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実に、良く出来ている。実に。
DVDを見ながらそう独りごちて、まるきり返答を期待してもない私に、友人は私と同じくらいどうでも良さそうな独り事として、アナタはシャーロック似ね、と言った。
座椅子に頭を乗せたまま見上げた彼女は、さも当然だとでも言うような顔をしていた。


イギリスBBCが製作したミニドラマは、とても良く出来ていた。
Sherlockというタイトルの通り、かの有名な名探偵シャーロック・ホームズを題材にしているが、舞台は21世紀で名探偵はネットやPDA等現代のテクノロジーを駆使して事件を解決する。現代に生きる天才 、を克明に上手く作り上げている。season1は先達てNHKでも放送されたが、season2は日本ではまだ未公開である。

まだ忙しさに生活が汚染される前の、学期初めの夕方。
場所は友人宅。
その、BBC版Sherlock season2のDVDを鑑賞している。日本未公開のそれはUKからの輸入版で、当然ながら日本語環境は一切ない。英語が苦手ではないが特に得意科目でもない私にとって、主人公シャーロックの早口な長台詞は結構厳しい。聞き取れるのは半分ほど。それもかなりの部分で主役の話す発音が綺麗なクイーンズ・イングリッシュに助けられている。それでもストーリーは理解できるというのは、昔取った杵柄である。小学生の頃に読破したシャーロック・ホームズの物語の知識がこんな場所で役に立つとは、あの頃の自分も全く予想できなかっただろう。
掘り炬燵の上に、行儀悪くあごを乗せて。背中を丸め上目遣いでテレビを眺める私の後ろで、DVDの持ち主である家主が動き回る気配がする。衣擦れの音。割烹着を脱いだようだ。という事は、夕食が出来たのだろう。匂いと本日の買い物と彼女の料理スキルから推測するに、今晩の夕食は筑前煮だ。英国からの帰国子女、欧州生活が長かったためか、彼女は酷く和風に憧れる傾向がある。クイーンズ・イングリッシュを話し、議論の手腕も理論展開も悪くないのに、専攻を国際法から近代日本文学へと転向させた変わり者。今は夏目漱石の研究をしているそうで、掘り炬燵の上にも漱石関連の本が溢れている。ちなみに、彼女が法学部から人文学部へと転部していく際、私は随分と真剣に止めた。結局、彼女の決意は変えられなかったが。


DVDは、そろそろ佳境である。
胸のうちがからっぽになるくらい、切ない最終話。
シャーロックとジョンの、双方を想う気持ちが、かえって哀しい。

でも、あっさりDVDプレーヤーを止めた。
掘り炬燵から、籐の座椅子に頭を乗せたまま斜め後ろを見上げて、割烹着を脱いだ彼女を眺めた。
無言で彼女に答えを促しているというのは、彼女も分かっている。それくらいは、付き合いが長い。

「ITジャンキー、理屈屋で唯物論者、官僚の家族がいる、それから…、高性能社会不適合者」
「私はソシオパスでもサイコパスでもないけど」
不満げに眉間に皺を寄せて、変人扱いされる所以はない、ドラマのホームズほど変わってはいない、と。そう言う私に、彼女は欧州育ちらしい大人びた笑みを浮かべた。

「だって、シャーロックに負けないくらい、退屈だと死にそうになってるじゃない?」

一瞬だけ納得してしまった、とは、おくびにも出さない。
表情を読みづらい、解り難くて取っ付き難いとよく言われるこのポーカーフェイスも、たまには役に立つ。小学生の頃に読破したホームズの知識同様に。

「…退屈は人を殺す、ね。でも私は全然もっと一般人です。そういう、日本かぶれの帰国子女さんこそ、よほど変わり者ではなくて?」
私のシニカルな問いかけに、彼女は割烹着を畳ながら、
「ジョン役だから、良いの」
まるでそれが著名な学者が唱えた定理のように、繰り返して言った。
「私は、ジョン・ワトソンだから」


夕食が始まる時間までには、DVDを見終える予定だったのだけれども。
そう、考えながら問わずにはいられない。
退屈は人を殺す。好奇心は猫をも殺すとも言うが、退屈に殺されるよりは遥かにマシだ。
予想外の答えだ。それに興味を惹かれる。知りたくなる。

「ジョン?ああ、異性にモテて、異国帰り。お人よしで、社交性がある。忍耐強い。結構な訪問者を誇るブロガー。なるほど、他は?」
割烹着の下は桜色をした長袖のレトロなワンピース。グレイの瞳が艶かしい玉みたいに、光る。妖艶で美味しそうな色。
「分からない?」
小さく小首を傾げる仕草は、ざらざらした昔のセピア映画のヒロインみたいだ。育った場所の違いだけで、斯くも人の印象は変わるのかと、驚く。
「…さあ、答えは?」


桜色のワンピース。
「私にもいるのよ」

促した解答とともに、胸元のブローチが近づいてくるのを、眺めた。
掘り炬燵に腰を掛けて籐の座椅子に頭を乗せたまま見上げている私の後ろに立ち、彼女は真上から見下ろしながら、膝を曲げて近づいた。綺麗な顔が近い。香水の、多分ランコムのミラクなのだが、良い香りが舞い落ちる。ふわふわとしたウェイビーな髪の一房とともに。

「スマートでクレバーで、でも子供っぽくて生活能力ゼロで退屈でよく死にそうになってて、世話をしてあげたくなる、可愛いシャーロックが」


――良く出来ているよ、実に、と。
一瞬間が空いて、ポーカーフェイスが少しだけ崩れた事が悔しがりながら、映画に対する反応と同じ、賞賛の言葉を送ると、彼女の満足げな瞳から歓喜の色が見て取れた。
退屈は人を殺す。すくなくとももう暫くは退屈で死にそうな事はなさそうだと思いながら、私は筑前煮コンニャク多めで、と要求した。



2012/04/11 00:02 BBC版Sherlockに寄せて

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