To the Sky | ナノ


燦燦と笑う太陽が西に傾くにつれて、踊るような午後の日差しが幾分か和らいだ。
セーヌ河の川面に映る逆さの街並みが、茜色の空と同じ色に染めあげられている。


パリはセーヌの申し子だ。
街の中央を流れ、両岸にはチュイルリー公園、ルーヴル博物館をはじめ、数多くの歴史的モニュメントが立地し、絶え間なく遊覧船や運送船が緩やかに行き交う。

そのうちのひとつ。
比較的裕福なブルジョワ層をターゲットとした、遊覧クルーザーの甲板テラスにて。
流れる空気を身体で感じながら、船は走る。

「あ、ほら、狩魔ちゃん。アレ、エッフェル塔ー」
空の色。雲の流れ。セーヌの歌声。美しく憂鬱な風景。
それに全く見合わぬ、耳に不法侵入する力が抜けるような口調に、狩魔は苦虫を噛み潰したような表情で空を睨み上げた。




眼下には、凱旋門と並ぶパリの象徴たる鉄の塔を中心に、パノラミックな風景が広がっていた。
1888年、フランス革命100周年を記念して開かれたパリ万博のシンボル。
幾何学模様の細い鉄骨がさながらレース編みを光にかざしたように透ける、その優美な佇まい。
それは一見華やかに自由でありながら、どことなく翳りを帯びていて果てしない孤独にも感じられる。
鉄の貴婦人。
ラ・トゥール・エッフェル。


「あれ、キョーミない?」
真っ赤に染められた夕焼け雲を背負って、巌徒海慈は朗らかな笑みで振り向いた。

「くだらん。そうも盛り上がれる貴様の気が知れん」
「えー、イイじゃない。せっかく公費で海外なんだしー」

なぜ、出張の度にパートナーがこの男なのか。
何度目かの考察に走らんとする脳を叱咤して、狩魔は小さく息を吐いた。
答えは、しかし、実の所単純明快に分かりきっている。
優秀だが酷く気難しい若手検事の、同期で親しい友人、だと上に目されているのだ。

「いちいち語尾を延ばすな、虫唾が走るわ」




暮れなずむ低い雲は、最後の力を振り絞った残照に映えて燃える。
少しばかり遠巻きに見える街並み。
それだけで、その雑踏の中に身を置いている時とは、随分と印象が違う。

「巌徒海慈」
「ん?ナニ?」
「貴様、一体今年でいくつだ」
皮肉を語尾に込め、狩魔は年齢不相応に深く眉間に皺を刻み込んで、問うた。

狩魔の一歩手前。
行儀悪く欄干に身を乗り出す立ち姿は、好奇心丸出しではしゃぐ子供そのものだ。
もっとも、子供は昼間からカルヴァドスを瓶から手酌したりはしない。

「いくつって、狩魔ちゃんと同じ歳、だよ、ボケるにはちょっと早いんじゃない?」
緑がかった深い瞳を細め、にやりと巌徒は笑った。

内心でことさら口汚く毒づいて、狩魔は鋭く"友人"を一喝した。
「―――いい加減落ち着いて座れと、我輩は言っておるのだ!」



面白くなさそうに、狩魔のノリの悪さを不服であるかのような表情をして、巌徒は対面の猫足の椅子に腰を下ろした。
子供のような所作。
豪放だが、けれど決して粗野ではない。
自然で流れる仕草に、男の含有する"深み"が感じられる。
見透かせず、底知れない。
未練がましく鉄の貴婦人の上に落したままのグリーンの瞳と同じように。

テーブルの真ん中に置かれたカルヴァドスのボトル。
にぎわう朝市の雑踏を歩き回って、露店で購入したものらしい。
安物だが、味は悪くはない。

「気持ち良いねー、風景綺麗だしー」
前髪を弄りながら、緑眼がわざとらしくにこりと笑う。




「建設反対の署名運動が行われていた鉄の塔が、いまやパリの顔とはな」
風に散る髪を鬱陶しそうに抑えて、狩魔は呟いた。

光は、徐々に紫の闇に溶けていく。
太陽光から、人工の光へ。
沈みゆくセーヌ河に街灯が弱く散乱し、それがテーブルの上のボトルに反射する。
その中に、注ぎ口よりも大きな林檎が閉じ込められている。
春先から小さい林檎に瓶をかぶせて、そのまま成長させているのだそうだ。

「あー…、聞いたコトある。有名な作家が建設反対派の先鋒だったって」
「ギイ・ド・モーパッサンだ。当時では奇抜な景観だと捉えられたのだ」
「……聞いたコトは、ある」
「知らぬわけでもあるまい。フランスを代表する自然主義の作家だぞ」
「へー…」


狩魔のあまりにも心外そうな、無知を咎める様子で片眉を上げる表情に、巌徒は不貞腐れたように口を尖らせた。
それは大層わざとらしく子供じみた所作で、狩魔は溜め息を飲み込んで、米神を抑えた。

自覚は、ある。
全く悪趣味甚だしく、酔狂極まりない、と。



「エッフェル塔が嫌いならばエッフェル塔に行け、ということわざがある」
「うん」
「それを身を持って提言した男だ」

国の威信をかけて、エッフェル塔は急ピッチで完成した。
パリを見渡す鉄の貴婦人。
その一階の洒落たレストランに、ギイ・ド・モーパッサンは通っていたそうだ。
忌み嫌っていたエッフェル塔のレストランを懇意にするのは何故か。
その理由に対して、作家は平然と言ってのけた。

『パリ中で、この見苦しいお嬢さんを見なくてすむのはここだけだから』


巌徒は、くつくつと笑った。
ウィットに富んだ、けれど決して見透かせない緑色の深い瞳が三日月に歪む。

「そのモーパッサン先生、狩魔ちゃんにちょっと似てる」




風が吹く。

欄干に沿って立ち並ぶ美しい街灯の光が影を帯びたセーヌに映り込む。
波が笑うようにさざめいている。
息を呑むほど鮮烈で美しく、けれどなにかリアリティを欠いた不思議な情景だと、狩魔は思った。


「巌徒海慈」
「ナニ、かな」
「持て」
何食わぬ顔で恬淡とした命令形に、自由気ままなその"友人"は、不思議そうに小首を傾げて、けれど狩魔の指示のままに空のグラスを持った。

自覚は、ある。
この男のペースに、持って行かれている事に。
そしてそれを、不愉快に思わない程度には、慣れてしまった自己にも。
全く悪趣味甚だしく、酔狂極まりない、と。


そして、グリーンの瞳が見開かれる。
「―――え、ちょっと狩魔ちゃん、どうしたの?」

グラスに注がれていく琥珀色の液体。漂う林檎の香味。
他人への酌など、した事もないであろう検事局きっての若き天才検事は、"友人"のキョトンとした反応に満足したように、意地の悪そうな笑いを口元に浮べた。
影の中で持ち上げられた黄金色のシャンパングラスが、煌く。


「―――あ、うん。いいけど、ナニに?」


男が自己と同様にグラスを掲げたのを確認して。
風に乱れる白銀の髪を、気にも留めず靡かせて。
天才検事は法廷で勝ち誇るように性悪に、けれど酷く満足げにその深い緑色の双眸を見た。

悪くはない。
かの鬼才が、我輩に似ていると言うのなら。
ならば。


「ラ・トゥール・エッフェルと、―――類まれなる多才の作家に、だ」





男の二人旅という無骨さ。
その間を、強靭さと優美さを持ち合わせた鉄の貴婦人から吹き抜けた風が穏やかに流れていた。





タイトル意味は「昔がたり」、モーパッサンの一作品のタイトルです。
似たもの同士殺伐友情関係。彼らが互いに感じる親近感は多分、自己愛に近いんじゃないかと思います。若い時の方がよりその傾向が強そうなイメージ。この御二方コンビが好きな方がいらっしゃる事が嬉しすぎます!ありがとうございました!


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