は、ぼくの目と向き合っているようで、どこか遠い所を映している。何故だかそのことが異様に胸の霧の濃度を増やした。もやもやしすぎて、気持ち悪い。


「ルキア、ごめん。今は理由を話せないんだ。いつかきっと話すから」

「嫌だ。今話して。白鴉、お願いだよ」

「……」

「白鴉」


ゆるゆる振られた首は、一言謝罪の言葉を喋り、突然立ち上がった彼はそれ以上何も言わずぼくの部屋から出て行った。まるでぼくに言ったってどうせ分かんない、みたいな態度で。この、頑固者。説明って言葉の意味分かるよね?って思いっきり罵倒出来ればどんなに良かったか。でもぼくは、白鴉の背中に見えた拒絶の色を信じられず、呆然と見送ることしかできなかったのだ。



「ぼくだって、分かんないよ」


思ったより、白鴉とのやりとりがきいたようで。白い体躯の猫は、上から雲もなしに降ってきた雨粒に、あわててするりとぼくの腕を抜け出した。

白鴉が、徐々に遠い存在になってく気がする。前と違う態度は、ぼくにすごく混乱をもたらした。ずっと向かい合って笑っていたのが、今は背中合わせ。その距離が、どうしてこんなに悲しいんだろう。今まで何回も喧嘩して、背中を思いっきり見せたことだってある筈なのに。喧嘩して、最後は大体白鴉がごめんねって先に謝って、ぼくもそこで大泣きしながらやっと謝れた。今日に限ってごめん、って一言がこんなにも鋭利な刃。たやすく胸を削る。

多分何よりも、結局絡み合わなかった視線が、小さい頃より厚さを増した他人と言う名のついた壁を物語っていたようで、背中合わせにされたようで、かなしい。

世界を知りたいって願いは、きっと白鴉や全ての縁、柵を振りきってこそ成せるものなのだろうか。それでも、見知らぬ土地の夢の隣には必ず彼がいて、それが一層ぼくの苦しさを煽った。ぼくから、今度はぼくから謝れば全ては解決するのかな。


「ごめん、白鴉…」








「…ごめん、ルキア」


月の光は冴え冴えしくカーテンの隙間から暗闇を突きさしていたけど、部屋の隅にあるベッドだけは、柔らかく包み込むようにぼんやり照らしている。そこで横向きに寝ている大切な人の、白く輝く髪を掻きあげ額にそっと口付けを落とした。目元が赤い。こみあげてくる罪悪感で、どうしても眉がよってしまう。できれば、今すぐいつもみたいに、笑ってごめんねを言いたかった。でも僕はルキアを起こさない。


「巫子は眠ったか」


音もなく、近寄ってくる影があった。振り返らずに名前を呼ぶ。ノア。僕達の後継人でもある、教団をまとめる上層部の一人だ。きっと黒衣の下の仮面は、月に射されて不気味に黒に浮かんでいる筈。


「眠りました。いつかのあなたの忠告通り、聞かれましたが、理由は話しませんでした。……それと無暗に女の子の部屋に入らないで欲しいんですが。巫子の件もまだ猶予はあるでしょう」

「クロニカはいつ顕現するか分からない。不安定な外よりよっぽどここは安全であるし、あれは、あの存在を識るだけで何処にも寄りつかなくなる。君の懸命な判断に心から安堵したよ」

「僕の意見は一切無視ですか。しかも嘘臭い。全然安堵したように見えない。昼間も、ルキアに監視を張らせてるでしょう」

「さて、女の子の部屋に長居は無用なのだろう?君には次の仕事の準備に取り掛かってもらおうか」

「……分かりました」


何を言ってもこの人には響かない。それどころか、言った言葉をうまく絡め取って利用する。呑みこまれないようにするには、心を保ったまま従順を示すしか道がなかった。一歩立ち退いた気配に、僕も扉を目指す。感情の読めない顔と刹那視線が交錯して、胡散臭い黒衣の影は、無言で身を翻した。続こうと足を踏み出し、僕はルキアをもう一度見た。安らかとは完璧に言い難い寝顔。扉の前で、ノアが遠ざかって行く足音を聞きながら、少女に祈りの言葉を向ける。


「時期が来たら、否応もなく世界に巻き込まれるから、それまでどうか」


知らずにいれる幸せを、君に。










お待たせいたしました…!白ルキで切ない、です。今回の切ないはこれが限界でした…しかも何故かノアが出張るはめに。すいません、リクに添えていなかったらいつでも書きなおしますので!

それでは、本当に遅くて申し訳ありませんです><
リクありがとうございました!










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