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他の受講生(と言っても私を含めて10人もいないのだが)が退室している事を確認して、ゆっくりと教壇に向かう。
相変わらず一部の隙もない。お洒落さんオーラを発する後姿に苦笑いをしながら、古い世界地図を模したパッケージングのギフト箱を取り出して、そっと教卓に置いた。

「先生、」

そう声を掛けると、彼は黒板消しを持ったまま振り返り、それから少し困ったように恥ずかしげに、でも羽根が舞うようにふわりと笑うのだ。



-Two days before Valentine's day-


小春日和とまでも行かないものの、連日北風が勢力を拡大しているここ最近の中では比較的暖かい一日だった。
お正月のセールで購入したばかりのお気に入りのショートコートに袖を通す。ペンケースと六法をショルダーバッグに仕舞う。テキストは電車の中ですぐに取り出せるように、サブのトートバッグに入れた。

帰り支度終了。
と同時に、それは戦闘開始の合図。
丸一日講座を受けてHP残量が大変そうな顔色をした生徒らがぞろぞろと帰宅の途についていくのを横眼で見届けながら、大きく両手を上げて伸びを一つ。そうして、一日中講義をしたのにもかかわらず、何一つ顔色を変えず淡々と黒板を消す先生の後ろ姿を、眺める。
平常通りの日曜日。でも、愛すべき日曜日。

法学部の講義の中で人気がある授業と言えばやはり、民法や憲法に代表される六法だろう。多くの大学では必修科目となっているのに加え、資格や就職等、実学で使えるという事で法律家を目指す若い情熱に受入れられやすい。
反面、コインに裏表があるように当然不人気な講義もある。上記の理由の裏返し、理屈じみていて机上の学問中心の講義。日曜日に開講している事もあり、生徒数が少ない講座の四番バッターとも言われているこの講座を、けれど、私は毎週とても楽しみにしている。


ブラックスーツに、真っ白い無地のシャツ。
ネクタイは光沢のある灰色で、原稿用紙のような柄をしている。平日の授業の時はネクタイの結びが普通のプレーンノットなのに対して、日曜開講のこの授業では少し遊び心のあるダブルノットだと気づいている人は、できれば私だけであってほしい。
無彩色ベースのコーディネートの中で、一見すると浮いて見えるキャメル色の靴は、実は黒板を書くときにちらりと覗くベルトの色と揃えてある。多分、鞄もキャメルなのだろう。
昔ボクシングで鍛えたらしい均整のとれた体つき。それから、トレードマークの黒縁眼鏡。

学内で一番付き合いが悪くて、あまつさえ完璧主義者すぎて少し怖いと言われている彼に、私はとても懐いている。自分でも驚くくらい、とても。



「もうすぐバレンタインだから」
「ああ」

有難う、だとか嬉しい、だとか。そういった類の優しいセリフは言われない。
バレンタインにチョコレートを貰って、その反応が"ああ"というのはいかがなものか。だから、怖い、なんて的外れな事言われちゃうんだよ。
そんな事を考えないわけではない。けれど、私は怒っているわけでも、落ち込んでいるわけでもない。

「それ、鰐なんですよー」
「…、ワニ?」

メイクはいらない。かわりにキリリと品良く清潔に見える服装を。甘くなりすぎないこと。知的で、頭が良さそうに見えること。
女の子にしては身長が高めの私と、そんなに長身ではない彼の差を、教壇が上手く引き上げていて、女の子的上目遣いが綺麗に決まる。角度も距離も、実は計算済みだったりする。

「うん、凄い鰐なの」
「ワニって爬虫類の、鰐?」
「そう、爬虫類の鰐」

考え込んでいる時や対応に困った時に、小首を傾げる癖がある。
多分、今クエスチョンマークがいっぱい浮いているのだろうな。私が渡したチョコレートの箱を持ったまま、少しだけ首を右に傾ける先生を見上げて、目線を合わせたまま、くすっと笑ってみる。

同級生や他の教職員が見たら、先生がこうしてチョコレートを受け取ってくれるのだって、奇跡だと言いかねないくらい人付き合いの悪い、潔癖症の完璧主義者。
頭の回転が抜群で博識でお洒落さんで、私の憧れの人。
無表情に見えるのも、愛想が無いのも、単純に人とコミュニケーションをとるのが不苦手なためであって、本当は教師スイッチが入っていないときは凄くシャイで、"有難う"を言わないのはこれが彼の照れ隠しだって、私はちゃんと知っている。
私が彼に懐いているのと同じくらい、彼にとって私が特別なのも、わかっている。


「家で箱を開けるの、楽しみにしてくださいね」

にこやかに、朗らかに。無害そうな顔をして。
手渡した小鰐を模したという珍しいチョコレートに願いを込めて、最高の笑顔をプレゼント。
本当は、それこそ鰐レベルでハンターなのだけれども、今はまだ教えてあげない。

私につられたのか、わかった、とチョコレートを手に持ちながら、彼はやはり困ったように恥ずかしげに、でも羽根が舞うようにふわりと微笑むのだ。



2012/02/15 20:08 Douce St Valentin.

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