―― 哀しきレグルスの行進

本能寺の変――それがどういったものなのか、歴史に疎い私でも知っている。それほどに日本史の中では有名な事件なのだ。しかし、意外にも日常が大きく崩れる、ということはなかった。
いつものように女の子と仲良くしている慶次を見て、気になった店を覗いたり、している。
変な感じだった。確かに日本は変わりつつあるのに、あの夜の緊迫感が嘘のように思える。
「飽きないなぁ……」
この世界に来てから何週間も経っているが、今だに初めて見るものが沢山ある。
(でも、無駄遣いはしたくないし)
まつ様に貰った小銭は多くない。特に貯めている訳でもないが、浪費しようとは思えなかった。
「名前ちゃん!!」
「え……? まつ様」
いるはずのない人がいた。戦装束に身を包んだまつ様が必死の形相でいつの間にか隣に来ていた。何か自分が悪いことをしてしまっただろうか。その気迫に思わず後退りしてしまう。
「まつ様、どうしたんですか? 慶次ですか?」
「そうです! 慶次ったら、こんなときに家に帰らずフラフラフラフラと!」
答えは予想どおりだった。そういえば前田家は織田との関係は深かった。従者、だったと思う。それなのにまるで何もなかったように過ごしていた慶次って……、尊敬と呆れが混ざった。
慶次ならあそこに、と私が言う前にまつ様はしっかりと慶次を捕まえていた。流石まつ様、強い。そのまま彼をずるずると引っ張っていくので私は慌てて追い掛けた。家に戻ったら説教は避けられないなぁ、と少しだけ憂鬱になりながら。


(利家様はよく食べるなぁ……)
慶次と私を前田家に連れて帰ってきたまつ様が真っ先にしたことはお腹を空かせた利家様のご飯を作ることだった。
まつ様の料理は本当に美味しい。それは私も自分の舌で実感している。そんな手料理を食べられる利家様は幸せだろうなぁと思うけれど、あの人はあの人で全身で「美味しい」「幸せ」を表現しているから、こんなことを私がわざわざ考える必要はない。
「まつ姉ちゃーん、俺と名前のはー?」
隣で正座を強いられている慶次が怒られることを覚悟して口を開いたが、やはり一喝されただけだった。
(余計なことは言っちゃ駄目だよ)
私達は説教されているんだから、現在進行形で。
怒られている内容は前田家の者としての自覚がどうとか、そんな話。申し訳ないけれど私にはほとんど関係ないことだ。
どれだけまつ様が慶次に怒ろうと、きっと彼は変われない。前田家の自覚とそれよりも大切なもので堂々巡りする。もしかしたら、それらは両立出来るものかもしれないのに。
――大切なものは一つじゃなくていいんだよ、慶次。
そう言えれば良かったのに、今の私はそれだけのことも出来なかった。
「まぁまぁ、まつも慶次も説教はその辺にしてメシを喰え!」
完全に立腹しているまつ様を宥められるのは利家様だ。今も朗らかに笑って慶次を庇ったりまつ様を誉めたりするだけでまつ様の怒りは何処かへ行ってしまう。何だかんだ言って、利家様もまつ様も慶次には甘いのだ。だから彼がこんな性格で育ったんだけれど。
これでやっとご飯に有り付けるのかなぁ、と一息ついたとき、隣の慶次がこそりと動いた。
何をするか、なんて分かり切っている。また何処か行くつもりなんだ。
いつの間にかラブラブモードななっていたまつ様だったが見逃してはくれなかった。慶次は部屋を出る前にしっかりと捕まえられている。
(懲りない奴……)
前田家どうこう言うつもりはないが、少しくらい一ヶ所に留まってもいいんじゃ、とは思う。況してや此処は家なんだから。
「慶次はなかなか落ち着かんなぁ」
利家様はけらけらと笑っていたけれど、その原因の一つを担っているとは自覚していないだろう。
ということをぼんやり思いながら顔を見ていたら目が合ってしまった。気まずくなったのでにへらと苦笑い。
「慶次もしっかりせねば、今は名前がおるんだから」
「あははー……」
その言い方だと、まるで私が慶次の特別な人みたいだ。まさかそんなことないのに、何でそんな言い方をするんだろうか。
慌ただしい足音が近づいてくるのを聞く。私には嫌な予感しかなかった。


「どうするつもり?」
姉川が攻め入られたと聞き、慶次は二人の制止も受け入れず飛び出した。まつ様が急いで拵えた握りを私に持たせ、いつものように――いつよりは慌てて乱暴だったが――私を前に乗せて松風を走らせる。
勢いだけの行動だった。一体どうしようというのか全く分からない。戦が真っ最中の姉川に行くと言い出して。
「…………」
――だんまりか。
もしかしたら本人も分かっていないだけかもしれない。自分に何が出来るかなんて分からなくとも、けれど何かしたいと思うならば、まずはその場所に行くのが一番良い。
(大丈夫。慶次なら、きっと)
彼は豪快な性格だが意外にもその内は臆病だ。殺すことを恐れて死ぬことを恐れて、何かに捨て身になることに躊躇う。そんな慶次だから、きっと危ないことに首を突っ込むことはないだろうと思いたい。
馬を全速力で走らせるとなると喋っている暇もなく、舌を噛んでしまわないよう、私もおとなしく口を閉じる。松風が荒々しく地を蹴る音を聞きながら、耳元から慶次の心臓が暴れているように煩いのを感じていた。


「城が燃えてる……」
あれが、姉川の――浅井という人の城か。利家様がお市様の嫁ぎ先と言っていた、浅井の城。
現代であれば観光地にでもなりそうな立派な城、それが燃えている光景は現実だと思えなかった。時代劇の撮影だとかCGだとか、そう言ってくれたほうが納得出来たのに。
(一体何人の人が死んだ……?)
現実から目を逸らしたかった。あの場所で何人の人が死んだのか、考えたくもない。
ふらり、と馬の上でバランスを崩した私を慶次が支える。その力強さに心身ともに救われながら、もう一度自分に言い聞かせるように現実を繰り返した。
――城が一つ滅びました。きっと、沢山の人が死にました。
降りるか、と言われたのでおとなしく従った。抱えられて地面に降ろされるが自分の力で立っていられることが出来なくて、結局座り込んでしまう。
これ以上その光景を見ていられなくなって視線を下げる。そこにもまた、残酷な現実があった。
「慶次……!」
川にたたずんでいるのは二人の、武士だった。一人は女性のようだ。
私の声で気付いた慶次が声を張り上げた。どうやら彼が滅ぼされた城の城主、浅井長政だという。
傾斜のある土手を滑るように駈け下りていく慶次を追うように私も言葉どおり滑り落ちた。擦り剥いた手のひらが痛い。
間近で見た浅井長政はまさに満身創痍で、早く治療をしなければ危ないんじゃないかと不安になった。
それなのにそれさえ阻むのが戦乱の世の中なのか。前田とか浅井とか同盟とか生き恥とか、そんなことが、そんなものが大事なのか。
「そんなこと、言ってる場合じゃないですか!!」
薙刀をこちらに向けてくる彼女を怒鳴り付ける。きっと浅井長政は彼女にとって大事な人だ。ならば、今は彼を助けることを何よりも優先すべきだ。
「浅井さんが死んじゃったらどうしょうもないでしょ?!」
「市の所為で……長政様が……」
「だから!死なせないように!しなきゃ!」
慶次がしっかりと浅井さんを持ってくれる。二人を連れて川から上がり、出来るかぎりの応急手当てをした。ただ今は安静が第一、といったところだ。
意識を失ってしまった浅井さんをどうしようか、と思ったが市さん曰く残存兵と此処で落ち合うとのことなので動かさない方が良いらしい。
悲しいことだが、前田家の慶次がこれ以上関わるよりは得策みたいだ。
「どうしてみんな、天下を欲しがるの……?」
市さんの問いは私も思っていたことだった。そして、きっと慶次もそう思っている。
「分かりません、私にも……」
慶次は、天下より誰かを愛してその人を大切にする方が良いと言う。私もそう思う。
けれど、天下をとる理由が単なる出世欲や見栄だけでないとしたら――たとえば、大切な誰かの為だとしたら――私は、天下を望む気持ちを全否定することは出来ない。
「市さんは、天下は要らないんですか?」
「市は……長政様さえ、いてくれればいいの……」
そう言って、気を失ったままの彼の手を握った市さんが綺麗で、胸が締め付けられるような錯覚に私は襲われた。
この世界は、悲しいのにとても綺麗だ。悲惨な場所だからこそきらきらと光る想いの欠片がある。
この二人が幸せでいてくれたらいいのに。そのことさえ戦乱の世が許さないというならば。





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