有り触れた日常



昔の夢を見た。といっても懐かしむようなものではない、悪夢と言っても良いものだ。自分を零崎へ勧誘しにきた男、零崎双識。そのことを思い出しただけでも悪寒に襲われる。
夢でよかった。目覚めと同時に働き出す思考回路が今の状況を把握し始める。すぐ傍で感じる気配はルームメイトのものだ。目を開けて寝返りをうつとパジャマ姿の少女が視界に映った。
「あ、やっと起きたですよ」
「……もう起きてたの?」
掛時計を見れば時刻は7時25分、寝過ごしてしまったが始業時間にはまだ余裕がある。普段は自分が起こすまで起きてこない一姫は、まだ着替えてはいないものの起きてから暫く経っている様子だった。
「名前ちゃんが寝坊だなんて珍しいですね。昨日夜更かしでもしてましたか?」
「ううん、そんなことないよ。おはよう、一姫」
「おはようです」
ベッドから足を下ろしてから上半身を起こす。少しの浮遊感もすぐに落ち着き、暫くすればいつも通り動けるようになる。
動かすたびに身体中の筋肉が悲鳴をあげているのは昨日の訓練の所為だ。
澄百合学園に編入してから二年経った今、当初の頃ように目立って落ちこぼれている訳ではないが、つくづく自分は戦闘には向いてないのだと実感する。知識なら幾らでも入るが、身体を動かすとなると経験の差が大きくなる。しかし、勿論それを理由に不貞腐れている暇など無い。
「名前ちゃん、お願いがあるのです」
「ん?」
顔を洗って戻ってくると、制服に着替えていた一姫が名前を振り返って口を開く。言いにくそうにしているのでおそらく授業のことだろうと見当が付けられる。
「毒薬劇薬の小テストが来週あるですよ、……」
「あぁ、そういえば去年したわ」
卒業まであと一年と数ヶ月、卒業後の進路も決めていなければいけない時期なのだが、名前は悩んでいる最中だった。
(私は戦闘力としては仕事に就けない。情報収集か、参謀か。それでも子荻に劣る)
劣等感を感じなければならないほど実力が近い訳でもないのに、同学年の策師の存在が己の惨めさを際立たせた。何をとっても彼女には劣る、そのことを頭では理解出来ても感情が認めるのを拒む。こんなにも自分が負けず嫌いだったことを、此処に来て初めて気付いた。
「いいよ、私も復習出来るし一緒にしようか」
「わぁーい! さすがは名前ちゃんですっ!」
もう一つ、名前がこの学園に入ってから気付いたことがある。それは年下の世話を焼くことが好きだということだ。
一姫と同室になるように言われたのは子荻の指示だった。彼女の勉強のサポートをして欲しいと言われ、実際ルームメイトとして過ごしてみると確かにその通りだと思った。
紫木一姫は言葉の使い方が上手ではなく、筆記テストの赤点常習犯だ。また、それに加えて年齢不相応な幼い容姿をしている。そのことが名前の庇護欲を刺激し、共に過ごしていくうちに、一姫は妹のような存在になっていった。
制服に着替え終えた一姫は髪を結うため鏡の前に座る。名前もあとはスカーフを巻くだけだったので、セーラーから黄色のスカーフを垂れさせたままヘアゴムを手に取り、一姫の頭に小さなツインテールを作っていく。いつのまにか習慣になっていた流れだ。慣れた手つきで、黄色と紺色の大きなリボンを跳ねた毛先を隠すように取り付ければ完成だ。
「姫、どう?」
「かんっぺきです! 名前ちゃんはほんと何でも出来ますねー」
「大袈裟すぎだよ、ふふ」
そう言ってくれるのは一姫だけだ。もちろんそんな風に言われたいと思う訳ではないが、頼りにされることは純粋に嬉しい。その分頑張らなければという気持ちが芽生え、良いプレッシャーになる。この子にとって頼りになる先輩でいようと思えることが、名前にとって大きな原動力だった。
「一姫に頼って貰えるの、私は凄く嬉しいよ」
しっかりとした先輩としての背中を見せたい、卒業までこのままでいられることを、名前はひっそり願った。




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