The aquarium without the water

時間はあっという間に過ぎていく。
外で見るものも部屋の中で見るものも僕にとっては物珍しいものばかりだった。眩しいものばかり。きらきらと煌めく色とりどりな光は凄く眩しかったけれど、見逃すことはしたくなかったから僕はじっと見つめていた。
見たことがないものばかりの世界では、僕は無知な子どもも同然で、そんな僕の馬鹿みたいな質問の繰り返しにも名前は呆れながら答えてくれた。こんなことも知らないの、彼女はそう呆れ驚きながらも僕が理解出来るまで丁寧に説明してくれた。
あの場所では出来ないことがあると、すぐに怒鳴られて暴力を振るわれたから、名前の「知らないんだね」という呆れた声がとても優しく聞こえた。
「アレルヤ、今日のご飯は何にしたい?」
今、僕と彼女は沢山の店が並ぶ道を並んで歩いていた。
この通りにはもう四、五回は来ていたが、それでも未だに珍しいものは多い。人の流れに従って流れていきそうな僕は来る度にふらふらと彼女から離れてしまうから何度でも注意されて、今日に至っては手を引かれている。
誰かに手を引かれた経験など数える程しかないけれど、僕はこうされるのが好きだった。それがたとえあの場所で彼にされたことであっても、だ。物心ついた頃から物事に消極的だった僕には強引だと思えるようなことですら嫌と思うことはなかった。
「えっ……と、……何がいいのかな」
だからこうやって自分から積極的に何かを求めたことは少ない。何がいい、何がしたいかなんて自分から思ったことは極端に少ない。
「聞き返さないでよ。アレルヤの、食べたいもの」
「えぇ……」
名前は時々何の前触れもなくそう聞いてきたけれど、以前は毎日同じようなものしか口にしていなかった僕だったから、食べたいものを聞かれても分からない。自分にそんなことを決められる権利があることすら知らなかったのだ。
料理の名前なんて知らない。僕が知っているのは彼女の作ってくれる料理に不味いものはないことくらいだろう。
「僕は別に……。貴方のつくってくれるものは、みんな、美味しいし……何でもいいよ」
「わぁ……。……アレルヤ、それ、恥ずかしいよ」
「えぇぇ……」
未だに彼女との会話が難しいときがある。僕の世間知らずは想像以上に酷い、と名前を見ていると気付いた。それはもう、何日やそこらで身につくものではないことが分かる。彼女達のような普通に僕が慣れるよりも、きっと、それより早く……――
それ以上は考えたくなかった。考えてしまうと、此処にはいられなくなる気がしたから。
「悩むなぁ……。一人だと私、マシなもの作らないからな」
「ごめん……迷惑かけて」
「くどい」
溜息。この顔は怒っているのだと分かる。この数日間で、僕は一般常識よりも名前についてのことを沢山知ったのではないか、と思う。
「アレルヤを居候させるって決めたのは私。私がいいって言ってるんだからいい。どうせ出ていく気もないでしょ?」
「う……ん」
「責めてる訳じゃない。怒ってないよ」
「怒って、ない……?」
(嘘だ。怒ってる)
そう思って訝しんでじっと見つめていると視線を逸らされた。「まぁ、怒ってない訳じゃないけど」と小さく呟くのが聞こえる。
「アレルヤがあんまりにも遠慮するから」
「だっ、……て」
「もっとわがまま言っていいよ。っていうか、私が言って欲しい」
――僕は居させてもらってるだけなんだし。
そう続けることは出来なかった。彼女の声は僕の声なんかよりもよく通って聞きやすいのだ。 その凛とした表情、声は何処から生まれるのだろう。優しさと強さを惜しげもなく晒してくれる彼女の心はどうなっているのだろう。
「…………」
「アレルヤが来て、部屋に帰るの楽しくなったし……」
「そ、か」
どうやら僕は、我が侭というものがどんなものなのか、そこから考えてみる必要があるらしい。 彼女が僕に望んでくれる数少ない頼みなら。僕なんかの存在で少しでも彼女が喜んでくれるのなら。精一杯の努力をしたいと強く思った。
「ねぇ。……またいつか、一昨日に食べた肉団子が食べたい、な」
「ふふ、じゃあ今日はそれにしようか」
可笑しそうに名前が笑った。どうして笑われたのか分からなかったから僕はびっくりしてその横顔を覗きこんだ。けれど夕日に照らされて朱く染まった頬と緩んだ口元しか見えず、「どうして笑ったの」なんて聞くことも出来ず、前に視線を戻して帰り道を歩くことにした。




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