これからも僕達が、

「今日の2時に愛の隔壁に来てねー!」
幼なじみの同級生がいきなり言った。
反対する理由もなかったので(強いて上げるなら面倒くさい、折角の部活がない日なのに、くらいだ)頷くと、彼女はさっさと女子寮の方へ歩いていってしまう。
「ちょっと妹、なんで?!」
「何が?」
振り返った彼女がぽかん、と目を丸くした。聞きたいのはこっちの方だっつうの、と呆れる。
「何か用事なのかよ。だったら俺、此処で待ってるけど」
「あー……」
笠井の言いたいことが分かった妹は、答えるのを躊躇って視線を泳がせる。
何がまずいのかと疑問に思いながらも待つ。けれど帰ってきたのは煮え切らない返事。
「うー……此処じゃ駄目なんだよー。別に隠す訳じゃないけど……」
「隠してんじゃん」
「うっ!……うぅぅ……!」
「あっ、こら!」
動物のような唸り声をあげて走り去ってしまった。女子寮に逃げられては笠井に追うことは出来ない。
(まぁいっか、ちょっと会うくらい)


「なー、竹巳。対戦しようぜ」
自分の部屋に帰った彼を待っていたのは何故か別の部屋である筈の藤代だった。
同室の根岸は外出するようで私服に着替えている。恐らく中西と何処かに出掛けるんだろう。
「やだよ。俺は誠二に負けるって分かってるんだから」
笠井はTVゲームが上手ではない。寮内でゲーム大会をしても真っ先に脱落するタイプだ。そもそもゲームなんてこの松葉寮に入ってから初めてやったものだから仕方ない。
「えー! 根岸も中西も出てくって言うしさぁ」
「だったらお前も行けば?」
「俺はただいま金欠!」
「あっそ」
準備を終わらせた根岸は机に置かれた時計を気にしている。きっと中西が迎えに来るんだろう。
何処に行くの、と聞いたらCDショップと返ってきた。
「笠井、何が欲しいものあるの?」
「ううん、別にないよ」
「靖人ー、準備出来たー?」
扉の向こうから中西の声がする。オッケーと根岸がベッドから跳ねたように立ち上がった。
じゃ行ってきまーす、と元気良く挨拶をした根岸が出ていくと部屋に残された藤代が笠井に詰め寄った。
「いーじゃん、竹巳。暇じゃね?」
「暇なのはお前だろーが。俺は、……用事あるし」
「えーっ」
不満そうに唇を尖らせた彼は次の瞬間に好奇心に瞳を輝かせた。
(あー、言わなきゃ良かった。でも言わないと捕まってただろうし)
内心うんざりしながらその視線から逃げるようにそそくさと私服に着替える。
別に会うのは気心の知れた相手だし、外出する訳でもないんだから気合いを入れる必要もない。
背中を向けられても藤代は諦めない。
「なに竹巳、デート? やだ、俺というものがありながら!」
「ウザイ」
「え、女の子なの? マジで?!」
「女……っていっても妹だよ。なんか呼ばれたから行くだけ」
藤代は苗字と面識もあるし笠井との関係を知っている。なのでこういうときは誤魔化さない方が余計に騒がれなくて済む。
「ふーん、苗字? なんで?」
「知らない。とにかく来いってさ」
「なにそれーあやしー」
お前は女子高生かっての。まさか俺とアイツの間に何かあると思ってんのか。アイツは渋沢先輩が好きなんだよ。
藤代に言ったことはなかったが、彼女の片想いを笠井は知っている。だから自分と彼女がどうこうなる筈がないのに。だからといって他人の恋愛事情を暴露するのはあんまりだろうと思ったので、怪しくていいよだったか怪しまないでいいよだったかとりあえず適当な返事を返した。
「ちょっと竹巳、何処で会うのー?」
「愛の隔壁」
「マジ? ついてこーっと」
時間にはまだ一時間も早いが此処にいて色々詮索されるよりマシだ。うっかり妹のことをほのめかしてしまう可能性もあるし。
笠井は着替え終わるとすぐに出ていこうとする。その後ろを藤代がついてきた。
「はぁ?! なんで」
「だって暇だし」
「ゲームしてろよ」
「相手がいない」
手で追い払う仕草をしてみても無駄なようだ。ぴたり、と笠井の傍から離れようとしない大型犬に溜息を吐く。
「アイツに文句言われたら誠二の所為だからな……」
「大丈夫だってー」
何の根拠もない返答に呆れかえる。
もう俺は本当に知らないからな……。
隣には藤代が歩きながら、玄関で靴に履き替えてフェンスの方に行く。


誰もいないようで良かった。これでもしも告白の真っ最中だったら居たたまれない。
「誰もいなくて良かったなー」
藤代も同じことを考えていたようだ。
此処は女子と男子を繋げる学内で唯一の場所だ。だからなのかは知らないがジンクスというのもあったりする。
愛の隔壁に二人の名前を書いた南京錠を掛けるとその二人は結ばれるだとか、多分そういうものだった気がする。そんなものが叶って堪るか、と笠井は思っている。
「うひゃー、また増えてる。あ、タクー、竹巳のあるよー」
「……誰とさ。三上先輩?」
「いや、渋沢先輩」
「なんで……」
女子の考えていることは分からない。自分の恋路を願えば良いものをどうして他人……しかも男同士をくっつけようとするのか。
「さぁねー。あ、これも竹巳だ。……苗字じゃん」
「えぇ……」
ほら、と見せられた南京錠には確かに笠井竹巳と苗字妹の名前がある。
笠井も苗字も付ける筈がない、ということは第三者か。全く以て意味が分からない。
「外しとこうかな……」
「竹巳、そんなに嫌なの?」
「嫌じゃないけど、俺らのどっちかが付けたとか思われたくないし」
要らぬ誤解を受けて可哀想なのは彼女だ。渋沢を想っているのだから、余計な火種は何一つ無い方がいい。
「あっ、竹巳ー!」
そんな風に笠井に気遣われていることも知らない少女が女子寮の方からやってくる。
声のした方を見れば先程別れたばかりの同級生……とその姉。見間違いでも起こしたのかと思ってしまった。
「あれ、なんで誠二くんがいるのー?」
「苗字先輩じゃないですか! 久しぶりっス!」
「竹巳ー、なんでー?」
「先輩なんで来たんですか?」
好き勝手に口を開く二人に溜息。目が合った年上の幼なじみが笑っていた。
「タクちゃんも藤代くんも久しぶり。妹の荷物を家から届けに来たついでに上がらせてもらってるんだ」
落ち着きのある表情に、やっぱりこの人は年上なんだなぁ、と思う。
「そうだったんですか。……妹、ごめん。誠二が勝手についてきた」
妹は別にいいよー、とは言ってくれなかった。
「んー……ううん」
「何それ、俺来ちゃまずかったの?」
「まずいってゆーか、……」
「妹、いいじゃん」
笠井には強気な彼女も姉には弱い。お姉ちゃんが言うならいっか、と納得してしまった。
「ところで、何すんの」
「なんでタクちゃんに言ってないの……」
「だって竹巳嫌がると思ったんだもん」
え、なに。俺が嫌がりそうなことをさせるつもりなの。妹ならまだしも名前ちゃんが止めてくれないとは思わなかった。
これ、と妹が差し出したのは南京錠と油性マジックだった。この愛の隔壁でやることなんて一つだ。ただ、このメンバーでどうしろというのか。
「なにこれ?」
「付けるに決まってんじゃん、名前書いてさ」
首を傾げた藤代に、さも当然と言いたげに返される。だから竹巳書いてよ、とフェンスの隙間から南京錠とマジックを渡される。
「え、俺の名前?」
「うん、タクちゃんと、藤代くんも書いてね」
名前ちゃんまでが嬉しそうに言う。
あぁ、なんとなく分かった。
合点がいった笠井はマジックのキャップを取る。その横で藤代がとんちんかんなことを口にしているが。
「え? 俺とタクの?」
「ばっかじゃねーの」
「はぁ?!」
「……それは今度にしてね」
三者三様の返答。(書く前で良かった……)大きく手元がぶれてしまった笠井と、「何こいつホモ?」とでも言いたそうな妹。
名前ちゃんの発言からも思ったが、もしかして誤解されているんじゃないだろうか。
「俺は普通に女の子が好きだから!」
「はいはい、早く書いてー」
軽くあしらわれた。問題発言をした藤代も早く書いてよーだなんて言っている。誰のせいだと思って……。
恐らく四人の名前を書くんだろうと推測してその分のスペースを空けて名前を書く。南京錠に名前を書くのは初めてだったから凄く書きにくかった。
隣にいた藤代は書き慣れていたから驚いた。
二人分の名前が入った南京錠を返すと妹も自分の名前を書き出す。
「なんでいきなりこんなことをやりだしたんだよ?」
藤代の問いに彼女は書き終えた南京錠を姉に渡しながら答えた。
「ただしたかったんだー」
まぁそれは確かにそうだろうよ、とは笠井も藤代も思っただろう。聞きたかったのは何故そんなことをやりたかったのかということだった。
ただ、なんとなくは分かっていた。名前が書かれた者は幸せになれるだとか結ばれるだとか、ずっと一緒にいられるだとか。なんの根拠もないおまじないに彼女が何を願おうとしたのかを。
「はい、出来た。みんなが幸せでいられますように、って」
武蔵森ではない彼女はこの南京錠についてどんな説明を受けているんだろう。
こうやって一緒に名前を書いてくれている分、少しでも大切に想ってくれているのだと思うと嬉しくなった。
「じゃあ」
「苗字、貸して。せっかくだし高いところに付けよーぜ!」
フェンスに付けようとした妹の手から南京錠を取り、彼女の身長では届かない更に上に引っ掛けた。
南京錠をかけるのはほとんどが女子だ。誠二のかけた南京錠に届く人は居ないだろう。
「高い方が叶いそうじゃん」
「確かに!」
この男は七夕のときもそんなことを言っていた。根拠がない、というのは今更だし妹も喜んでいるのでよしとしよう。
「ありがとうね。タクちゃん、藤代くん」
「いーえー、全然!」
むしろ嬉しかった、なんて。言葉にするには恥ずかしいけれど、応えた藤代の笑顔を見ていると同じ気持ちなんだと思った。
フェンスに付けられた南京錠に何が出来るとも思えないけれど、気が付いたときにはちゃんと付いているか確認しに来よう。


それから一週間後、誰にも届かないような位置に付けた南京錠が小さな話題になっていたことを俺は知ることになる。






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