19世紀初め、欧州ではナポレオンの大陸支配が崩壊し、正統主義と各国の勢力均衡を原則とする保守的なウィーン体制が確立される。
抑圧と動乱の中、しかし、ナポレオンによって撒かれた自由主義やナショナリズムの種は、密かに芽吹き成長してゆく。
それは、当時オスマン帝国の支配下にあったギリシャにおいても同様であった。
私たちは乞い願う、金髪の民が私たちを解放することを、
モスクワから来たりて私たちを救うことを。
私たちは信託を、当てにならぬ予言を信じ、
かくも空疎な物ごとに時間を費やす。
私たちは希望を北風に置く、
私たちからトルコの罠を取り去るために。
――――ミラ府主教マッセオス
三日月が輝く海の都。
鬱金香が咲き誇る宵。
北からやってきた"解放者"は淡い金糸の髪を靡かせて微笑む。
――力を。
魚は頭から腐る。
爛熟してゆく落日の帝国。
加速する滅亡への道。
受け入れられる願いは、腐敗する虚栄の都に最後の一撃を与えるだろう。
――自由を。
――熟れゆく支配者と対等な立場を。
"解放者"は微笑む。
葡萄酒色の瞳に、三日月を映しこんで。
全ての準備は、今、整った。
賽は、ついに投げられた。
1814年、ギリシア商人で 貴族層出身アレクサンドロス=イプシランディスがギリシアの独立をめざす秘密結社フィリキ=エテリアを結成。1821年になって武力闘争に発展する。
独立をかけた戦いが、ここから始まる。