To the Sky | ナノ


熱帯夜であった。湿度が高い。
爛れて腐り落ちる直前の果実のように熟しきった空気を、生温い風がいたずらに掻き混ぜていく。
追い撃ちをかけるように、鍋から沸き立つ白い湯気が夜の屋台を包んでいる。


水餃子入りの肉団子のスープを音をたてて啜る名前を、狩魔豪は忌々しそうに眺めた。

「苗字名前、」
「却下です」

返事は即答せよ。
検事の教えを忠実に守り、にこりと微笑んで秘書官は、本日数回目の決め台詞を言った。

「異議は認めません。あの山の仕事を期日前に終わらせられたら余暇として今晩は我が儘を聞いてくださる、と言ったのは検事なんですから」
完璧なロジックですよね、と。



極彩色の派手な看板。いかがかしい色とりどりのネオン。
埃とスモッグと、人が生活する饐えた匂い。
どこか遠くで物売りが声を張り上げてがなりたてた。
鉄筋が剥き出しの廃屋は、骨を蝕まれた病人のように、瞬く街灯の下で蒼白な顔色を晒している。
旧市街地。アツく狂った大陸の原風景。



「貴様は、一体何がしたいのだ」
理解不能だと、狩魔豪は呆れた様子で言った。
獅子吼の怒号が飛ばないのは、ここに辿り着くまでのルートにおいて、すでに吐き尽くされている感があるからだ。
全く持って実に、忌々しい。


「検事はこういう所来そうにないじゃないですか。だから、楽しいかなと思いまして」

安いプラスチックのテーブルは幅が狭く、歩道を占有し車道までも少しはみ出して設置されていた。
そのため、必然的に額をつき合わせている格好になる。
その眉間に割れる罅が一層深く盛り上がるのを、正確に観察できる距離。

うーん、屋台はまだ早計だったかも、一応先に居酒屋っていう順番は踏んだのだけどなぁ、と内心で舌を出して、名前はその色素の薄いグレーの瞳に映る自分を覗き込んだ。
当然ながら、反省も後悔もしていない。



テーブルすれすれを大型トラックが法定速度オーバーで走り抜けた。
通りを数本超えた向こう側には、黄金色にライトアップされた優美な屋根が見える。
アールデコ調の懐古的な洋館が建ち並ぶ、かつての欧州租借地。
歴史を感じさせるその界隈の対岸には、天に向かって突き上げるように聳え立つ浦東のビル群が連なる。
東洋の摩天楼。この地に建つビルの総数は、日本全土のそれをも上回るのだそうだ。

そしてその間を、楊子江が滔々と流れている。
龍が、大地に自己の残痕を深く刻み込むように。



「いいじゃないですか。たまには優秀な秘書官にエサを撒いても。ご指名のままに警察からわざわざ出向して、しかも出張に無条件で付き合う人なんて、私くらいですよ」

生意気な小娘の返答に、舌打ちをひとつ。
「愛玩動物はやはり飼い主に似る、というものだな。悪趣味め」
気難しい完璧主義者は、辛辣な皮肉を吐き捨てたが。

しかしそれでも、絶対零度の視線が微かに和らいで見えるのは、熱帯夜の影響か、それともアルコールの効果か。
どちらにしても、私の作戦が間違ってなかったって事だよね!と一人悦に入って、名前はテーブルの下で小さくガッツポーズを決めた。




一度は地を這う事を強いられた亜細亜の獅子は、多くの困難を包括しながら、それでも破竹の勢いで世界の表舞台に立たんとしている。
良い意味でも、当然に悪い意味でも、そこには幾つもの改革すべき制度的綻びが存在しており、それを拭うべく奔走している。
あらゆる手段を尽くし、あらゆる方法を厭わないその野望とエネルギッシュさに、ある人は蔑み、ある人は目を瞑り、そしてある人は羨み賞賛するのだ。



「悪趣味、はともかく。私が愛玩動物なら飼い主は?」
「アレ以外に誰がおるのだ。貴様ら、そっくりだぞ」

餃子をレンゲで掬って、早く冷めるように息を吹きかけながら、派手なオレンジ色のスーツで豪快に笑う、身分的には直属の上司にあたる姿を思い浮かべた。

「…あそこまで大物感は出せそうにないです。それに、」

パクリ、と餃子を丸ごと口に含む。
やはりまだ熱くて、舌の先が熱に麻痺する。
それでもなんとか飲み込むと、通り過ぎる気管支が焼けるような感覚。

「それに、悪趣味なら狩魔検事です。だって私、今は検事の子飼いですもん」




歴史と近代さ。
薄暗くごちゃごちゃとした猥雑さの中だからこそ、際立つ華やかな光。
相反する概念が混ざり合い、醸し出される奇妙な魅力は、まさに「魔都」と呼ばれるのに相応しい。
惹き付けられる。
肌をヒリヒリと刺すような迸る熱量に、強く。

苛烈なまでに完璧な正義を追い求めておきながら、その身に降りかかる悪を厭わない、自己犠牲的なまでの一途さ。
その決して混ざり合えない混濁した光を、美しいと感じるのと同様にして。




人工密林地帯。
コンクリートジャングルの夜。
ビルに切り取られた歪な形の空の下で。


「苗字秘書官、」

私の名前を呼んで、
その人は悪趣味極まりない表情で、けれど蝕む毒のように酷く甘美な響きを持って、言った。


「貴様のような面倒な子飼いなぞ、こちらから願い下げだ」





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