For you. 2

結局、帰宅したのは7時前だった。夕飯の支度を手伝って両親と三人で食べる。妹がいない食卓を寂しく思うのは毎回のことで、けれどだからと言って気まずい空気がある訳ではない。
「ごちそうさまー」
「そういえば名前、竹巳くんには渡してきたの?」
タクちゃんとは家族ぐるみでの付き合いだったから母さんは私が毎年バレンタインにあげていることを知っている。
たまに「竹巳くん、妹のこと貰ってくれないかな」なんて言っているが、本人達には直接言っていないだけまだいいだろう。
「うん、今年はタクちゃんの友達にもあげた」
結局ちゃんと渡した訳ではないけれど、三上くんはしっかりしているから渡っていると思う。それを確認出来ないのが残念だが。
(あ、メール)
もしかしたら三上くんか。ちゃんと渡した、と報告してくれたのかもしれない。
送信者は予想通りだった。しかし、メールを読んで一時停止、というか硬直。
「また来いと……?」


溜息を一つ吐けば、白いそれはすぐに消える。
まさか昨日の今日で武蔵森に来るなんて思っていなかった。
一体何の用で呼び出されたのか、一応了解の返事をして問い返してみたものの返信はなく、相手はパソコンなのだからそれは珍しいことではないのだが、それでも何処か作為的なものを感じる。
(寒……、ってか寮でいいのかな)
場所の指定がなかったから松葉寮に行くと言ってある。私も今日は部活が終わるのが遅い日だったし、それだったら彼に近い方がいいだろう。
(タクちゃん達に渡せたのかなぁー……)
昨日のメールではそこに触れていなかった。まるで、今日来なかったら教えてやらないぞ、と言っているように。
「苗字先輩……?」
「……中西くん。お疲れさま」
後ろから声を掛けてきたのは中西くんだった。サッカー部のジャージ姿で、部活は終わったようだ。もう7時前だから当然か。
「先輩、どうしたの? あ、チョコレートありがとーね」
武蔵森サッカー部二年生で私に敬語を使わないのはタクちゃんと彼だけだ。前に三上くんと渋沢くんが注意していたこともあったが、私も気にしたことはないので別に構わないと言ってある。
「貰ってくれたんだ、ありがと。今から松葉寮に行くの。三上くんに呼ばれたから」
「えー、なんで」
「さぁ、知らない」
「三上先輩のくせに」
(ひどい言いよう、これも仲が良いから出来るんだろうけど)
中西くんはあまり年上が好きではない、と根岸くんから聞いたことがある。何故かは分からないが、先輩にもそういった態度をとるので周りの方が心配すると。ただ、私は年上扱いされていないとは思っても嫌われていると思ったことはない。私に接する中西くんは同級生にするように敬意も敵意もなかった。
「分かんないからとりあえず行ってみる。中西くんももう帰るんだよね?」
「うん、一緒に行こ」
私の方はしっかりと彼を年下と認識しているからまるで大きな弟を持った気分だった。彼は案外可愛いと思う。誰にも同意をもらったことはないが。
「バレンタインは中西くんもたくさん貰った?」
「んー、まぁ一日で食べられないくらいには」
すごいなぁ、モテモテだ。サッカー部だからというのもあるだろうが、中西くんは中西くんでモテるというのも分かる。
その中で自分のように彼を可愛いと思っている人はいるんだろうか。
「告白とかされたり?」
年下の彼は困ったように笑った。言いたくなさそうに見えたから悪いこと言ったかな。
「……されたけど、今は他のこと見てる余裕なんてないから」
「大変な時期だもんね、テストもあるし、春の大会もあるし」
「うん、いろいろ。……うわ」
「あ、三上くん」
最低、と隣で呟いたのは聞かなかったことにする。
松葉寮の門の前で立っていた三上くんもこちらに気付いた。
「昨日ぶり」
「ほんとに。なんだったの? いきなりびっくりした。今日部活あるから遅くなったしさ」
「何。なに言ったの、先輩」
「お前には関係ねぇ」
「あんたには聞いてねぇよ」
中西くんが一番不遜な態度をとるのが三上くんに対してだった。
お互いに嫌いではないと聞いているから不仲ではないのだろうが、会話の度に喧嘩腰になる二人の間にいるのは少し気まずい。
けれど返せる答えもなかったから「二年生へのチョコは三上くんに渡してもらったんだ」という、中西くんも知っているだろうという返事しか出来なかった。
「じゃ、中西は玄関から帰れよ」
「笠井に言い付けてやる」
昨日と同じように窓を抜け道にして大浴場から入る。中西くんは玄関から入る必要があるのでここで別れた。
別れ際の中西くんの言葉の意味が分からなかったけれどそれを問う暇もない。
昨日と同じように三上くんの後をついて三上くんの部屋に向かう。ただ昨日とは比べものにならない寮生の多さに気後れしてしまって、出来るだけ周りを見ないように前にある背中だけを見た。
『近藤・三上』と書かれた部屋を通り過ぎる。あれ、と思ったところで彼が立ち止まった。
「……三上くんの部屋じゃないの?」
「此処」
何故、そう聞こうとして書いてある名前に言葉を失った。
「渋沢、入るぞ」
(ちょっと待って、なんで)
扉越しに聞こえた渋沢くんの声。全く状況が理解できない。どうして、私は此処に連れて来られたんだろう?
「苗字さん」
昨日は遠目で見ただけだった渋沢くんが今は近い。そういえば私のプレゼントはどうなったんだろう?
問いは言葉にならなくて、なんとか棒読みになりなからも挨拶を交わす。
「いきなり呼び出してすみません」
そんな、謝られても首を振るしかない。渋沢くんに会えて迷惑だなんて思う筈がないのに。
「俺に感謝しろよ」
「はいはい」
部屋の前で立ち止まったままだった私の腕を引いて部屋に入れると、三上くんは入れ替わるように部屋を出ていく。呼び止める暇もなく扉が閉められた。
絶対、絶対に三上くんは私の気持ちを分かっている。
「苗字さん、マフィン……有難うございました」
「あっ……良かった。届いたんだ」
この言い方だと三上くんを信用していないようだが、私もまさか三上くんが渡していないとは思わない。受け取ってもらえたんだ、ということに安心しただけだ。
「はい、美味しかったです」
「え、もう食べたの!?」
反射のように返してから、こんなに驚く必要なんてなかったのに、と自分に呆れる。
喜ぶなんておかしいだろう。沢山貰った中で早くに食べてもらったからって、きっと理由なんて……手作りだから早めに食べないといけないと思わせてたとか。だとしたら悪いことをしてしまった。負担になっていないか不安だ。
「はい。あと……これ、お礼です」
「お礼……? まさか昨日の、とか……」
頷く彼に今度は本気で驚いた。だって、バレンタインのお返しだなんて、ホワイトデーですらない翌日なのに。
差し出された紙袋を受け取るのを躊躇う。二人の間でシンプルながらも可愛いデザインの袋が宙ぶらりんになる。
「いいよ、そんな。私が勝手にしただけなのに、貰ったら逆に悪い気がする……」
断りながら、渋沢くんはプレゼントをくれた子全員にそんなことをするんだろうか、と思った。
贈り物の返しはほぼ全員にしていると三上くんも言っていた。それならば頑なに断るのは逆に失礼かもしれない。
「でも……俺が渡したいだけですから、貰ってくれたら嬉しいです」
「あ、りがと……」
嬉しい、と同時に苦しい。こんなにも人を喜ばせるようなことを簡単に言えるなんて。
受け取った紙袋は、感触から考えるとお菓子らしかった。しかも渋沢くんのことだからきっと手作りのものだ。
私が作ったものより美味しいに決まっているじゃないか。少しだけ悲しい気持ちになる。
「俺の用件はこれだけだったんですが……」
すみません、とまた謝られた。いいよ、嬉しいし。その言葉に渋沢くんはやさしそうに笑った。
笑顔を見るだけで私まで幸せになってくる、彼に笑っていてほしいと思うのは私の為でもあるのだ。
「来月になると、卒業だから忙しくなるだろうし」
(あ、っていうことは今年のホワイトデーは渋沢くんお返ししないんじゃ……)
そんなことを考えて喜んでしまった自分は性格が悪い。もしかしたら貰えるのは私だけなんじゃないか、なんて。ただの偶然、タイミングの問題に過ぎない。
「あれ? 違った?」
渋沢くんの様子がおかしい。何か間違ったことでも言っただろうか?
「渋沢先輩っ!」
元気な声と同時に扉が開く音。飛び込んできたのは藤代くんで、私は反射的にそちらを見た。目が合った彼は何故か眉を寄せて怒りの表情を浮かべている。
ひどいじゃないですか!と叫んだ声に首を傾げた。何がだろう?
振り返ると渋沢くんは言葉が聞こえていない様子で少し変だ。
「苗字先輩来てたんスか!?」
「うん。藤代くんどうしたの? 渋沢くんに用事だった?」
「違いますよー、苗字先輩に会いたくて!」
彼の言葉はいつだってストレートで、恥ずかしさを誤魔化すように苦笑する。好きだとか、そういったことを一番素直に言えるのは藤代くんの長所だ。
部屋の主である渋沢くんを放っておいて話を始めるのは失礼になる。だからと言って、渋沢くんに呼ばれていた以上部屋を出ていく訳にはいかない。
もう一度助けを求めてみたけれど反応はなし。本当にどうしたんだろう。
「苗字先輩からの食べましたよ、美味かったッス!竹巳とか不満そうにしちゃって、去年は自分だけが貰ったからって」
「うっさい誠二!!」
言葉を遮ったのはタクちゃんの怒鳴り声。ここまで感情を顕にすることは殆どないのでとても驚いた。
「タクちゃん?」
タクちゃんは慌てて部屋に入ってきて(藤代くんが来てから扉は開けっ放しだった)私の名前を呼ぶ。
「なんでもないけど……えっと……名前ちゃん。今年もありがとう」
照れながらもありがとうが言える、タクちゃんはいい子だ。年下の男なんてガキだという友人の言葉が嘘のように落ち着いている。
お礼を言いたいのは私の方で、喜んでもらえたなら凄く嬉しい。いつまでタクちゃんはこうやって私のクッキーを貰ってくれるだろうか。
「さっきぶり、先輩」
「先輩久しぶりー」
「中西くん、根岸くん、……あ、間宮くん」
知り合いの二年生が廊下から次々と顔を出す。根岸くんがせんぱーいと笑った。
「美味しかったー」
「みんなが苗字先輩にお礼が言いたいっていうから連れてきちゃいました」
中西くんの言葉は私にというよりは部屋の奥にいる渋沢くんに向けられているもののようで、視線もそちらを向いている。
私や渋沢くんが何か言うより先に言葉が続いた。
「苗字先輩に何回も来てもらうのも悪いですし、ね」
中西、と唸る声。先ほどまでとは違う声音に振り返るがそこにあるのは普段見慣れている渋沢くんの困った様な笑顔。
けれど何も言わないのは不自然だった。いきなり人の部屋に入って来るなだとか言うことはあると思うのだが。
「先輩、お茶しよー。甘いもの沢山あるから」
「お前らが貰ったものだがな」
「えー、間宮ったら僻み?」
「俺は多くは要らない」
先輩、行きましょー。藤代くんが私の背中を押す後ろで笠井くんが渋沢くんに話し掛けている。
「渋沢先輩、もう用事は終わりましたか?」
「あぁ……。お前ら、騒ぎ過ぎて迷惑掛けるなよ」
それぞれ肯定の返事が返る。早くー、と中西くんと根岸くんの二人に両手を引っ張られて転けそうになりながら慌てて踏張った。
「あ、鞄」
「俺が持ってく」
タクちゃんが私の荷物を持つ。いいのかな、戸惑ってばかりの私に渋沢くんが声を掛けた。
「苗字さん、また……」
「う、うん……また、ね」
首だけ振り返ったら笑っている渋沢くんが見えて、寂しいなんて思っているのは私だけなんだろうなぁ、なんて虚しくなる。
引きずられるように連れていかれた中西くんの部屋(一人部屋だった)で、二年生のみんなと一緒に、ジュースとバレンタインに貰ったであろうお菓子で話に花を咲かせた。
彼らの夕飯ぎりぎりまで騒いで、人が多くなってきた中でドキドキしながら寮を抜け出して。
楽しかったし嬉しかったけれど、それでも少し何かが抜け落ちた感覚があった。






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