先生、愛とはなんですか?


吏熙は親を知らない。知っている家族は兄だけだ。兄である衣熙は兄でありながら父のようであり、母のようでもあった。だからなのか、吏熙は自分の両親がいないことに不便を感じたことはない。
「君には、先に伝えておこうと思ったんだ」
理事長室に入って挨拶もそこそこに、彼が何か言う前に話を切り出した。
吏熙自身が多くを語ることはなくても、その書類が全てを語っている。
「担任に話すつもりはないよ。君だけだ」
本当は、司馬懿に気付かれることなく二人の転校手続きを済ますことも出来た。けれどそうしなかったのは彼が自分と同じ記憶を持つ者だからだ。
同情する気持ちと、考えを知りたい好奇心が吏熙の足を彼のもとへ向けさせた。
前触れ無く現れた訪問者に眉を顰めた彼も、広げられた二枚の転校届には仕事の手を止めざるを得ない。
「僕は今まで、一度も人の親になったことがないから分からないけどさぁ」と前置きしてから続ける。
「仲達があの子達を愛してない訳が無いんだよねぇ?」
「…………」
「君は今も昔も決してバカな男じゃあない」
理事長室の柔らかいソファーに身体を沈め、司馬懿に渡した書類がどうなるのかじっと見つめる。
吏熙はこの男のことが嫌いではない。才を持つ割りに不器用だとは思ったが、それも彼の可愛いところだと思っていた。
「娘は、何か言っていたか」
「知らないよぉ」
「彼奴は私に……師や昭にも何も言わなかった。あのときも、気付いたのは華南が居なくなった後だった」
「そうだった、ね」
「彼奴とて司馬の一人。何か考えがあってのことだろうが……その意図が読めん」
「だって、仲達が聞かないんだもん。華南は言わないさ」
押し黙ってしまう司馬懿に苦笑して、なかなか腰を上げない男に掛けるべき言葉を探す。問題は彼が思うほど複雑ではない、難しくもない、ただ人の心ほどこの世で難しいものはない。
「女の子は複雑なのさ。華南の年頃ならきっと、父親に言えないことだなんて幾らだってある」
「夏侯の息子か……」
「繰り返されたのかもしれないねぇ。まぁあの頃とは時代も違うし、同じ道を辿りはしないだろうけど」
ろくに話し合いもせず相手の考えを推し量るだけで勝手に決めていく。それが積み重なって過ちを犯してしまうのだと知った。信頼と放任の境目がいつしか分からなくなっていたのだ。
けれど、吏熙とて司馬懿の気持ちも分からなくもない。いつだって人は簡単にすれ違う。言葉は多くても少なくてもいけないし、頭で解っていても感情が邪魔をする。
「……僕達が記憶を持って生まれてきて、前と同じようにみんなが集まってきて……じゃあ僕達は何をしたら良いんだろうねぇ?」
「知らん。我々は何に強制されている訳でもない」
「そんなことは知ってるさ。……ふふ、仲達に宥められるとは、ねぇ」
「貴様は昔から人を食った性格をしている……話はこれだけか?」
「うん、ただ知らせたかっただけ。君の許可が降りようが降りまいが転校はさせるつもりだったから」
「引き留めはしない」
「うん、そう。じゃあ好きにさせてもらうよ。その書類貰ってちょーだい」
意識して吏熙から何も聞かないようにしているのか、素っ気ない返事を返す司馬懿。
これ以上は互いが踏み込むべきではない領域だと理解しているからこそ、二人はそれ以上会話を続けることはしなかった。
ソファーから腰を上げ、スカートの形を直すと最初のときと同様に軽い挨拶をして部屋から出ていき、残されたのは司馬懿と二枚の書類だけ。
歩きながら、吏熙は少しだけ肩の荷が降りて胸が軽くなったのを感じた。
ただ好きだと思う気持ちだけで明日からも彼の傍にいられたら、と思いながら鞄を取りに教室へ戻った。





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