cyan on the sky and lapis lazuli on the ground

いい匂いのするお風呂。可愛い色をした石鹸。柔らかくて、これまた可愛い柄のタオルケット。彼女から与えられたのはこれまで感じたことも見たこともないものばかりで、それらは僕にとって恐怖ではあったけれど、それ以上に憧れを抱かせた。
昨日は風呂に入らせてもらった後、すぐに寝るように言われた。
彼女に促されるままにベッドに横になると、首まですっぽりと布を掛けられてしまう。戸惑う僕に「おやすみ」と声が降ってくる。お休みの挨拶。自分の為にこんなにもしてもらったことは初めてで、胸の真ん中がくすぐったくなってお腹を抱えたまま眠った。




そして、起きてから真っ先に僕は彼女に言った。
とても無謀で我が侭で、けれど今の僕にはこれが叶わなければ生きていられないと思うほどの切実な願い。
僕を此処に住まわせて欲しい。
「置いてほしい?」
「うっ、うん……」
唐突な僕の言葉に彼女は一瞬動きを止めた。それから眉をぎゅっと寄せて僕の頭から足元までをまじまじ見つめる。観察するような視線はあの場所を思い出して正直気持ち悪かったけれど仕方ないのかもしれない。優しい彼女にまでそんな目で見られてしまうほど、僕はそのように造られたのだろう。
「どうして」
「えっ?」
「行く所とかないの」
――怖い。
怒ってる? ――怒ってる。
責められてる? ――責められてる。
どうして? ――行くところがないから。
理解する。行くところがないことは、彼女の前ではどれだけおかしなことなのかを。
「…………」
「あるの」
その問いに首を横に振る。それが僕の答えだった。
行き先なんてない。僕には行ける場所なんて何処にもなかった。
唯一の居場所と呼べる場所にはもう帰りたくないのだ。
「そう……」
彼女は心底困っているようだ。
それでも此処にいたい願ってしまう僕は相当に身勝手だ。
彼女に迷惑を掛けるかもしれない。それでも己の我が侭を通したいと思うのか。初めて気が付いた自らの貪欲さが怖くなった。
僕はきっと自分が今まで思っていたよりも有害で悪意に満ちた存在に違いない。あの場所で造られたものは例外はなく、そういうものなのだ。
そのとき背筋を凍らせたのは真っ白な壁と冷たいベッド、皮膚に張り付くチューブの感触を思い出してしまったから。
「……アレルヤ、あのさ」
彼女の戸惑いがちな声が僕を現実に引き戻す。
脱力しきってしまったその表情は僕の所為なのだろうと思うとまた一つ自己嫌悪による溜息が漏れる。
続きの言葉を聞くのが怖かった。
(待って、言わないで。怖い、どうせ否定の)
「大変かもしれないよ。二人でこの部屋って。アレルヤに色々やってもらうかもしれない」
(え? その言葉は――)
いけない、と慌てて次の言葉を呑み込む。期待してはいけない。
僕はなんて愚かだ。どうして期待なんてしてしまうんだ。それでも心臓は期待に五月蝿く脈打った。
「それでもいいなら……いいよ。私は」
いいよ。
その言葉が全てだった。欲しかった答えが与えられた。
何処か吹っ切れたように彼女は笑う。その優しい微笑みは、温かくていい匂いがしそうで、まるで昨日のお風呂のように心地好かった。
「言うのが遅くなったね、ごめん。私の名前は名前」
そういえば彼女の名前を知らなかったことに今更気付いた。今までの僕には己の名前も不要に等しかったけれど、それと同じく誰かの名前を知る必要もなかったから。
けれど、名前を呼ばれることも教えてもらうことも素敵なことなんだと気付いたから。
――名前。僕はこの名前を絶対に忘れない。
「じゃあアレルヤ、早速だけど夕飯を買いに行こうと思うんだ。この時間だから外でブランチだよ。ほら」
玄関に向かう彼女を慌てて追う。
「待って。……名前」
躊躇いがちに名前を呼ぶ。そのぎこちなさが自分でも分かった。
この名前を何気なく呼べる日がくるのだろうか。そう、何も特別ではない日常の一コマの中に自分と彼女がいるとして。
それは途方も無く遠い日のような気がして、考えたくなくなった。




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