廃墟から新しく立ち上がり
未来へ私たちは立つ、
私たちがあなたの幸福に本当に奉仕せんことを、
ドイツ、統一された祖国よ。
ウンター・デン・リンデン通りを東に向って歩く。
「菩提樹の下」と冠されたその名前の通り、1.4キロにわたって菩提樹の並木が美しいプロムナードは、淡く色付いた葉を、幾分か和らいだ秋の光に照り映えさせていた。
背を向けたブランデンブルク門上の、勝利の女神ヴィクトリアは、頭上で煌々と輝く太陽を頭上に冠するように、今日も威風堂々と立っていた。
四頭の馬に曳かせた古代ギリシア式の戦車に乗り、高らかにドイツに戦勝と凱旋を謳いあげる彼女の杖頭は、けれど、鉄十字を模した当初の姿ではなくなっている。
過去の悲哀への勝利は
団結の中で勝ち取られる、
私たちは獲得するに違いないから
私たちのドイツの上に
光を発する太陽がある朝を。
ブランデンブルク門 からプロイセン王宮まで、距離的には決して長くはないこの通りには、ベルリンの勃興を示す歴史的建造物が数多く存在している。
かつて、ドイツの栄光を体現するような壮麗な文化施設、高級ホテルなどが立ち並び、パリのシャンゼリゼとも比され讃えられていた。
――淀んだ空気、立ち込める粉塵。
――爆音が聞こえる。
――瓦解した街並みに、轟く銃声。
価値ある歴史的な建物は、米英軍によるベルリン大空襲であらかた失われてしまった。
運良く残された菩提樹の並木道も、市民が燃料の焚き木にするため切り倒されていた。
その中を、負傷したあの子を担いで彷徨ったのは、そんなに昔のことではない。
帝国が堕ちた日。
政府高官がほとんど逃亡したベルリンで、最後の抵抗を試みたのは、老人や少年の志願兵だった。
50万人に近い赤軍に完全包囲されたこの街に、逃げ場などあるわけもなく、第三帝国総統、ドイツを世界の支配者にせんと企んだ男が、自ら命を絶った日、
その男は、
菫色の瞳に隠しえぬ残虐性と狂喜を湛えて、俺達の前に立ちふさがった。
旧ライヒスターク、国会議事堂
そこに赤軍国旗が高らかと掲げられたその日、
ベルリンは、陥落した。
戦争後、
原形を留めないほど、壊滅的なダメージを受けたベルリンの街は、短期間でかなり復興が進んでいた。
ここ、ウンター・デン・リンデン通りで最初に再建が命じられた場所。
通りを挟んで向かい合う、ハンガリー大使館とポーランド大使館のさらに奥。
もともとはフリードリヒ大王が妹マリーの別荘であったが、のちにロシア皇帝ニコライ一世が買い取ったそれは、永い歴史を持つにもかかわらず、 巨大な要塞を思わせるコンクリートの建物であった。
ソヴィエト大使館
衛星国ハンガリーとポーランドに守られるように建っているその構図は、ソヴィエトを頂点とした東側の力の構図を、そのまま体現しているようだ。
その氷塊の様な冷たいコンクリートの箱に、あの男は、滞在している。
無意識のうちに、奥歯を噛みしめる。
この無機質な砦のような建物に立ち入るには、いつもそうだ。
「きみを、待ってたんだ」
白銀の髪をなびかせ、酷く純粋な光を灯した夜明けの空のような紫水晶の瞳は、俺の姿を見つけて、まるで、花が綻ぶ花のように、ふわり、と柔らかく美しく微笑んだ。
「今日はきみに、とびきりの知らせを持ってきたんだよ」
にこやかに、ひどく子供じみた語尾が間延びした口調で、その男は言う。
けれど、いかにも人畜無害な風貌をしたこの男が、世界を二分する二大勢力の片方、世界の半分を掌握する支配者、強権を振りかざす世界の盟主であることは、とうの昔に熟知している。
俺と、俺の守るべき半身に、銃を突きつけ、冷酷に引き剥がし、投降を強要した当人なのだから。
「国家を設立することになったから。」
国を、
設立。
どお?びっくりした?
小さな子供が、まるで大人から褒められるのを待っているように、期待をこめた瞳で、こちらの反応を伺っている。
身構えたほどの衝撃はなかった。
ああ、やはり、そうきたか、と。
あの子が署名した文書の詳細が届いたのは一ヶ月ほど前だった。
統合の可能性の唾棄。赤軍占領地域の放棄。
俺がいるこの場所を、一方的に切り離す、宣言。
血を分けた、我が半身。
切り離された、兄弟。
冷たいコンクリートの向こう、
俺を待ち続ける幼かったあの子供は、いまや青年となり、異なる道を、茨の道を歩み始めたのだ。
俺を捨てて。
それを
嬉々として伝えたのも、この男だったのではないか。
元々単一であるべきものが分断された結果として、その再統合のために国家を設立するという綺麗事の建前の裏は、
単純に西側への対抗措置だ。
すべては、この男と、鉄のカーテンの向こう側、主張は違っていても同じような強権を振りかざすもう一人の世界の盟主の、「世界」のためなのだ。
「――…ああ、そうだな。」
息を、ゆっくり吐いて、にやりと力いっぱい大胆不敵に笑ってみせる。
『お前を世界の王にしてやる』
そう、誓ったのはいつだったか!
ブランデンブルク辺境伯領、ドイツ騎士団。
エルサレムを守護し、勇ましき聖なる十字軍の血を引く、正統な騎士。
歴史の中で永遠に輝き続ける軍国プロイセンの後継者!
ああ、
そうだ!
俺は、おまえの騎士だ!永遠に!
おまえを守るために、俺は存在する!永遠に!
たとえ、おまえがそれを拒んでも!
たとえ、おまえが俺を遠ざけても!
神の名のもとにおいて誓ったあの日から、それは過去も現在も未来永劫変らないたったひとつの真実。
「うれしいぜ?…赤軍同志様。」
ゆっくりと、大げさに膝を折る。
鮮やかに大仰なほどに傅く。
まるで、主に頭を垂れるように。
守ろう。
おまえを。
そのためなら、
憎むべき相手にも進んで、媚を売ろう。
たとえ泥水でも啜ろう!どんな苦難でも甘んじよう!
それがおまえを守護するためになるなら!
「ようこそ、CCCPはきみを、正式に歓迎するよ。」
温度を感じさせない夜明けの色の瞳をしたその男が、薄い笑みを唇に浮かべて
俺を眺める視線を感じた。
・色が薄い部分は、東ドイツ国歌です。
・第三帝国総統はヒトラーで、ベルリン陥落の話はソ連のベルリン包囲です。文中のそのまま。