Proof of existence

紅い色が瞬く間に広がっていく。
彼女の白いシャツを汚し、ベージュのカーペットを染めていく。
散らばる黒い髪。紅い絨毯に横たわる赤と白の身体、その表情は見えない。
(嘘だ)
目の前で起きていることが嘘な筈がない。
(どうして)
決まっている。ハレルヤの目的は名前を殺すことだったのだから。
(どうして?)
組織の情報の漏洩を恐れて。
(嘘だ)
仕方ない。こうなることを避けることは出来なかった。
(僕は)
僕は弱い。その上に自分の弱さから目を背け続けていた。
(どうして、僕は、彼女を殺してしまったんだ)
出会ってしまったから。傍にいすぎたから、そう望んでしまったから。僕が、彼女の傍にいることを望んでしまった所為で、だから僕は、彼女を殺した。
「名前……」
謝るにはもう遅すぎた。謝るくらいならもっと前に行動をしているべきだった。それをしないでおいて今更、もう声も届かない彼女に謝るなんて自分勝手にも程がある。
けれど、僕の狡さは無意識の内に口を開く。
「ごめん、名前」
許して欲しい。「仕方ないなぁ」「別にいいから」そう言って欲しい。彼女のその口で。
けれどその唇が動くことはなく、言葉どころか吐息一つも漏れることはない。
全身から力が抜けてその場に崩れ落ちた。膝が身体を支えきれず、這うようにして名前の傍に寄った。
ハレルヤが隣で誰かと通信していたけれどそんなことはどうでも良かった。
(死んでしまったんだ)
こんなにも呆気なく、別れも感謝も謝罪も告げられないまま。
「アレルヤ、片付けは他の奴らに任せた。帰んぞ」
今までの戦いが嘘のように穏やかなハレルヤの声。先程までのような拒絶させない威圧感はない。もう僕にも拒絶する理由はなくなった。けれど従うだけの気力もない。
立ち上がることはおろか、頷くことすら出来ない僕は本当に人形になってしまったかのようだ。否、命令通りに動けないのであれば人形としてすら失格だ。
(どうして僕は動けない。ハレルヤに逆らうつもりなんて、もう無いはずなのに)
そこで、はっと気付いた。僕には従うつもりなどないのだ。震える声で彼を呼ぶ。
「もう少しだけ、此処にいたい」
「いたところで何も変わらねぇ」
「お願いだ。そうすれば……きっと、僕は……」
続ける言葉は思い浮かばなかった。「あの場所に戻れる」と言いたい訳じゃない。彼女のことを忘れられることも吹っ切られることもない。それでも、それに近いことを言いたかった気がする。
『アレルヤ、やりたいこととかあったら言ってよ?』
そう彼女が望んだから、自分のやりたいことを口にしてそれをやってみようという気持ちになった。
『こんなことも知らないの』
そう彼女が呆れたから、沢山のことを知っていこうと思えるようになった。
名前に喜んで貰いたかったから家事の手伝いをするのは楽しかったし、名前が耳を傾けてくれたから沢山のことを話そうと思った。
彼女がいてくれたから今日も生きていけると思って。彼女と出遭えたから僕は、人間になれたんだ。僕が人形として役立たずになったのは、僕が人間になったからだ。
人間は傷ついて落ち込んで、立ち止まってそれでも生きていく、そんな生き物だから。
「ここで――この場所から始めないと、僕はきっと生きていけない」
ずっと人形として死に続けてきた僕だけれど、これからは違っていきたい。生きていく、そう決めた。
「だったら死ね。……そう言ったらどうする」
ニヤリとハレルヤの唇が歪む。彼の性格の悪さはよく分かっていたからその言葉は予想の内だった。
「死ねない。僕は君に従わない」
その声音は意志の塊そのものだった。
「逃げないさ。君からも。……僕が、してしまったことからも」
僕はもう組織の道具じゃいられない。自分のやってしまったことに無責任ではいたくなかった。鉄くさい部屋の中、胸からにじみ出してくるのは後悔と決意。
自分が望めるという自由を知ったからたくさんのものを手に入れた。大切な人を失ってから、僕は自分の行動が負うべき責任を知った。
「……たく。もう勝手にしやがれ」
面倒くさそうに頭をかくハレルヤはどうやら折れてくれたらしい。そう言って笑った彼の笑顔が先程までとは違う何かを見せていて、それは名付けるには難しいものだったけれど普段より好きになれるような、そんなものだった。今まで何年も一緒にいた筈だったのに彼のそんな表情を見るの初めてで驚いてしまう。
「ハレルヤも、そんな顔が出来たんだ」
「はァ?」
もしかすると、僕が今まで狭い狭いと思ってきた僕の世界は案外広くて、名にもないと思っていたの場所も見方によって色々なものが見つけられたかもしれない。
もう一度生きよう、そう思った。
今度は弔いの意味を込めて彼女の前で頭を垂れる。
さようなら、さようなら。さようなら、ごめんなさい。ありがとう、……名前、ありがとう、さようなら。
込み上げる言葉は途切れることはないから、このまま紡ぎ続けよう。




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