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チリコンカンという名前を用いて私が作るその料理を呼ぶのは、個人的にはやはり似つかわしくない気がする。

コンカン。Con Carne。
メキシコの焼け焦げるような日差しとその太陽に愛された小麦色の肌、それから肥沃な大地がもたらす穀物とスパイスの芳醇で攻撃的な香り。そのスパニッシュ独特の響きを口に乗せる時、どうしてもそんなヴィジョンが想起された。
実際、唐辛子パウダーとチリソースを使ったソレは紛れもなくチリコンカンという料理で、言語の違いでしかないのだが、チリビーンズ、と私はそれを呼んでいる。スペイン語から英語にするだけで、不思議なことにある程度の大雑把が許される気分になれる。
得意料理はチリビーンズ。
それほど日本家庭の食卓に上らないからだろうか。大体の人はこのセリフから料理上手だと推測するものらしい。残念ながらそれは掠りもしない回答だ。チリビーンズ。よく言えばアメリカナイズされた、悪く言えば一日三食カロリーメイトでも一向に構わないほど食に対する拘りがない私の食生活の、栄養摂取の約三割を占める料理である。

クリームチーズ、玉子一パック、ゴルゴンゾーラ、鮭のハラス、あさり、カゴメの野菜生活。トマトが二個と西瓜が三分の一カットとカット済みのレタス。飲むタイプのダノンビオと豆の缶詰が四種類。それから白ワインが一本。
ピーターラビットのエコバッグに詰まったそれらを、ショルダーバッグの上から肩に掛けなおした。夏の日が、まだ色濃く湿度と気配を残しながら地平線上から姿を消している。スーツの胸ポケットからiPhoneを取り出して時間を確かめた。もうすぐ7時半を回ろうとしている。缶詰と野菜生活とワインの所為で、ずっしりとした重量がある。

この時間の帰宅は、私にすればかなり早い部類であった。灰色と黒で構成される帰宅路は、いつもより少しだけ明度が高く、通り過ぎる家やマンションのロビーから、暖かい家族のリズムが踊り、楽しげな音程を作っている。命あるものは、須らく太陽と共に生きている。それは食物連鎖ピラミッドの頂点に君臨する人であっても例外ではない。そう言っていた悪友を思い出した。久々に料理を作ろうと思い至ったのも、実は自主的な思いつきではなく、いつもより少しだけ多く浴びた太陽エネルギーに突き動かされているだけかもしれない。…なにか宗教家みたいな口ぶりかな。そうやって取りとめもない事をぼんやり考えながら、とぼとぼと歩いていく。

手に持ったiPhone。表示されているのは電話のリダイアル画面。持て余してどうしようかと悩んで迷っている時、大体のケースにおいては既に心が決まっているものなのである。きっとそれも太陽エネルギーの効用に違いない。
4コールまで待とうと思った。彼は、2コールで出た。

『珍しいやん、この時間に電話来んの』
軽そうな関西弁。軽そうで、実際に軽くて、少し早口だ。
「時間が作れるなら飲まない?」とたずねると、YES/NOの回等の前に『相変わらず、自分の言いたい要点のみやなあ』という苦笑い。
『場所は?』「んー、私の家」『他誰来んの?』「今から誘ったら誰が来るかな」
電話口の背景から、名前の分からない音楽が聞こえる。どこかのなんとかというインディーズバンドだと以前聞いたが、記憶の中から遥か昔にデリートされている。
『…なあ』「ん?」『俺だけで我慢せえへん?』「残念ながら」『…即答かいな。欲張りやな』「で、来るのね」『おまえ、断られんの最初から想定してないやろ』「まあ、ね」

エコバッグの中で白ワインと缶詰がぶつかって、小さく甲高いノイズが波及する。
『9時半くらいやろな。何か持ってってほしいものある?』関西弁のアクセントで、彼が問う。
「んー、じゃあカナディアンクラブかな。今日鮭のハラスだから」
『わかった。適当にメンバー集めとくー』
「お願いします」

エコバッグが肩からずり落ちそうになって、もう一度掛けなおした。誰か誘うのならもう少しお酒を買っておくんだったと、冷蔵庫の野菜室に入っている酒類を思い浮かべながら少し後悔する。鮭ハラスのグリル焼き、あさりの酒蒸し、クラッカーにチリビーンズを乗せて。つまみはこんなものだろう。あとは友人らの持ち込みに期待するとしよう。

『しかし、本当珍しいな。最近ないやろ?帰り早いんのも飲み会すんのも』
「太陽エネルギーのお陰、かな?」
…なんの宗教やねん、と彼が突っ込んで、私は小さく笑った。

紫色の大気に、残された太陽の香りがキラキラと充満していた。
悪くないチリビーンズ日和になる予感がしていた。



2012/07/04 23:04 I like him. But I don't know why, it's not love.

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