夏の夜に咲く花

――花火をするから来ないか。
三上くんからそんな内容のメールが来た。あまりにも突然過ぎて、一瞬宛先を間違えたのかと思ったけれど、陸上部の練習を気遣ってくれたり妹の妹の名前があったりで、本当に私宛のものであることが分かる。
(練習表……)
壁に貼りつけた紙を見ると、日にちは丁度お盆休みに入る前日だった。当日は一日練習が入っているが翌日は休みだ。花火は夕方からということだし、行けるだろう。
――部活終わってからだから遅刻するけど、それでも良かったら行きたい!
そう返信して、カレンダーに《サッカー部のみんなと花火》と付け加えた。楽しみだなぁ。わくわくさせながらその日は眠りに就いた。
何も用意しなくていいのか、ということに気付いたのはそれから一週間後、花火まで一週間をきった頃だった。
三上くんの話ではサッカー部の全員でやる、かなり大きいものらしい。そもそも部外者が混ざっていいのかという疑問は無視してしまっているが、何も手伝わないまま招かれるのもどうかなと思った。
部活の練習後にお菓子と飲み物でも買っていこう……。


当日、普段より多めのお金を持って部活に向かった私だったが、事はそう上手くいかなかった。
「名前ちゃん」
部活を終えた私を校門で呼び止める声はタクちゃんのものだった。声の方を見ると、私服の彼が校門の影に立っている。
「タクちゃん、どうしたの」
「迎えに来たんだ」
「えっ!」
そんなことは知らされていなかった。花火の場所も松葉寮の敷地内だというから迷う心配なんてないのに、わざわざ来てもらうなんて申し訳ない。
「別に良かったのに。私一人で行けるから」
「うん……俺も思ったけど、ちょっとごちゃごちゃあって俺が追い出された感じ……」
「……タクちゃん、何かしたの?」
「俺はしてないよ! もう、早く行こ」
これ以上話したくないという雰囲気が分かりやすく見えて、それに従うことにする。タクちゃんの近くにある自転車は彼が乗ってきたもので、それを手で押しながらタクちゃんが「名前ちゃん、荷物貸して」と言う。
「籠に乗せよ」
「あっ、ありがと」
ジャージやタオル、水筒が入ったボストンバッグは重い。厚意を素直に受け取り、バッグを自転車の前籠に詰め込んだ。
「じゃあ、学校から離れたら名前ちゃん後ろ乗ってね」
「えっ?! いや、それはいいよっ!」
「でも、歩いたらかなりかかるよ?」
「それはそうだけど……」
私は口籠もった。二人乗りをすること自体ほとんど無いし、自分が後ろに座ったことなんて全く無い。体力も体重もある私は漕ぐ方が気が楽だった。
遅れるからとタクちゃんは言うが、私はもともと遅れていくつもりだった。
「いいよ。私重いし」
「名前ちゃん重くないよ」
「急ぐんなら、私走るからさ」
「部活で疲れてるんだから無理しないでよ。……あー……じゃあさ、俺が走ってく」
「え!?」
タクちゃんは強引にハンドルを私へ預けると、走りだしてしまった。
「タクちゃん! 待って!」
叫んだ声が聞こえた筈なのに彼は振り返らない。私は慌ててサドルを跨いでペダルを踏んだ。
最初はのろのろと、徐々にスピードをあげて漸く前の方にいたタクちゃんの隣に並ぶ。けれど彼は僅かに速度を緩めただけで、まだジョギングの速さで走っている。
「タクちゃん、止まって! 交代交代!!」
「やだよっ!」
私の大声に息を弾ませていたタクちゃんも声をあげた。それから何度言っても彼が止まる気配もないので、私は諦めて「疲れたら交代してよ」と言うに留めた。


途中でタクちゃんも休むかと思ったが、彼が立ち止まることは無かった。結局、コンビニかスーパーに寄ろうと思っていたことも忘れたまま、私達は松葉寮の近くまで来ていた。
まだ太陽は完全に沈んでいない。空が橙から紫へのグラデーションに染まっている。
「タクちゃん、そろそろ歩こう」
自転車から降りて地に足を着ける。そうすればタクちゃんも徐々にスピードを落としていき、歩く程度の速さになった。私は自転車を押しながらその隣を歩く。
大丈夫かな、と気遣うような視線を向けると、タクちゃんはこちらを見て「平気」と笑った。
私の高校から此処まで走り切ったことも加えて、彼が知らぬ間に私の記憶よりも男らしくなっていたことに気付かされて、思わず口を開いた。
「タクちゃん、いつのまにか凄く格好良くなってたんだね」
「え……」
「そりゃあ部活でしごかれてるとそうなるのかなぁ」
タクちゃんは返答に困ったような顔をして、自信無さそうに「多分……」と言った。
遠くに松葉寮が見えたが、門から溢れて道に出ている部員が結構いる。サッカー部全員はやはり多いだろう。
その内の一人が私達に気付いてお疲れ様でーすと声を掛けた。それをきっかけに次々と声を掛けられる。少し恥ずかしいなと思っていたとき、門の中から男の子が勢い良く飛び出してきた。藤代くんだ。
「先輩だ――――ッ!!」
背後に尻尾が見えたかと思った。元気良く走り寄ってくる姿が可愛くて口元がゆるむ。
「藤代くん久しぶりー」
「久しぶりッス! 先輩来てくれて嬉しーなー」
「ほんと。疲れてるのにありがと」
藤代くんが私からハンドルを取って自転車を押してくれた。先を行く彼の姿をタクちゃんと追い掛ける。
「そういえば、女子は名前ちゃんだけだから居づらいかもしれない。ごめん」
「えっ?! 初耳なんだけど」
マネージャー……はサッカー部に居なかったけれど、部員の彼女や女友達がいると思っていた。唯一の女子、しかも外部の高校生。紅一点、という言葉が思い浮かんで消えた。私でなければその言葉も当てはめられただろうに、私では華が無さ過ぎる。
私の言葉にタクちゃんが何か言うこともなく……というか既に門のところまで来ていたので、知らない(多分一年生の)子達が道を開けているのに挨拶を返さなければいけなくなっていて、それ以上会話は続かなかった。
こんなにサッカー部っていたんだと驚きながら、タクちゃんに続いて中心に続いているだろう道を進む。自転車を押していた藤代くんはいつのまにか見えなくなっていた。
少し歩けばすぐに渋沢くんを見つけた。他の人達と比べて身長も高いし髪の色素も薄い。後ろ姿だけでも人違いを起こすことは無かった。
彼の近くには三上くんや間宮くん、試合で見たことのある一軍の人達がいる。
「三上せんぱーい」
タクちゃんが声を掛けると、三上くんだけでなく集まっていたメンバーが揃ってこちらを見た。なかなかに迫力のある光景だ。
「おー、ありがとな」
「三上くん……」
「……苗字さん? どうして」
どうして女子が居ないの。そう聞こうとしたが、その前に渋沢くんの驚いた声にこちらが固まってしまった。嫌な予感が走り抜ける。驚きのあまり言うつもりだった言葉も忘れてしまった。
目を見張って二人を凝視する。
「…………」
迷惑掛けたかも。いや、三上くんだって本当に駄目なことは分かっている筈。タクちゃんだって迎えに来てくれたし藤代くんも歓迎してくれた。でも、困惑する渋沢くんの表情が物語っている。
「あ、ごめん……」
状況が分からないながらも申し訳ない気持ちと悲しい気持ちが溢れてくる。目を見ることが出来ず、俯いてしまった。
渋沢くんもそれ以上言葉を続けない。そんな気まずい空気を知ってか知らずか最初に口を開いたのは根岸くんだ。
「苗字先輩来てたの? それなら中西も居れば良かったのに」
「何、アイツどっか行ったん」
「遊びに行きました」
「ばーか」
中西くんは居ないらしい。意地悪く三上くんが笑う。
そのときになって漸く我に返った渋沢くんが三上を軽く睨み付けて彼を咎めた。
「三上」
「去年だって先輩の彼女とか来てたろ。いーじゃん」
「…………」
「亮もさぁ、別に悪かないけど先に言っとけよ」
三上くんを後押ししたのは彼と仲が良い近藤くんだった。試合以外の姿を初めて見たが、優しそうな雰囲気だ。
「渋沢、今更コイツを責めても意味ねーよ。どうすんの?」
そう問われて、少し渋沢くんも冷静になったような気がした。まだ納得はいっていないようで、心底困った顔をして私を見る。
「苗字さんが楽しめるならいいんですけど……。男ばかりでびっくりしたでしょう……?」
このとき、初めて渋沢くんと目が合った。怒られるのは私の方だと思っていたので、恐る恐る、まるで私の機嫌を伺うように聞いてきた彼に驚く。
なんて答えようか。
「びっくりはしたけど……でも、見てるのも楽しいよ」
中学でも高校でもばか騒ぎすることなんてほとんど無いから、こういったイベントは貴重だった。寮生活というのも一度はやってみたいという憧れだ。
「そうですか……なら、良かった」
「せーんぱいっ!」
「わっ……! あ……藤代くん。ごめん、荷物、ありがとー」
藤代くんが肩に掛けているボストンバッグに気付いて手を伸ばす。が、藤代くんはこちらに渡すことなく、伸ばした手をとって寮の軒の方へ歩いていく。
「どうしたの?」
コンクリートの段差のところに連れられて、彼に倣って腰をおろす。視界が一層低くなって人が壁のように見えた。
「ちょっと休憩ッス」
「あはは、おつかれさま?」
「俺なんも手伝ってないですけどねー」
「藤代くん……」
「いや、手伝おうとしても邪魔者扱いされるんスよ」
色んなことを二人で話している内に日はすっかり落ちていた。
頭上からはぽつぽつと部屋の灯りが降りてくる。「誰だよ点けっ放し」「部屋の電気点いてんじゃん」ざわざわと次第に皆が盛り上がっていくのが分かる。上からの光が段々減っていき、全ての部屋の電気が消されたとき、残ったのは門にある外灯だけになった。
「わっ、くらっ」
「なんか、暗いとワクワクしません?」
「ははっ、確かに。なんていうか……肝試しとか夏祭りとか、そんな感じがするよね」
「名前ちゃん、誠二、花火しないの?」
タクちゃんが人を掻き分けてやってくる。その手には手持ち花火を持っていた。今はみんなに花火を配っているらしい。全員に渡るにはかなりの量が必要だと思うのだが、どうやって用意したのか気になる。
「やるやるー! サンキュー竹巳! 先輩もやりますよね?」
バッと立ち上がった藤代くんが花火を受け取って私に振り向いた。差し出された一本を受け取ってタクちゃんに礼を言う。
「今からやるんだ」
「そーそー、ふざける人もいるから危ないかも。名前ちゃん気を付けてよ」
「大丈夫。私は気を付けるからタクちゃんも藤代くんも気をつけてね」
男子中学生らしいなぁ。可愛く思えてきた。何処か浮ついた空気があって、色んな子が年相応に、あるいはそれより幼く見える。
「なータクちゃーん、火ぃ何処、火ー」
「誠二に呼ばれるとキモい」
「同時につけようよ、火、三人でさ」
「こっち来て、二人とも」
タクちゃんに呼ばれて人混みを縫うように歩いた。ところどころで蝋燭の火が小さく揺れていて、皆がそれを囲んでいる。
色々と戸惑うことはあるけれど、今日は存分に楽しみたいと思った。




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