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6月17日通り、かつてはシャルロッテンブルク通りと呼ばれた通りを、東に向って歩く。

見上げれば、
ブランデンブルグ門上の、四頭立ての馬車に乗った女神ヴィクトリアは、盛夏の光を受けて黄金の光を放ち、光彩陸離たる光景を描きだしていた。
思わず目を細める。


門の下は、世間では夏休み真っ最中なこともあって、話す言語も様々な観光客でごった返していた。
先日のサッカーワールド杯では、多くのドイツ人ファンが集まり、広場は喧騒に包まれたものだ。

つい、この前まで近づくことさえもできなかったことが、今では懐かしい。




今年は異例な猛暑を記録している。
先月から、南部では40℃に近い数字をたたき出している。例年なら、7月上旬でさえ20℃を下回る日もあるベルリンでさえ、数日間38℃を上回った。
北方に位置し、古い建築物や普通のアパートではエアコンや扇風機などの設備がないのが普通であるここベルリンでは、冷房機具の売り上げが記録を達し、各所で品切れや脱水患者熱中症患者の数もうなぎ登りだ。

屋外を歩くだけでも汗が止まらない。
地球温暖化による影響かどうかは定かではないが、もしそうなら、一層気候変動問題への啓発を国民に促さねばなるまい。
そう考えていたところで、声をかけられた。


「―――…あっちぃな、おまえ、ただでさえあちぃんだから、そのしかめっ面なんとかしろ。」
「―――…はあ…」

あまりの理不尽な要求に、思わず眉を顰めるが、ため息以外言葉に出さないのは、この人に何を言っても無駄だということが分かっているからだ。

「って、おまえ言ってる傍から、余計しかめっ面になってどうするよ。あー、ビール飲みてぇ。」



どうせ、地球温暖化だとか環境対策を考えてたんだろ?
そう、極めて無頓着そうに言われた台詞の的確さに思わず瞠目したら、彼は鉱石じみた紅玉色の瞳を細めて、不敵な笑みを浮かべた。
にやり、といった形容が、実によく似合う。


「おまえの考えてることくらい、お見通しだ。」

肩をぽんと叩かれる。
オフのため、いつものきちっとしたフォーマルな服装ではなく、きわめてラフでカジュアルな格好をしているが、それでも、弟である贔屓目を抜きにしても、それなりに身なりよく見えた。


――…なんだって、超絶にカッコいいおまえのお兄様な俺様だからな!
と言った、その後の台詞のために、多少台無しになりはしたが。







カメラを構えた観光客や、走り回る子供を横目に、ブランデンブルグ門を通り抜けると、深緑の菩提樹が美しいプロムナードが目の前に広がった。


意識せず足が竦んでしまうのは、もはや反射神経のようなものだ。
今では、すでにソレは存在しないのにもかかわらず。
すでにあれから数十年は経つのにもかかわらず。

兄は、まるで気にしていないかのように、先に進む。
西側に、取り残される自分。

まるで見えないような壁に阻まれているように。
もはや、そこには境界線なぞ何も存在ないのに。

広がる彼との間の距離に、じりじりと焦燥を感じ始める。
それをよそに、鋼色の髪は先に進んでしまう。




ふと、立ち止まって、彼は唐突に振り返った。
いまだ軍人じみた癖が抜けない挙措で、
まるで、俺の焦燥を見抜くかのようなタイミングで、


「こっち側からでも!おまえの顔が見えるって良いよな!」
そう、声を張り上げて。

酷く優しくて柔らかい笑みを向けられる。

この人の、こういった表情を見られる度に、過去の自分が幾度となく救われる気がする。

瓦礫の下で足掻いたあの時代の、奇跡と言われた復興のために舐めた辛酸も耐えた刻苦も、そのために下した無慈悲な裁断も、あの冷たいコンクリートの向こうに決して通じるはずもない道を、繁栄のために必死にひた走ったあの日々も、
全部、
全部。


ふわりと、足が軽くなる気がする。
射貫くような真紅の視線に、前に進む力が戻るように。

隣に並ぶ。
それが当たり前のように。当然に祝福されるべき事柄のように。







肩を並べて歩きながら、会話。
「明日は休みだよな?明後日はおまえ、仕事の予定は?」
「為替レートに関する国際会議と、四ヶ月連続で低下している景気期待指数の対策をまとめなければならない。」
国内は好調だが、EU地区全体の経済状況を考えて、幾分か胃がキリキリする気がした。

「あー…、って為替の会議って相手はあのヒーロー野郎か。」
「ああ、無理難題を突きつけられる前に、なんとかこちらの条件を聞いてくれればいいが。兄さんは?」
メガネの奥に夏の真っ青の空の色をした瞳をなるべく思い浮かべないようにして。
きっと、こちら側の話など聞きもしないだろうから。

「こっちは、明日からカリーニングラードだ。あのマフラー野郎、管理できねえからって飛び地の面倒は全部俺に押し付けやがって…。」
口ぶりのわりには、そこまで嫌がって見えないような表情で、兄は言う。

「出張か。なら、クリーニング屋によって預けていた長袖衣類を取りに行かないとな。」
向こうは寒暖差があるだろうから、と伝えたら、余計暑くするような話題を振るなよ、とげっそりした顔付きの返答。

「とりあえず、ビール買おうぜ、ビール。あと、うまいヴルストと。で、今日は飲もう!おまえのおごりで。」
「兄さん、なんのための買い物だと思っているんだ。お隣のお嬢さんの誕生日祝いを忘れていないか?」
「おう、忘れてねぇぜ、あの小さいレディも大きくなったよな、今年でいくつだ?」
「もう20代半ばだと、隣の奥さんが言っていたな」

20年。
壁の崩壊当時、4歳だった女の子は、すでに女性らしさが滲む美しい花に成長している。


戦争を知らないどころか、分断の悲劇もすでに過去のものとして捉えている若い世代もいるそうだ。
新聞では、それを嘆いていたが、けれど、それで良いのかもしれない。

瓦礫の中で、選び取れなかったものを苦悩する日々を知らずに、ただひたすらに、何一つ迷いなど感じさせない眼差しで、潔く未来のみをまっすぐに見抜く光。
そういった、若き才能がこの国の行く道を彩るのだ。





「なあ」
真摯な表情をして、兄が問う。


「年頃の女の子って何プレゼントすりゃいいんだ?」
「…それを俺に問うのか。」

「…とりあえず、フリードリヒ通りでなにか見繕うか。店員に聞けばなんとかなるだろ、なんとか。」


肩を並べて歩く。
かりそめではなく、何物にも代え難い、本物の平穏がそこにある。


「ま、大切なのは気持ちだろ。力いっぱい祝福してやろうぜ」
「―――そうだな」




振り返れば、

「カシの木の葉で囲んだ鉄十字」を模した杖を頭上高く掲げた女神ヴィクトリアが、
ベルリンの栄光と繁栄と謳うように、
燦燦と輝いていた。




お友達へのお誕生日作文として書いたものです。


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