APH | ナノ


森は薄暗く、圧倒されるほどの青い静寂に沈んでいた。

姉は、まるで何か恐ろしいものから逃げるように、来た道を一瞥だにせずに去って行った。
妹は、幼い頃と同じように姉に手を引かれて、後ろを悔しげに振り返りつつやはり去って行った。

生命の源。
深く、深沈たる緑はどこまでも広がっている。
すべての命を受け入れ、包み込む世界。

後には、僕一人がぽつんと残された。


ヨーロッパに残された最後の原生林と呼ばれたこの森は、完全に自然な状態を保っている。
倒木でさえもそのままとなっている姿は、まるで人智の介入を頑なに拒んでいるかのようだ。
それは、ほんの少し、ほんの少しだけ――、祖国の末路に似ている気がした。

この場所で、僕は半身を殺した。



「もういいかい?」
「まあだだよ」

それはかくれんぼみたいな奇妙な生活だった。
お姉ちゃんや妹や、他の部下たちが鬼で、僕と彼はいつも二人でこっそり隠れていた。
二人きりになると、彼はいつも言う。
「良い事を教えてあげる、君だけに」、と。
それは本当に良い事の時もあったけれど、大抵は良くない話だった。
この前、クーデター騒ぎが起こった事。大規模な原発事故があった事。捕まった連続殺人犯の話。
それでも、僕は彼がしてくれるお話が楽しくて待ち遠しかった。
情報統制がされたこの国では、彼の話は確かに珍しかった。
けれどそれ以上に、
「二人だけの秘密だよ」
と、そう言って、触れる体温が柔らかく優しかった。

少しだけ大人びた彼の笑顔は、僕の痛みを全部取り去ってどこかへ飛ばしてしまう力を持っていた。
彼と一緒に居る間だけ、僕は本当に何ともないような気持ちになれた。

でも、ある時から、僕は知ってしまった。
彼の体のあちこちに痣が出来て、酷くやつれてしまっている事に。
それをきっと、彼は僕のために隠したがってたという事も。


凍てつく冷たい、ベロヴェーシの森。
無断での立ち入りが許されない、禁猟区。

この森を訪れる人間は、課されるルールに従わなければならない。
何も置いていってはいけない。
何も奪ってはならない。

彼は、僕から何も奪わなかった。
彼は、僕に何も置いていかなかった。
でも、僕が、彼から全てを奪った。
ブロンドの髪の若く剛健な支配者ではない。
全ては、僕が奪った。


八月の、クリミアの爽やかな別荘地。
夏の日照りと蝉の声の中で、弱りきった君の声は忘れない。
あれは、ずっと庇護者であった君は、僕に頼んだ最初で最後のお願いだった。

「いつか時が来たら、他の誰でもない君が、殺してくれ」

そう伝える表情は、いつもと同じく僕と慈しむように柔らかくて暖かかった。


森から生れ落ちて、やがて森へと還る。
永く永く久遠に続くような閉ざされた白銀の雪世界も、やがて溶けそして消える。
神をも捨てた僕らは、もはや神の子ではないけれど、それでも大地の子には違いない。
だから、終焉はきっとこの場所が相応しい。


さよなら、愛しき人よ。
僕は、君の全てを奪う。
罪の呪縛も、咎の十字架も、何一つ残しはしない。

さよなら、愛しき人よ。
やがて時が満ちて、終焉の眠りに着くまで。


森は薄暗く、圧倒されるほどの青い静寂に沈んでいた。
君が居なくなっただけで、世界はこんなにも寒くて痛かった。




千打企画蘇露作文だと言い張ります。
蘇様初書きところか初めてちゃんと定義を考えました。蘇様=ソヴィエト、露様=ソヴィエト連邦内ロシア共和国、と言うことは、ゴルビーVSエリツィンの対立とか書けるじゃん!と最初に思いました。連邦崩壊ネタ何回目だろうと自己突っ込みしたい(゚-゚;)最初から喪失ネタで実にごめんなさい。

途中の八月のクリミアは、ソ連8月クーデターの事です。改革派の当時のソ連書記長ゴルバチョフが、守旧派にクリミアの別荘で軟禁された事件です。それを助けに来たのがエリツィン(同時ロシア共和国大統領だった)で、それによってエリツィンの力が強くなって、崩壊に繋がっていきます。イメージは助けに来た露様と軟禁されてた蘇様の会話。
ベロヴェーシの森は、ベロヴェーシ合意の場所(そのまま)で、ソ連解体の直接的な引き金です。エリツィンらがゴルビーに内緒で勝手にソ連を壊しちゃった合意です。そのため、これを"クーデター"と呼ぶ事もあります。
詳細に興味ある方は、wikiでググってください。そしてぜひ近現代政治史燃え仲間に!笑。
リクエストを下さった方、恐れ入りますすみません。苦情とか文句ありましたら出来るだけ対応いたします(土下座)タイトルはチャンドラーの小説から。


「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -