βの反抗

(赤葦京治視点)

Ωのフェロモンに引き寄せられるのは何もαばかりじゃない。なんて、ただの言い訳に過ぎないけれど。
発情期の雌を前にして、自分の欲を押さえつけて安全な場所まで送り届ける紳士のような真似が出来るだろうか。
俺は出来る人間だと思われている気がする。確かに俺だってケダモノみたいにすぐにヤろうだなんて思わないけれど、それでも例外はある。
そして残念ながら、今の彼女はちゃんと理解している。自分が俺にとって恰好の的であることを。
「あ、あの、ごめん……赤葦くん。離れてほしい、んだけど……」
「謝らなくていいよ。誘ってくれるなら、遠慮はしない」
わざとらしくじっと目を見つめて言ってみれば途端、ガクリと彼女の身体から力が抜けた。震える肩を自ら引き寄せながら、這ってでも此処から逃げようとしている。
「ご、ごめん……さ、そってない、から……」
何に対しての謝罪なのか分からない。この状況で何に謝るというのか、思わず笑ってしまう。
誰が通るか分からない校舎の廊下ではまずい。幸いにも何処かのクラスの教室が空いていたので、力の入らない身体を引き摺るように持ち上げた。
鍵はかかりそうにないので扉をピシャリと閉める。真っ暗な部屋も月明かりのおかげで苗字さんの表情ははっきりと見えた。教室に連れ込まれた彼女の顔はいよいよ恐怖に満ちている。
「赤葦くん……私が悪いから、ごめん! だけど……でも、赤葦くんとそういうこと、関係になりたい訳じゃないから……」
「……うん」
知っている。彼女の視線の先にいる人と、その人が同じように彼女を見ていることも。
本当はαとかβとか関係なく俺がこの人に惹かれただけの話。けれど彼女がΩとしてあの後輩を選ぶなら、とそのことを想像しただけで頭が痛くなった。
運命なんて馬鹿馬鹿しいだろう。僅かばかりのフェロモンに踊らされてる俺が言えたことじゃないけれど。
「助けを呼んだら?」
普段から過保護にしている音駒の人達にこんなところを見られたら袋叩きだろうな。他人事ではないのに、おかしいくらい冷静になれた。
「でも、ぁ……!」
何かを言おうとした口を自分のもので塞ぐ。舌を噛む真似もせず、従順に従う姿を可哀想だと思うし、好きだなと思えた。
一度痕を残せば、彼女はそれを一生背負い続けるだろう。愛されなくて良い。誰に何を言われても、憎まれても構わない。この人の運命が狂うのならば、それで。


(名前視点)

「いっ……! やだ、やめてっ!」
教室の硬い床に押し倒され肩や腰が痛む。そんなことに構っている余裕もなく、力の限り手足を動かすが身体の上に乗った相手はビクともしない。発情期のせいで力の入らない身体では尚更のことだ。
「は……んぅ、んん……」
隙間なく口付けられ、引っ込めていた舌も逃げることを許されず吸い尽くされる。与えられる唾液が砂糖のように甘い。甘すぎて気持ち悪い。頭が麻痺して何も考えたくなくなってしまう。
身体が熱いのは発情期だと気付いたが今更だ。寝ていた教室が暑いからでも風邪をひいたからでもない、早く帰って鞄の中にある薬を飲まなければ。
「赤葦くんっやめて!」
引き剥がすことは出来なかったから申し訳ないと思いながら胸あたりを力いっぱい叩いた。咳き込んで彼が唇を離した瞬間に顔を押し退けて距離をあける。まとわりついていたねっとりとした嫌な熱が和らいだ気がした。
そこで安心したのがいけなかった。
「逃げないで」
「っあ、ぅ……!」
起き上がろうとする前に肩を押され、背中の骨に痛みが走った。仰向けになってしまった身体を照らす月明かりに影が落ちる。此方を見下ろす彼の顔は何を考えているのか分からず、ただ恐怖を誘っている。
混乱した頭だが、この行為が冗談でも揶揄いでもないことは分かる。
「これ、フェロモンだよ!? 」
力で勝てない以上説得するしかない。なんとかして彼に目を覚ましてもらうしかなかった。だがそんな期待も叶いそうにない、彼の顔には動揺や躊躇いは浮かんでいなかった。
「薬飲んだら治るっ、から……だから離して! 」
「どうして?」
「え……?」
「苗字さんだってαに惹かれているんだから、俺がフェロモンに狂わされるのもおかしなことじゃないよ」
……指一つ動かすことも、喉を震わせることも出来なかった。衝撃に体が凍りつく。嘲笑われているのだと感じた。お前は獣なのだと、自分と一緒なのだと、そんなことをまさか目の前の彼が言うなんて想像していなかった。胸の肉を引き裂かれる痛みがして、その隙間で心臓が大きく鳴った。
「俺を恨めばいいよ」
近付く彼の顔を直視することは出来なかった。首筋に掛かる髪の毛のくすぐったさに肌が粟立つ。瞼の奥が熱い。
生暖かいものが首を走っていく。舐められてるんだ。ふっと息がかかって、彼が笑う気配がした。
「あっ……あ、やぁ……い、や……やだぁっ! ひっ、あ、やだ、やだ……」
噛まれた瞬間、ビリビリと電流が走った。噛んで、舐められる、そのたびに身体が跳ね上がる。まるで薬を打たれたかのように神経が敏感になっている。
自由のきかない身体では身をよじらせるだけが精一杯だった。
身体中を襲う熱が治まった気はしない。どれだけ番の真似事をしたところでβとΩでは何の意味もない。結局、この行為に意味などないのに。
「っ、……あ、ぁ……うぅ……!」
自分に好意をくれる後輩の顔が過ぎる。
許してほしいとは言えなかった。それでも、本当に身勝手だと自覚しながら願うのは、どうか彼が傷つくことのないように、ただそれだけだった。
我侭を言えるのならば、どうか信じてほしい。惹かれた理由は性別によるものではないということを。





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