1. 愛は欠乏、足りない部分を求めてる

秋の夕方はあっという間に終わる。気付いたときには辺りはすっかり暗くなっていて、名前は慌てて立ち読みしていた雑誌を閉じる。もとから買うつもりだった参考書を購入し、本屋から出ると帰り道を急いだ。
少しだけ近くなる道を選び、その代わりに街灯の数が一気に減るため自然と足を早める。脇目もふらず前だけを見て家を目指す名前の耳に不自然な音が聞こえた。
「っ?!」
ガサガサッ、と茂みの揺れる音。何かが落ちたか倒れたかした音のようだった。
(な、なに……)
その場から動けなかった。逃げることも、勿論近付くことも出来ずに立ち竦んだまま、名前は音のした方をじっと睨み付ける。いつでも逃げられるようにと気構えながら目を凝らしていると、木々の間で何かが動いたのが分かった。
幽霊かと背筋が冷えたのも一瞬で、更に衝撃的な光景を目にしてしまう。
「あっ……あ、……あ」
仄暗い月明かりに照らされたのは赤い人間だった。見間違いか、そうでなければ幽霊かと驚いた、その隙がいけなかった。
その不気味な人影が名前に襲い掛かってきたのだ。
「ぅああぁっ?!!」
間抜けな悲鳴をあげつつも、後ろに跳んで距離を開けた。続けて襲われるかと思ったが、人影がこれ以上距離を詰めてくる様子はなかった。
離れてよく見てみればその赤さは血のようである。何かの演技だというのか、しかしそれにしては鼻につく匂いがする。
「なんですか、てめーは……」
舌打ちとともに投げ掛けられた言葉にぞわりと背筋に悪寒が走った。けれど同時に、その人影がれっきとした人間だと分かって安心もした。
「……なに、て。……貴方こそ、何なんですか」
声を搾り出してなんとか応える。
人影は男だった。黒髪に眼鏡を掛けた名前と同じか年下くらいの男の子、見覚えはない。赤に染まっている和服を見て、少し現実感が無くなったような気がした。
「知りませんよ。クソッ……あの野郎」
何かに毒付く少年を見ながら、名前は(良くないものに関わったかなぁ)と他人事のように考えていた。先程までのような得体の解らないものに対する恐怖は今は無くなっている。
もしも彼が自分を陥れようとしているのであればあちらからアプローチがある筈だ。それがないということは、この少年に名前をどうこうしようという気はないということだろう。
「……お兄さん、大丈夫?」
「はぁ?」
「その血……、怪我はしてないんですか?」
少年に軽蔑するような視線を向けられた。
もともと名前は人の世話を焼くのが好きな性格である。同年代の友人達には大人っぽいだの年寄りくさいだの色々言われるがそれほど物事を達観するところもあるのだ。
名前には、目の前の少年がこちらに助けを求めているような気がしてならなかった。
少年は答える代わりに大きな溜め息を吐いた。
「馬鹿なんですか、貴方は」
名前自身もその通りだと思った。自殺行為か、興味本位か、何処かで別の自分が笑って問い掛ける。違うよ、と自答してから怪訝そうに顔を顰める少年に答えた。
「目の前で誰かに死なれたら嫌じゃないですか。貴方には私をどうこうしようって気はないみたいですし、私に出来ることなら……」
そりゃあ法に触れることは無理ですけど、と付け足す。少年は呆れたように肩を竦め、そんな名前を嘲笑した。
「貴方に何が出来るんですか」
「えーっと……。……あ、包帯がいるかな。近くのドラッグストアで買ってきます、消毒液も」
「はぁ。じゃあお願いします」
「うん、無理しないで下さいね」
少年の返事を聞くや否や、今まで歩いてきた道を今度は反対に走り出す。
彼を振り返ることなく駆け抜け、五分も経たない内に帰宅ラッシュで混み合う路地まで辿り着く。走るのを止めると息が切れていることに気付き、いつの間にか全力疾走になっていたのだと自覚する。
近くのドラッグストアに入り、包帯を幾つかと湿布、絆創膏、消毒液、栄養補給用ゼリー、水を購入した。いつも使っているポイントカードを出す暇も惜しく、レジ袋に入ったそれらを提げて再び走り出す。
もしかしたらあの少年は居なくなっているかもしれない。間に合え、と思いながら脚を動かした。
「はっ……はぁ……は」
戻ってきたとき、既に少年の姿はなかった。
驚きはなく、むしろ(やっぱりか)と思った。夢か幻だったのか、けれど僅かに残る血の匂いが、先程の一時が現実であったことを教えてくれた。
(無事に帰ってたら良いけど……)
もしもあの子が酷い目に合わされているのだとしたら、と思うと気分が悪くなる。しかし考えていても仕様の無いことだ。もう彼と会うことはないだろう。
(色々聞かれるのは嫌だから包帯とかは自分の部屋に。……明日の予習もしないとなぁ)
あたりはすっかり夜になっていた。誰にも言わない、墓まで持っていく思い出が出来たと思うようにして、名前はそれ以上考えるのを止めて帰路についた。
しかし、名前の予想を裏切るように二人の再会は早く、それも最悪な形で訪れることになる。






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